弐拾玖


















最後の最後まで








どうか、この手を離さずに、ずっと




















































「――――――――幸!!!」


「政宗様!!」














響いた声と同時に、地を蹴る音。
子供達が振り返れば、待ち侘びた人達がいて。







「兄上!」
「小十郎!!」







俄かに喜色に染まる子供達の間近に迫る、血錆の刀。
それを目にした瞬間、兄と従者の瞳の色が一変する。




小十郎が脇差を抜き、川の向こうから一閃にそれを跳ばす。
真っ直ぐに空を切り裂いた切っ先は、錆びた刀を握る落ち武者の肩に深々と突き刺さる。
引き攣った醜態の悪い悲鳴を上げる落ち武者に、政宗と幸村は身を固くした。

カチャリと鍔鳴りの音がして、落ち武者の手から刀が零れ落ちる。
政宗の足元に突き刺さったそれに、政宗は思わず後ずさった。


地を蹴り、信幸が川の上を飛ぶ。
一足飛びには足らない距離、濁流の中に隆起した石に左足を置き、そのまま直ぐに跳躍した。
抜き身の刀が陽光を反射して鋭く光り、同じく信幸の眼光も険を帯びる。
対岸に着地すると爆発的な速度で距離を縮め、落ち武者の崩れた鎧の隙間を狙い、薙ぐ。

―――――愛する弟に刃を向けたこの男を、信幸は赦すつもりはなかった。
しかし、まだ幼い子供達の前で血飛沫を見せる訳にも行かぬ。

刀の峰で力の在る限りをもって、続け様に顎目掛けて刀を振り上げた。
頚動脈に強烈な一撃を喰らった落ち武者は白目を剥いて昏倒する。



それでも狂気に陥った落ち武者は意識を手放す事はなく――――否、既に意識らしい意識は殆ど残ってはいなかった。
血走った目で信幸を、その後ろに守られる二人の子供を睨み付ける。





信幸は刀の切っ先を落ち武者の首へと突きつけた。














「退け」














呟かれた言葉は単調で、冷たい音を持っている。
弟の幸村でさえ気いた事のないような。









「これ以上、我が弟に狼藉を働くと言うのならば、即刻斬り捨てやろう」










幸村のよく知る優しい兄ではなく。
戦の中で見えた者のみの知る、冷徹な顔。

常軌を逸した落ち武者にも、これ以上は触れてはならぬ逆鱗だと判った。


砂利を踏む音がしてその音の主を探れば、川岸の縁に小十郎が立っている。
腰の刀に手をかけた男の眼は鋭く、強暴な光を宿していた。







「政宗様は我が主。手を出すのなら、此方としても容赦せぬ」







落ち武者の手が僅かでも子供達を狙おうとすれば。
その瞬間に間違いなく、落ち武者の首は二つの刃によって胴から離れる事になるだろう。







「……ぐ……ぬ………」
「子供に血は見せたくはない。生き延びたいと思うなら、今直ぐこの場から消え失せろ。そして二度とその面を見せるな」







鷹揚のない信幸の声が、彼の怒りの程を何よりも知らしめている。
小十郎は感情の一切をなくした表情を浮かべていた。

二人の子供は互いに互いを支えられながら、ようよう立っている。
眼差しは怯えの色が滲むものの、やはり落ち武者をぎっと睨み付けていた。



落ち武者の引き攣った声にすら、誰も反応しなかった。









気迫に気圧された落ち武者は、悲鳴のような声を上げ、茂みの向こうに消えて行った。










それを見送るのも無駄な事と、既に信幸は興味を失っていた。
刀を鞘に納めると、固まっている子供達に振り返る。







「怪我はないか? 幸」
「……あにうえ……」






温和な笑みを浮かべた兄は、幸村のよく知っている、優しい兄。
じわりと涙の滲む子供に歩み寄ると、幸村は政宗と揃ってへたりとその場に尻餅をついた。

慌てて小十郎が駆け寄り、ぐったりと疲労の色を濃く滲ませる主の背中を支える。






「政宗様、ご無事で……!」
「……おせーんだよ、ばかやろう……」
「幸!」
「あにうえぇ!!」






悪態を吐く主に、抱きついて泣き出した弟に、二人の大人はそれぞれ安堵する。






「すまぬ、もっと早く追い着ければ良かったのだが……」
「うぇっ…ひっく…あにうえぇ……」
「佐助の目印も、お前ほど覚えていなくてな。お陰でこんなに遅くなってしまった。すまぬ、幸…」






尻尾がなくなり、ざんばらに揺れる髪を撫でて謝る兄に、幸村は何度も首を横に振った。
そんな愛する弟に信幸ははんなりとした笑みを浮かべ、強く抱き締めた。


政宗の顔を覆う包帯が解け掛けている事に気付いた小十郎は、眉根を寄せた。
ゆっくり巻き直す時間などなく、仕方なく手拭で覆って応急処置とする。
それを政宗は何を言うでもなく黙って受け入れて、こちらもようやく、詰めていた息を吐く。

政宗の視線が、泣きじゃくる友達へと向けられる。
色々と無理をして足も手も、とにかくあちこち痛かったが、大好きな友達が無事でいる事が、何よりも嬉しかった。




川の向こうの茂みが開き、一同が振り返る。

茂みの中から顔を出したのは、最初の野盗達を一手に引き受けた鬼庭綱元。
更には小十郎と信幸のそれぞれの愛馬。






「おう、やっと見つけたぜ」






主の無事と、その友と。
追って森に入った二人の大人を認め、綱元は表情を崩す。

嘶く馬も主達の無事を喜ぶように尻尾を揺らした。






「なんだ政宗、腰抜けたのか?」
「なっ……ばか言え! そんなじゃねえ!」
「そーかそーか」





綱元の言葉に吼える政宗だったが、実際、立つ気力もない。
精一杯振り絞った力は既に欠片も残っておらず、小十郎に支えられていなければ地面に倒れこんでいる所だ。
口だけは元気な政宗に、それだけ言えれば十分だと綱元は笑った。



むすっと唇を尖らし、拗ねた顔をする主を、小十郎は苦笑して抱きかかえる。
常ならばそうして子供扱いすると反発する政宗だったが、自分がどんな状態であるか把握している今、
情けない感はすれども下ろせとも言えず、黙って小十郎の腕の中に収まっていた。

幸村も政宗と同じように兄の腕に抱かれ、少しずつ落ち着きを取り戻している。
羽織をぎゅうと握り締める小さな手は、ようやく震えも収まって来ていた。


それぞれの愛する子供を抱えたまま、信幸と小十郎は川を渡る。








「そんじゃ、行こうか」







綱元のその言葉に、小十郎が頷く。


政宗と幸村の視線が交差した。
腕に子供を抱く二人もそれに気付き、互いの顔を見合わせる。








「……ゆっくり行こうか、片倉殿」







此処から街道に戻るにも、国境に辿り着くにも、さしたる時間はかからない。
それなら、急ぎ走る必要もあるまい。










「ええ、そう致しましょう」









小十郎の言葉に、信幸も、綱元も満足げに頷いて。
腕の中の子供達は、綻ぶ花のように笑む。



小十郎の馬に政宗が乗せられ、手綱が握られる。
その後ろに幸村に乗せられて、少し戸惑った後、幸村はしっかりと政宗の背に身を寄せて。
手綱を握る政宗の手に、自分の掌を重ねる。

大きさの変わらぬ手のひらから伝わる温もりが、どちらも好きで。
歩き出した馬の背に揺られて、政宗と幸村は笑った。



























子供達が頑張ったのは、もう傍に迫る別れの為。
笑って繋いだ手を離す為。


そしていつの日か、もう一度その手を繋ぐ為。









その日の為にもう一度、しっかりと手を繋ぐ。




























   


キレた兄上書きたかった。
幸村と反対で、何処までも静かになるとか……だったらいいなぁ。