参拾弐
幼いあの日に流した涙は、決して悲しみだけじゃなく
未来への希望にも繋がっていた
信じた未来を、今でもまだ、信じてる
「へーぇ……俺の修行中に、友達できてたんだ」
意外そうに、けれども然程驚いた様子もなく、佐助が言った。
幼い頃の幸村の傍には、常に佐助がついていたのだが、そんな事があったなど佐助はまるで知らなかった。
幸村は幼少時から人見知りはしなかったし、人懐こい性格で、友達が多そうなものであったが、
家柄の所為か、周囲から少々敬遠され勝ちな所があった為、一緒に遊ぶ童子など佐助以外に殆どいなかった。
それを今となっては誰よりも知っている佐助であるから、その話は寝耳に水である。
十を迎える頃にはそれなりに一緒に遊ぶ子供達もいたけれど、父が死に、兄が死に、
慌しい中で家督を継いでからは、ぱったりとそれも止めてしまっていた。
だからか、佐助の中では、どうにも自分以外の子供と遊ぶ幸村が想像し難かった。
だが幸村の横顔は懐かしそうにはにかんでいる。
思い出を邪魔する事もないだろう、と佐助は茶化すのは止める事にした。
「それで、家紋をあしらった六文銭の首飾りを、ソレの代わりにあげちゃったの?」
幸村が眺め続けている小刀を指差して言うと、違う、と幸村は言った。
「あげたのではなく、預けたのだ。いつか返して貰う為に」
「……っつっても、何処の誰だったか覚えてんのかい?」
預けたと言う幸村の顔は凛々しかったが、佐助の言葉に途端に潰れてしまった。
それだけで覚えていない、という事がありありと読み取れる。
残念だとは思うが、それも無理もない話だ。
幸村が六歳と言ったら、今から十年以上も昔の話になる。
幼さという点も加えられ、記憶が掠れてしまい、細部を思い出せないのも仕方がない事。
当時をよく知る筈の兄も、逝ってから随分と経つ。
幸村以上にその当時の出来事を覚えている人物と言ったら、最早その相手の子供以外にいない。
だが悲しいかな、その子供の肝心の名前や詳細等を知る幸村は、この有様であった。
うぅと唸って思い出せないかと頭を捻る幸村に、佐助は小さく笑う。
「まぁ、いいんじゃない? そういう奴がいたってだけでも、覚えてたんなら」
「しかし……これを見るまで、もう思い出すこともしていなかった。悪い事をしてしまった」
「案外、あっちも同じかもよ。こんな時代なんだし、過去ばっかり振り返っちゃいられないし」
――――――そう。
今は動乱の世。
優しさに包まれた思い出に浸るより、前に進まなければならない。
過去を振り返る時間が短くなってしまっても、誰も責めることはない。
何より、幼い頃の記憶なのだ。
記憶の海に埋もれて、拾い上げられなくなってしまうよりも、ずっと良い。
が、だからと言って簡単に諦められる幸村ではなかった。
大切に大切にしまわれていた白木の鞘の小刀は、殆ど劣化もない。
ならば何処かに、名でも刻んではいないだろうかと、手の中で引っくり返してみる。
柄に何かが剥がれたような痕があった。
恐らくはこれが家紋であったのだろうが、名らしきものは刻まれてはいない。
刻み込まれていれば、この部分が朽ちてしまわぬ限り、残るものであったのだろうに。
「……その子供の事、なんか覚えてないの?」
諦めきれずに唸って小刀を見つめる幸村に、佐助が尋ねた。
「覚えているのは、同じ年頃と……顔に包帯を巻いていたな」
「ふーん。療養にでも来てたのかね」
「そうであったかな。ああ、川遊びもその子供に教えて貰った。お前が教えてくれぬことを教わったぞ」
「……そういや、なんか危なっかしい遊びとか、してた時期があったね…」
佐助が修行から帰ってきた時、幸村が教えていない遊びをしている事があった。
久しぶりに帰って出迎えた幸村の髪が、ばっさり短くなっているのに先ず驚いた。
そして後ろをついてくるのが常だったのが、ちょこまかとあちこち駆け回り、川の深みの方にも躊躇わずに入っていく。
釣りをしていて当たりが来ないと、手掴みしようと意気込んで、おまけに本当に掴まえる。
川の中に流木で出来た一本橋を危なっかしそうに渡って、その上で跳ねたり……
別に良い所の女子供のように見ていたつもりはなかったけれど、
ちょっと見ない間に一気にやんちゃになった幸村に、こんなだったっけ? と首を傾げた事がある。
それらは全て、その時友達になった子供に教わっていた事だったのだ。
「今頃、何処で如何しているのか……」
手掛かりは、不確かな記憶のみ。
仮に確かであったとしても、あまりにも遠過ぎる日の出来事だ。
名も判らぬのに、当時六歳の幼子であった子供を、どうやって見つけ出すことが出来ようか。
幸村でさえ面影は残しつつも大きく様変わりしているのだから。
だが、それでも。
「…………逢いたいの?」
佐助の問い掛けに、幸村は言葉を持って答えることはなかった。
黙して小刀を見つめる瞳が、それだけで全てを物語っている。
遠い日の約束が、今もまだ、生きていると言うのなら。
「おい成実、何やってんだ」
自室の隅の方で、何かをしげしげと眺めている従弟を見つけて、声かけてみる。
振り返った従弟――――伊達成実は、悪戯っ子のような顔で何かを指差した。
眉根を潜めてそれに倣って視線を更に下へと落としてみると、ごちゃごちゃと物の詰まった箱。
漆塗りの上等な作りの箱は、蓋さえ閉じれば立派なものに見えなくもないが、中身はてんで滅茶苦茶であった。
しかしその滅茶苦茶な中に詰まった幾つかに、政宗は確かに見覚えがあった。
政宗の表情の変化をしっかりと見抜いた成実は、にーっと笑い、
「宝箱を見つけたんだ。久しぶりだと思って、ちょっと見ていた」
「Ah…確かに、こりゃ懐かしいな。よく残ってたもんだ」
「片倉殿も流石にこれは処分しなかったんだな」
子供の頃の思い出の品なんて、成長してみれば下らないものばかりだ。
集めた自分達が今になってそう思うのだから、当時の小十郎や元綱も同じ思いだっただろう。
それでも、当時の幼い主が、どんな理由や意味があるにせよ、確かに大事にしていたものだったのだ。
何かと母親紛いのように口煩い小十郎だが、こういう所はきちんと汲み取ってくれる。
幾つか止むを得ずに処分してしまったものはあるだろうが、全てでなくても、こうして残してくれるのは嬉しかった。
「おい成実、これ蝉の抜け殻じゃねえか」
「なんの蝉だ?」
「デケェな……クマゼミか?」
「この手拭は殿のか?」
「あ? 覚えてねぇな」
中身は政宗の分と成実の分とごちゃごちゃになっていた。
細長い板が転がっているので、嘗てはこれで領土分けしていた事を思い出す。
板が風化して縮んでしまったのか、動かしている時に外れて雪崩が起きたのか。
今となっては判らない。
それでも、どれがどちらのものであるのか、不思議と思い出すことが出来た。
ついでに殆ど忘れ去っていた出来事も思い出してきて、知らず二人は笑っていた。
「これは、ただの布切れだ」
「俺ンじゃねえぞ。多分お前だ」
「誰に貰ったんだ…?」
綺麗な藍色で染め抜かれた手拭に、成実は首を傾げる。
箱を引っくり返すと、ざらざらと沢山の宝物が零れ出てくる。
角のない丸い石だとか、何が書いてあるんだか判らない絵だとか、とにかく色々。
これらが全て宝物だったのだから、当時の自分達は何を考えていたのだか。
そんな中、成実が取り出したものが、政宗の目に付いた。
「これも、殿か?」
自分には覚えがない、と首を傾げてそれを見つめ、成実が問う。
ちゃり、と音を立てる、錆びたそれ。
「それは―――――――……」
糸に通した、一文銭。
大好きだよ、と。
眩しかった笑顔が蘇る。
失った右目が、幻であろうと確かに見た、光。
あまりに遠い日の出来事は、この動乱の世に生きる最中、記憶の海に埋もれてしまっていた。
「なぁ、これはなんだ?」
不思議そうに問い掛けながら、成実が一文銭を差し出した。
手を差し出せば、そこにチャリと音がして、錆びた貨幣が政宗の手の中に収まる。
握り締めると、不思議とそれは暖かいような気がして。
「さぁて………」
紐に指を通して、貨幣を手のひらから落としてみる。
ぴんと糸が張って、ゆらゆらと貨幣が揺れた。
外に身体を向けて手を翳すと、その穴から太陽の光が差し込んだ。
「……覚えてないのか?」
「No。丁度思い出したとこだ」
「殿、顔が笑ってるぞ。そんなにいいものか?」
「Ah〜……ま、そんなもんかな」
「なんだ、それは。誰に貰った?」
「そりゃよく覚えてねぇな」
長く埋没していた記憶は、もう殆ど擦れていた。
これをどういう人物に貰ったのかは覚えていたが、それが誰であったのか、明確にならない。
「それが誰かは覚えてねぇが……そいつと約束したのは覚えてる」
政宗に言葉に、成実はまた首を傾げた。
どういう約束だ、と成実が尋ねた。
すぐに頭に浮かんできたのは、なんとも幼い約束で。
「こいつを返すから、また逢おうって約束だ」
十年以上も前の約束。
存在すらも、記憶の中に埋もれていたのだから、それが叶ったとは思えない。
きっと叶う日の為にこの箱の中に入れて、それ切りになっていたのだから。
この動乱の世であるのだから、幼き日の優しい記憶など、振り返っている暇はない。
政宗に至っては奥州筆頭を担う身であるから、一々遠い昔の事を気にしてはいられなかった。
これだけ時間が経っていれば、きっと相手も同じだろうと成実も思う。
でも、一文銭を光に翳すその横顔は、なんだかとても懐かしそうで、眩しそうで。
「今でも、殿はそいつに逢いたいか?」
成実の再びの問い掛けに、政宗は今度は言葉を持って答える事はしなかった。
黙して光を見つめる瞳が、それだけで全てを物語っている。
遠い日の約束が、今もまだ、生きていると言うのなら。
手繰り寄せて、みようか
あの日の想いを、もう一度
終
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後書き
おしまい。