弐拾伍










ただ、守りたいだけだ




この手に掴んでいるものを














この手を繋ぎ続けていたいから






































大好き、と。


ほんのりと朱の頬で笑って告げるのは、本当は少しだけ辛かった。
口にすればする数だけ想いは募り、繋いだ手を離したくなくなって、後少しの距離を歩くのが酷く辛くなる。
だけれど伝えたい言葉を伝えずにいて後で後悔するのも嫌で、一所懸命笑顔を作った。
言う時も、言われた時も、一瞬だけ喉の奥が引き攣った感覚がしたけれど、それも隠して。

それに、こうして告げる事が出来る喜びが、後少しの別れへの悲しみよりも上を行った。
あのまま別れていればお互いに痣を残したまま、本当に伝えたかった言葉を伝えられずにいたのだ。
それを思うのならば、今こうして、目の前の手を繋ぐ存在に想いを伝えられる事の方が余程大きい。




だからあと少し。
あと少しだけ、このままで。

繋いだ手が離れる事無く、短くて緩やかな刻の流れの中にいたい。









そう、思っていたのに。





































何か小さなものを見つけては、子供達は手を繋いだまま一緒になって駆けて行く。
其処に何があるのか大人達には判らなかったが、子供の目線と言うものはいつ何時でも面白いものらしい。
街道の上を飛んで旋回する鳶にさえ子供達は心を奪われ、追い駆けるように走り出すのだ。

あの無邪気さは、子供でなければ持ち得ない。

繋ぐ手の温もりがどんなに大切かという事も、それを握り返してくれる相手がいるという事も。
大人になっていくうちにそれだけでは信じられなくなってしまうけれど、今はまだ幼いのだから。
無遠慮な思惑と腹の探り合いなど無粋なだけで、ただ其処にあるものを信じられる。
時として大人の理屈の上を行く子供達の本能的な想いは、きっとどんなものよりも子供達の強さを証明してくれている。




――――眩しいものを見るように目を細めてそれを見ていた信幸だったが、不意に自覚するよりも先に足が止まった。
少し後ろを歩いていた綱元がそれに気付き、訝しげな声で呼ぶ。





「真田殿?」
「……如何致しましたか?」




呼ばれてようやく己の足が止まっていた事に気付き、握っていた手綱の先の馬を見遣る。
馬は主が唐突に立ち止まった事を不思議に思っているようで、首を傾げてこちらを見ていた。





「何かありましたか?」
「あ、いや……」
「何もって感じじゃないが……」
「…………」





辺りを見回す信幸に、小十郎と綱元も何事かあったのかと周囲を見回す。


頂上を通り越してなだらかな道を半分程下れば、国境になる。
子供達がその道をゆっくりと、出来る限り引き伸ばしていたいと願っているのは判っているつもりだ。

前を歩く子供達は、大人達が立ち止まった事に気付いていないらしい。





その傍らの茂みが、不自然に揺れ子供達が目を瞠るのが見えた。















「幸!!」















気付いた直後、幼子達に向けて振り下ろされた太刀。
弟へと声を張り上げた信幸に驚き、小十郎と綱元も幼い主へと目を向ける。

反射神経のいい子供達は、咄嗟に後ろに跳んでそれを避けた。
が、満足の行く体重移動までもは出来ず、足をつけたその場にぺしゃんと尻餅をついてしまった。


がさりと茂みを分ける音がして、幸村と政宗の前に昏い瞳の男が現れる。
朽ちかけた鎧に手入れなど到底されていない伸ばしきった髪と無精髭、よくよく見れば刀の刃零れも酷かった。








「上等なモン着てるじゃねえか、童共……一つ、俺に分けちゃくんねぇかぁ?」








卑下た笑みを浮かべてべろりと覗いた舌に、子供達は言いようのない恐怖を感じて震えた。






「幸、此方に来い!」
「政宗!」
「政宗様!!」






兄と従者の呼びかけに、幸村と政宗がはっとしたようにこちらに顔を向けた。
信幸は腰の刀に手をかけ駆け出し、小十郎と綱元も走る。

如何すればいいのか、一瞬子供達は判らなかったらしい。
一拍置いたがそれでも政宗が立ち上がり、幸村の手を引くと二人一緒に走る。


しかし。






「おっと!」
「なっ……!」
「新手…!!」





ざっと横合いから割り込んで来た数人の別の男。
やはりこちらも落ち武者染みた風体をし、酷い刃零れをした刀を信幸達に向ける。

構わず切り捨てて進めばいい、と信幸が刀の濃口を切った、直後。






「あうっ!」
「うっ……ってぇ! 何しやがんだ、はなせ!!」






間に介入者が入った事で足を止めてしまった幸村と政宗が、後ろから来ていた山賊に捕まった。





「政宗!」
「貴様等……!!」




綱元と小十郎も刀を抜き放ち、眼光鋭く山賊達を睨む。
信幸の瞳には穏やかさとは程遠い冷たさが漂い、威圧感を醸し出していた。
だが山賊達はにたにたと神経を逆撫でする笑みを浮かべている。

山賊達が余裕を保っているのは、子供達が自分達の後ろに、更にその後ろに自分の仲間がいるからだ。
自分達が動いた瞬間に子供達を斬って捨てる事だって出来るのだと。
彼らが来ている上等な服の布地だけでも売れば金になるのだから、それを着ている子供達の事など如何でもいいのだ。



――――――先程信幸が不意に足を止めたのは、これが原因だったのだ。
第六感的な僅かに引っ掛かっただけだったから、信幸ははっきりとこの危険の接近に自信が持てなかった。

あの時急ごうとしなかった自分に、信幸は酷く腹を立てていた。






「は、なしやがれ、このやろう!」
「うーっ……!!」





一人の男に拘束された幸村と政宗は、どうにかそれから逃れようともがく。

腕の中でじたばたとする子供達に苛立った男が、忌々しげに舌打ちする。
黙らせるにはこれが良い、とでも言うようににたりと気持ちの悪い笑みを浮かべた後、男は刀の刃を二人の喉元に当てた。
ひやりとした刃の冷たい鋭さに、二人がぎくりと体を強張らせる。




「そうそう、大人しくしてろよ、坊主共」
「幸……! 貴様!!」
「てめぇらも動くんじゃねえぞ! こいつらの首が飛ぶぜぇ?」




刀を構え姿勢を低くした信幸に対し、山賊達は笑う。






「く………」






小十郎と綱元が苦虫を噛み潰した顔で刀を下げる。
彼等は元より主を守るために傍についているのだ。
幼い主を危険に晒している今だけでも、二人は酷く腸が煮えくり返っている事だろう。

信幸だけは冷たい目で刀を構えていたが、其処から動くことはしなかった。
道を塞ぐ男達を斬り捨てる事は簡単だったが、それをしても子供達にはまだ手が届かない距離。
近付く前に錆びた刀の刃は子供達の喉笛を切り裂くだろう。
けれども自分が刀を下げてしまえば子供達が無事に済むかと言えば、その保障は何処にもない。





男達の間から、子供からも三人の大人の顔が見えた。


苦渋を舐める顔をして道を塞ぐ山賊達を通り越し、幸村と政宗を押さえる男を睨みつけている小十郎と綱元。
打開策はないかと刀を構えた姿勢のまま、動くことがままならない信幸。

それらを見つけた幸村の手が、すぐ傍にあった政宗の手を掴まえた。
一瞬驚いて目を瞠った政宗だったが、其処にある温もりの正体に気付くと、小さな手で同じ小さな手を握り返す。
喉元に突きつけられた刃は酷く怖かったけれど、繋いだ手に、少しだけ。



力が湧くような、気がして。






――――このままでいれば、幸村と政宗は勿論、信幸と小十郎達まで無事ではいられない。
三人は自分達の身の安全を最優先としているのが判ったから、余計に子供達には歯痒かった。
自分達が捕まりさえしなければ、こんな事にはならなかったのだから。

強く押さえつけて来る男の腕は、まだ子供の自分達の手では振り払えない。
下手に身動ぎすれば喉に当てられた刀が皮膚を破って来るだろう。


もっと力があればいいのに。
何度そう思ったか判らない。

もっと力があれば、こんな風に足手まといにはならないのに。
自分の身を自分で守り抜けるだけの力があれば、こんなにも悔しい思いはしないのに。






でも、今は一人じゃないから。














「小十郎! 綱元!!」













弾けたように、子供特有の高い声が響き渡る。
突然の大音量を間近で聞いた男は、耳が痛くなったのか顔を顰めた。

















「めいれいだ! かまわねえ!! こいつらぜんぶ、たたんじまえ!!!!」




怖くないと言ったら、嘘になるけど。
今この場で、足手まといにしかならないような自分達の事なんて気にしないで。

















高らかに響いた声は、喉に突きつけられた刃の恐怖など微塵も感じさせないもので。
子供らしく大きいけれども、幾らか切れ長の眼光は鋭く煌く。

信幸がその隣の幸村を見やれば、僅かに震えてはいたけれど、それでも強さを感じさせる瞳を見せる。


二人の間で繋いだ手は、強く強く握られて。







「っるせぇんだよ、この童共!!!」







間近で子供達の強さを見せ付けられた男が、刀を持つ手に力を込めた。
それに大人達の脳裏に、一瞬最悪の未来が過ぎる。






「幸!!」
「政宗様!!」





幸村が構わないと言っても、政宗が主の立場として構わないと言っても、 やはり三人にとって何よりも大切なのは弟で、幼い主であるのだから、万が一にも喪う事はあってはならない。

刀が引かれれば、子供達の命は終わる。


今の自分達の半分も生きていない大切な子供が命を落とす――――…そんな事は初めてではない。
戦の繰り返される乱世の世で、戦火に巻き込まれた子供が命を落とし、親を喪った子は餓えで死ぬ。
それを致し方ないと諦めた訳ではないけれど、遠目に哀れに思わなかった事がない訳ではなかったけれど、
今ほど彼等の脳裏に脅迫めいた感覚が襲って来た事はなかった。

喪ってはならない、終わらせてはならない、守らなければならない。
守る為に強くなった自分達の手で。
















守る為に死ぬ覚悟なんて、まだ必要ないのだから。



























響き渡った声は、悲鳴か、慟哭か。





























   


もう一悶着。