弐拾碌











この温もりが、あれば





この手が、あれば














何処へだって、何処までだって、行けるから










































「――――――――っぎゃああああああああああっ!!!!!!」













無粋なほど無遠慮な悲鳴に、その場にいた男達全員が目を見開いた。



野太い悲鳴は喉を裂かれた子供達のものではなく、守るべきものを喪った大人達の悲痛な叫びでもなく。
予測し得なかった痛みに悲鳴を上げたのは、二人の子供を押さえつけ卑下た笑みを浮かべていた山賊の一人の方だった。

かしゃんと音がして酷い刃零れをした刀が地面に転がる。
男は顔を刀を持っていた片手で押さえてもんどりうち、指の隙間から瞳孔の開き切った充血した眼球が覗いた。






「いいかげん、はなせっての!!」






未だに押さえる片腕に苛立ったように、政宗が肘を男の股間に叩き込んだ。
顔と急所の二箇所に言い難い痛みをぶつけられた男は、よろよろと情けない姿勢で後退する。





「佐助にもらっためつぶしだ! とうがらしいっぱいの!」
「ざまみろ、ばーか!!」





自慢げに言った幸村に、政宗はもんどり打つ男にべっと舌を出す。



刀がひかれる直前に、幸村は着物の袖に入れていた目潰し玉を取り出して男の顔に投げつけた。
佐助から護身用にと貰ったそれは今まで忘れ去られかけていたのだが、今日でようやく日の目を見れた。
卵の殻に仕込まれた大量の唐辛子の粉は、男に当てられて破裂し、男はそれをふんだんに吸い込んだ。
唐辛子の持つ強烈な刺激臭は男の目鼻に痛みを持たせ、生理作用で涙が出て視覚を麻痺させていた。

僅かに遅ければ刀は子供達の喉を引き裂いていただろう。
それでも二人は、一矢報いてやる方を選び取り、怯えを掻き消して啖呵を切った。


甘く見ていた、大人の負けだ。






「この糞ガキ!!」
「うわっ!?」
「まさむね、こっち!!」





道を塞いでいた山賊達の一人が踊りかかる。
寸でのところでそれを避けた政宗の手を幸村が引っ張り、茂みの中に入り込んだ。






「ちっ……追っかけろ!」
「させるか!」






数人が茂みに入り込んだところで、綱元が残りを負わせまいと間に割り入る。






「小十郎、追え!」
「言われずとも! 真田殿、案内願います」
「承知!」






躊躇わず駆け出した小十郎を追い抜いて、信幸が前を奔る。


茂みよりも背の低い子供達の姿は既に確認できなくなったが、それを追い駆ける山賊の後姿は見える。
けれども普通に追い駆けていては袴で機動力に劣る自分達では追い付けない。

幸村も恐らく、政宗を先導して走っているだろう。
この辺り一帯に兄弟が来る事は滅多になかったが、それでも何度か通ったことはあるし、
幸村に至っては御付の忍の少年と一緒に此処に来て忍の隠し道を教えて貰った事もあった。
兄よりもこの周辺については詳しいだろうから、恐らく安全な場所を見つけて隠れるに違いない。




先ずはあの山賊達を討ち取らねばならない。
それも、徹底的に。









愛する者達に刃を向けたのだから、それは当然の報いだった。










































山道を駆ける子供達の足取りに、躊躇いや迷いというものはなかった。

幸村は、時折周囲の風景を確認するように見回しながら、政宗の手を引いて走り続ける。
半歩後ろからそれについて走る政宗は、幸村の向かう先を疑おうとはしなかった。


後ろから迫ってくる追い立てる野太い声は止まないけれど、それよりも繋がった手の温もりが何より強い力になる。
喉元に突きつけられた刃の冷たい鋭さを忘れはしないが、だからといって足を止める理由にはならなかった。
寧ろ止まってしまった方が危険なのだと、それぐらいは幼い思考でも直ぐに予想がつくものだ。

幼い自分達には先刻以上に出来ることなんて幾らもない。
それでも何よりも頼りになる人達が追い駆けてきてくれているのは判っている。
だから今の自分達に出来る事は、何者よりも速く速く走る事。
後ろを追い駆けてくる野太い声に捕まらない事。






「――――――ちょっとまって!」





幸村が唐突に足を止め、辺りを見回す。
政宗は後ろから迫る気配に意識を半分向けながら、いつでも走れるように身構えた。

忙しなく動いていた幸村の目がある一点を見つけると、手を引いて駆け出す。




「まさむね、こっち!」
「おう!」





一つ高い茂みを越えて、二人揃ってまた走る。
道なき道を進む幸村は、まるで慣れた場所でもあるかのように林の中を走って行く。



街道のように整っている訳もない荒れた山道が子供の足元を覚束無くさせるけれど、止まることはしない。
地面に落ちて転がる小枝が時折足を引っ掻いて痣を残していた。
だがそれよりも、落ち武者風情の格好をした男達の方がこの山道に苦戦しているらしい。
野太い声が止むことはなかったが、幾らか声が遠退いているようにも思えた。

特に持ち物もない、身軽な格好をした子供達。
それに対して、恐らく見た目のいかつさから恐怖心を煽ろうと朽ちかけの鎧を纏った山賊達。
聊か険しさを増した山道においてどちらが有利かなど簡単な話だ。





「だいぶはなれたぜ」
「まだだめだよ、見えないとこまでいかなきゃ」
「小十郎のやつ、おいつけるのか…?」
「だいじょうぶだよ」





言いながらまた幸村が止まるから、政宗も足を止める。
全力疾走と一時停止を繰り返す子供達の息は、まだ幾らも乱れてはいない。


きょろきょろと辺りを見回す幸村に、一体何を探しているのかと政宗は今になって不思議に思った。
何か目印を探しているようにも見えるのだが、政宗から見て此処はなんの変哲もない雑木林でしかない。





「ゆきむら、なにさがしてんだ?」
「めじるし」
「そりゃそうだけど。なんにもないじゃん」
「あるよ。しのびのめじるし」





そう言って幸村はまた走り出した。
手を引かれるから、政宗も当然倣って走り出す。






「しのびの?」
「佐助がおしえてくれた!」






それって自分に教えていいのか、と政宗は思ったが、問いかけたのは自分の方が先だ。
何よりそんな物があると言われても、周囲の風景に何かしらの痕跡があるようには見られない。
忍にしか判らないようにしてあるのだろうし、これ以上自分が問うことでもないと政宗は決めた。

今はとにかく無事に逃げ延びる事だけを考えて、手を引く力に全てを委ねる。



―――――あの、大雨の日。
川に落ちた時は、政宗の方が幸村を引っ張った。
幸村は、政宗の腕に身を任せた。

あの日とは状況も景色も何もかもが違うけれど、それでも繋いだ手だけは変わっていない。


あの時、政宗は幸村の手を離さなかった。
川の真ん中の浮島まで、自分よりも幾分か小さな体を抱えて泳いだ。
濁流に揉まれながら、それでも繋いだ手を離す事だけは自分自身が赦さなかった。

だからきっと、なんの根拠も何もないけれど、政宗は自信を持って今の全てを幸村に委ねる。
川の中でただじっと掴まって、幸村が自分に全てを委ねてくれたように。







「それで、どこまで行くんだ?」
「兄上が…おいついてくれるなら、いいんだけど」






走りながら後ろを振り返っても、追ってくる気配は物騒なものしかない。
直ぐに前に向き直って、全速力で走って行く。





「むりそうだな」





政宗の呟きに、幸村が小さく頷いた。





「あのね、このさきに川があるんだ」
「川? わたれるのか?」
「うん。ながれが早いから、およぐのはむりだけど、とび石にできる石があるから、それで……まさむね、だいじょうぶ?」
「ゆきむらの方こそ、おちるなよ」





落ちても助けられるか判らない、と言外に問う幸村に、政宗はにやりと笑って言う。
不敵に笑ってみせる友達が心強くて、幸村は平気だよ、前にも渡った事あるもん、と言い返した。


幸村が記憶している川の幅は、それなりに大きなものだった。
一度だけ佐助に連れて行ってもらったことがあるその川は、大人でも泳いで渡るには少々無理がある。
飛び石代わりに使う岩は、大人が使うには少々苦しい小さなものしかなかった。

川を渡ってしまえば、がしゃがしゃと重い鎧を身にまとう山賊達が追ってくるのは難しくなるだろう。
それでも追ってくるようならまた逃げて、兄と従者が追い付いて来るのを待てばいい。





幸村の言葉通り、程無くして見えた川まで来ると、二人は一端足を止めた。








「……たしかに、早いな……」
「……まえは…こんなにじゃなかったけど」







上流で雨でも降ったのか、川の流れは幸村が覚えているよりも遥かに早い。


どうどうと唸りを上げ激しい波音を立てる川に、政宗は僅かに躊躇を覚えた自分がいた事に気付き、唇を噛む。
隣を見遣れば、幸村は当に覚悟を決めたような顔つきで、その瞳に迷いは見えなかった。

それがこの地を知る者と知らぬ者との差であろうか。

思ってから、政宗はついさっき見た幸村の腹の括りようを思い出した。
近付くなと自分がどんなに怒鳴っても、嘘でも嫌いだと言って見せても、幸村は見つめるものから目を逸らすことはしない。
何もしないで怖気づいて後で後悔するくらいなら、考えるよりも先に前に進むことを考える。
後先を考えないその思考回路は酷く単純明快で思慮に欠けたものであったが、反面、迷わない事はとても強い事だ。




激しい川の流れの中で、幾つか飛び出したように顔を見せている岩がある。
大人が足場とするには小さく、足元を預けるには濡れて危うい。

それでも二人は真っ直ぐにそれを見据えると、どちらともなく互いの手を強く握り締めた。


















追いかける気配を知りながら、振り返らずに。