弐拾鉢














怖くなかったって言ったら嘘になる





怯えてなかったって言ったら嘘になる













だけどそれは、君がいなくなるという事に対してだった






































ブツ、と小刀の刃が断ち切ったのは、拘束する腕の腱等ではなかった。
それでも同じ役目を意思なく持たされていた幸村の尻尾のように長い髪は、その役目から解放された。










動き回るたびに小動物の尾のように揺れていた後ろ髪が、ざっくりとなくなった。
拘束がなくなった事と、後部が軽くなったことに対応し切れなかった幸村が前方へと傾いた。
姿勢を直す為に動いた腕を反射のように掴み、政宗は幸村を背に隠して後退する。


断ち切られた幸村の髪は、束になって落ち武者の手の中に収まっていた。






「――――ゆきむら! だいじょうぶか!?」
「う、ん……あ、ありがと」
「おう!」





濁流を背にして、政宗は幸村を庇い立ち、落ち武者と対峙する。









「こ…の……ガキがぁああああ!!!!」








獲物に逃げられたのが、然程に気に入らなかったのか。
瞳孔が開き、正気も捨て去った落ち武者が刀を振り上げた。

およそまともな人間の見せる眼ではない。
初めて目の当たりにした狂った人間の様相に、政宗は足が竦み、幸村は目を瞠る。
それでも政宗は小刀を構えたまま、きつと目の前の落ち武者を睨み付ける。
臆すればこの命など藻屑に消えてしまうことを、理屈ではなく、本能的に知っていた。



振り下ろされた刀の切っ先は、僅かに政宗の前髪を払い、包帯に覆われた顔の右側を掠った。
眼球がない為に其処は完全に政宗にとって死角となっており、振り下ろされた刀が何処に行ったのか、一瞬判らなくなった。
横一線に向かって来る刃に気付いた時には、遅い。

だが、二撃目も政宗の頬を掠める以上の傷を負わせる事は出来なかった。
後ろにいた幸村が咄嗟に政宗の襟元を引っ張り、今度は幸村が政宗を庇う形になる。


返す刀が幸村に向かう。
丸腰の幸村がその後どうなるのか、脳裏に過ぎった映像に、政宗は蒼白になった。










「ゆきむら!!」













母に打たれた時も、小十郎に目玉を刳り貫かれた時も、痛みなんて感じなかった。
打たれた時は、身の痛みよりも心の方がずっと痛くて、それに比べたら身体の痛みなんて欠片も感じず。
目玉を刳り貫かれた時は、その瞬間の痛みよりも、何処か開放感の方が勝っていたから。

成実と遊んでいる時に転んでも、小十郎や綱元相手に剣術稽古をしていた時でも。
打ち付ける痛みはあったけれど、それはその時限りのものだから、なんともなかった。
母に打ち捨てられた時の事を思えば、この身を襲う痛みなんて些細なものだったのだ。



けれど、だけど。





此処にいる、大好きだと言ってくれる“友達”だけは、失いたくなくて。










起き上がって手を伸ばすよりも、刀が幸村に届く方が早い。
叫んだ言葉がなんだったのか、政宗にもよく判らない。
止めろと言ったのか、止めてくれと懇願の言葉になったのかさえ、記憶にない。




だが、政宗のそれは杞憂で終わった。




金属音のぶつかり合う音がして、政宗は瞠目する。
政宗に背中を向けたままの幸村は、倒れることもなければ揺らぐ事もなく、しっかりと其処に立っていた。


刀を受け止めたのは、幸村の両手よりも僅かに大きな鉄の塊。
黒漆に塗り潰されたそれは、幸村の帯の中に仕込んであったもの。

誰より信頼を置く傍付きの忍の少年に、護身用にといつであったか手渡された苦無。
手入れなどされていない、とうの昔に暗器としての役目を終えたそれを、佐助は幼い主に譲った。
武器としての殺傷力の程は殆ど失われているが、身を守る道具として持つには十分な代物。




幼くとも、父や兄がどんなに我が身のうちで庇護しようとも。
真田と言う氏を持ち、武士の子として生まれた以上、その身を守る力は必要。








「う……!」







この期に及んで尚戦おうとする子供達。
落ち武者はそれすらも厭うように、刀を一度力任せに押し切った。

刀の刃は苦無を滑り、幸村の首から離れ、幸村は力に負けて押し退けられる。
小さな背中が横凪に倒されたのを、政宗は後ろで見ていた。
落ち武者の姿が目の前に晒されると、政宗はすぐに小刀を持つ手に力を入れ、地面を蹴る。








「いいかげんにしやがれ、てめぇ!!」








こんな奴に、いつまでもかかずらわっている時間はない。
幸村の兄と小十郎が追いついて来るまで、自分達は無事で、五体満足でいなければならないのだから。



濁流に阻まれて、向こう岸には戻れない。
前に進むには、この落ち武者を退けるなければ。

逃げられないなら、腹を括るしかないだろう。


この手を握る、何よりも大好きな友達を失わない為に。





地面に伏せた幸村は、打ち所が悪かったのか、意識を失っている。
此処で自分が僅かでも臆せば、幸村がどうなるか。


正気を失くした落ち武者の眼は、奈落から這い上がってくるもののようで気味が悪かった。
小刀を持つ手が僅かに震えている事に、自分自身で気付かないふりをする。
怖いと思えば余計に怖くなる、怯えてしまえば相手に付け込む隙を見せる。

怖くなんてない、恐ろしくなんてない。
背中にいる友達を失う方が、もっとずっと怖い。




ゆらりと、血錆のついた刀を揺らし、落ち武者が政宗を見下ろした。








「ちょいと相手してくれって…だけだろうがよ……なぁ、童ぁ…」
「へっ、死んだってごめんだね! ゆきむらだって、わたすもんか!」







落ち武者の鳴らす、唾鳴りの音が耳障りだった。
濁流の音に全て飲まれてしまえばいいのに、と思う。

あの雨の日、氾濫した川は小さな身体を二つ陸から浚っていった。
あの日のように、この男も攫われて行ってしまえば良いものを。
いっそ川に蹴落としてやろうか。


頭の中を巡るのは、どうやって今のこの状況を打破するか。
気を失った幸村を抱えて走っては、すぐにこの危険な落ち武者に追い付かれてしまう。













「わたさねぇし、傷つけねぇ! あんなに泣かしちまったんだから、もう二度と!!」














泣いた顔なんて、見たくない。
笑った顔が見たい。


もう直ぐ、別れてしまうのだから、尚の事。







もう一度、手を繋いで。







頭上から振り下ろされる刀に向かって、臆さずに。
血錆のこびり付いた刀身は何度見ても足が竦むけれど、腕は思ったとおりに動いてくれた。

手の中の小刀の刃を上に返して、落ちてきた刃を受け止める。
頭上から全力を持って圧し掛かってくる力と、真っ向から勝負する気はない。
ほんの少し刀の刃を傾ければ、錆がガリガリと耳障りな音を立てて剥がれた。


前進する。
芯を外して最も持ち手の力のかからぬ鍔部分で、政宗は小刀を手放した。
下から押し上げてくる力の作用あっての均衡は崩され、落ち武者が姿勢を崩す。

地面を蹴って、ぼろぼろの甲冑の罅割れた部分に向かって飛び込んだ。
小柄でも全身を使っての当身はかなりの威力になり、甲冑の罅が広がる音を鼓膜が僅かに拾っていた。




石の多い地面に落ち武者が背中を打ちつけ、もんどり打った。



幸村が小さく呻いたのが聞こえ、政宗はすぐに駆け寄った。








「ゆきむら! おい、立てるか!?」
「まさむね……う、ん、へーき」







二、三度頭を振ってから、幸村は僅かによろめいたが、自分の足で立ち上がる。
またすぐに走ろうとした時、ゆらりと影が起き上がり、







「……しぶてぇな……!!」






ヒュー、ヒュー、と掠れた呼吸を繰り返す落ち武者に、政宗は顔を顰めた。























































落ち武者は、酷く機嫌が悪かった。





人など滅多に来ない森の中で、珍しい客が来たと思った。
それも子供二人だなんて、本当に珍しい。

一人は生意気そうな子供で、もう一人はそれに比べれば従順そうな子供。

気に入ったのは従順そうな子供の方で、一見すれば女子にも見える顔立ちに、何年ぶりか知れない劣情が湧いた。
抱くのなら肌の柔らかい女の方が断然良かったが、負け戦以来こんな場所で住み暮らしていれば無理な話。
ならば子供でも構うまい、と蛆が湧いたような頭で考えるまで、然程時間はかからなかった。


声をかけた時に怯えた顔をしたのが、また面白かった。
長い髪を掴まえて触れてみれば、子供特有の高い体温と、滑らかな肌触り。

こいつなら良いな、と思った。



刀で少し脅せば、子供は大人しくなり、もう一人は逃げるだろうと思った。
近くに保護者なりいるだろうとは思ったが、戻って来るまでに子供を連れて逃げてしまえばいい。
入り組んだこの森の中を自在に歩き回れる者は早々おらず、落ち武者は悠々と戦利品を運んでいけると思っていた。
どうしてももう一人の子供が逃げようとしないなら、足の一本でも持って行ってしまえばいいと。


上等な生地の着物を着ているのだから、農民の子でないとは判っていたが、それでも十にもならぬ幼子である。
身を守る術を持ってはいても、目の当たりにした危機に命をかけるようなものでもないと。








だが、予想に反して子供達は反撃した。


一度掴まえた気に入った子供は、長い髪を断ち切られ、逃げられた。
邪魔だと斬り捨ててしまえと思ったもう一人の子供は、従順そうな子供に庇われた。

入れ替わりに立ち上がり向かって来る子供に、次第に苛立ちばかりが募って行く。
堕ちた者にとって、その子供達の眩しさは、神経を逆撫でさせるものでしかなかった。



腹に当身を食らって、完全に頭に血が上った。




もういい。
もう殺す。

楽しめないのは残念だが、もう鬱陶しい。
キイキイ甲高い声を上げるのも鬱陶しい。
生意気に睨んでくる瞳も、何もかも。





落ちていた刀を拾う。

頭から二つにかち割ってやろうと思った。
血錆に塗れて切れ味などとうに忘れた刀が、何処まで子供の頭部に食い込むかなど、そんな事はどうでもいい。
此処にいる生意気な子供が殺せるのなら、黙らせるのなら、もうなんでも構わなかった。

従順そうな方は、喉を裂いて声を奪う。
女の悲鳴は耳に心地良いが、子供悲鳴はただ煩いだけだ。
後は両の腕と足を使い物にならなくして、怯えた顔を見ながら首を跳ねてやろう。


面白い。
その方がずっと面白い。








先ずは、この生意気な子供から。























友を抱えて立ち尽くし、睨みあげる子供に向かって、今度こそ殺してやると血錆の刀を振り下ろした。

























   


今回の目標 → 佐助の庇護を匂わせる。
一所懸命に戦う子供達。