弐拾参













零れた涙は大地に還り





溢れた言葉は空に溶ける













そうして、いつしか其処で芽吹く想い







































じんわりと視界に膜を作る水が邪魔だと思った。
目の前の大好きな友達の顔をもっとちゃんと見たいのに、その膜が邪魔をする。

零しちゃいけない、零すような場面じゃない、と口をへの字に噤んで必死になって堪えていた。
けれどそうしていると何故だか息も一緒に出来なくなって、益々目の前の膜の滲みが大きくなっていくのだ。
だから、そういう場面じゃない、と何度となく自分に言い聞かせているのに。


目の前の大好きな友達はと言えば、目を一杯に開いたまま、ぼろぼろと涙を零していた。
耐えることなんて忘れたように、まろい頬を大粒の雫が伝い落ちて地面に消えていく。
それを見ていると釣られて我慢が限界になりそうだったから本当は目を逸らしたかったのだけど、
頬を包む小さな両手がそれを厭がっているような気がして出来なくて、でも本当は自分が目を逸らしたくないだけだ。

真っ直ぐ射抜く瞳はきらきら綺麗で、そのきらきら綺麗な瞳が好きだと思った。
この瞳に自分が映っているのを見ると、きらきらの中で自分もきらきらしているような気がして嬉しかった。
自分もこの子供と同じようにきらきら光っていられるような気がしたから。



目の前の子が口を真一文字に噤んでいるのは、怒っているからではない。
いや、絶対にちっとも怒っていないとは思ってはいないけれど。
でも真一文字に噤んで口を閉じている本当の理由は、そうじゃないんだとなんとなく判ってしまった。






今、口を開けたら。
絶対に泣いてしまう。






けれど政宗は、今この場で声を上げて泣く事を、惨めな行為だとは思わなかった。
きっと目の前のこの子も同じだ。

だから、それを悟った瞬間に。













…………子供達の声は、広い広い蒼に響き渡っていった。

















































声を上げて泣き出した弟を、信幸は優しい瞳で見つめていた。
その瞳には少しの淋しさも入り混じっていて、それはきっと弟が一つ大人への階段を上ったからだろう。
まだ十にも満たない幼子ではあるけれど、今まで知らずにいた想いを今始めて抱いているに違いない。




“友達と別れたくない”

そんな想いを、きっと。




今まで御付の忍の少年ぐらいしか遊び相手はいなかった幸村だ。
そういう事を全て抜きにした友達なんて初めてだったと思う。

御付の少年は未だに修行で帰って来ないが、それでも済めば自分の元に必ず帰って来るのだ。
友達と言うには近すぎる密接した関係ではあるけれど、だから幸村は今まで“別れ”というものに無縁であった。
母の顔を幸村は覚えていないし、父や兄は家を開けることは多いけれど、それでも今まで帰ってこなかった事はない。




……これが、弟の初めての“別れ”。







子供達の泣く声は、高く高く、響いて空に溶けて消えていく。
紅と蒼の正反対の色の着物を着た子供達は、どれ程大きな声を上げても離れようとはしなかった。

友達の頬を包んでいた幸村の小さな手に、友達の手が重なった。
ぼろぼろと零れていく子供達の大きな涙粒は地面に落ちて消えて、判らなくなってしまう。
けれど確かに、零れた子供達の気持ちがあったのは其処にあるのは間違いない。


その子供達の向こう側で、同じように二人を見つめている若い青年――――小十郎がいた。
彼は信幸の視線に気付くと顔をあげ、目線を合わせて頭を下げて礼をした。

―――――彼と自分は、共犯者だ。
そっと信幸が地を踏み締めて歩き出すと、同じように彼も歩を踏み出した。
同じ歩調で、丁度真ん中で泣きじゃくる子供達に近付いていく。




そして、互いの表情がはっきりと判る程度の距離になると、どちらともなくそれ以上進むことを止めた。







「………お世話に、なりました」
「……いや……」







頭を垂れて呟いた小十郎の言葉に、信幸は小さく首を横に振る。





「その言葉、そのままお返しする」
「いえ」





同じ事を言う互いに、苦笑が漏れた。

今朝は見なかった若い男は、話について行けていないらしく、眉根を寄せながら歩み寄ってきた。
その瞳は信幸に向けられる時は胡散臭そうなものを見る目であったが、子供を見る目は優しい。
彼も、小十郎と同じなのだと信幸は直感した。



わあわあと声を上げて泣く子供は、周りの事なんて知りもしない。
このまま気が済むまで泣かせてやるのもいいだろうが、それまで待てない事を残念なことに大人たちは理解していた。
互いに握り締めた小さな手がどれほど強い力で結ばれているのか、判っているつもりでも。

上げられる声を上げ切って、喉が疲れたのだろうか。
泣く声が嗚咽に変わり、小さな肩がしゃくり上げるのを見て、大人たちは子供達に歩み寄る。






「……っひ…ぅぇっ…っう……」
「…く…ぅ……ふっ……」







子供達の眦から零れ落ちる涙は留まる事を知らず、大粒のそれがまろい頬を滑り落ちていく。


足音が聞こえたのだろう。
子供達はそれぞれ、自分を庇護する大人達へと振り返る。





「…えぅっ…うっ……あ、にぅえ…っ……」
「………こ、じゅ……」





ぽろぽろと落ちていく涙を、子供達はきっと止める術も誤魔化す術も知らない。
耐える事だけ覚えて、それが限界になってしまった時、どうしていいのか判らない。

繋いだ手を離したくないのだと、見上げる弟と幼い主。
出来る事なら、自分達だってそれを望みたかった。
真っ直ぐに見上げてくる瞳を、いつだって裏切りたくはないと思っていた。




「幸」
「政宗様」






名を呼んで、小さな肩に手を置いた。



政宗が小十郎を見上げる。
主を見下ろす青年の瞳は慈愛にも似て、政宗は開きかけた口をまた閉じてしまった。
小十郎が云わんとしていることを、己が選ぶべき道を判っているからだろう。

それでも小さな手が離れる事はなく、それが政宗の精一杯の抗議なのだと小十郎も判った。
声を上げる事を耐える事に慣れてしまった幼い主の、体現できる精一杯。


それを見た幸村が、またくしゃりと顔を歪める。
ぎゅ、とそれまでよりも強く手を握って、お互いの手が鬱血してしまうんじゃないかと思うほどの力。

そして何よりも政宗と違うのは、兄を見真っ直ぐ見上げて口を開いた事。






「――――…っいやです!」
「……幸」
「………ゆきむら……」






隠すことも包む事もしない、瞳と同じぐらい真っ直ぐな言葉。
それを聞いた信幸は苦しげに眉を寄せ、政宗の眦にまたじんわりと雫が浮かび上がる。




「……幸、彼には彼の帰る地がある。判るだろう…?」





幸村が何処まで政宗の事を知っているのか、信幸には判らない。
それでも政宗が本来いるべき地がこの甲斐の国でないことは判っているらしく、幸村は兄の問い掛けに素直に頷いた。
頷いてからでも、と小さな声で呟くのが聞こえて、信幸は無力な自分に嫌気が差した気がした。
友達と共に在る近い未来すら約束してやれぬ自分を。

幸村も、自分のいう事がただの我侭であると判っているつもりだった。
兄や父や御付の少年が、何処に行っても家に帰ってくるように、大好きな友達にも帰るべき本来の場所がある。
どんなに傍にいたいと願っても、ただ周りの優しい人たちを困らせてしまうだけだと。







「っ…で、も……いやです……っ…!」







精一杯の声を出して呟くと、幸村はまた声を上げて泣き出した。
触発されて泣き出しそうな政宗を宥めるように、小十郎が政宗の背を撫でる。





「……政宗様……」
「……ばか小十郎」
「…………はい」





従者の顔を見ないまま呟かれた言葉に、小十郎は苦笑する。
謝るでもなく、詫びるでもなく、ただ少しだけ申し訳なさそうに目を閉じた。











こうする事で、振り切った気持ちがまた湧き上がることは判っていた。
思い出と一緒に置き去りにするつもりだった想いを、手放せなくなってしまうことも。

一度決めた覚悟が揺らいでしまえば、もう一度捨てる事が一度目より難しくなってしまうということも。



黙って見守っていれば、子供達は自分達の方法でいつか折り合いをつけたかも知れない。
得たものを捨て、欲しかったものを諦め、手放したくなかったものを記憶の隅に隠すように置き去りにして、
そうして幼い日に何よりも欲しくて溜まらなくて手を伸ばした存在がいたことを、忘却という形にして。
一番楽しくて笑った日の事も、その時の笑い方も、一番悲しくて泣いた日の事も、その時どうして泣いたのかという事も。
笑った時、泣いた時、その隣に何よりも替え難い存在が傍にいてくれた事も、何もかも。

生きて行く中で何度となく繰り返される邂逅と別離。
大人になってからも否応なく体験させられることになるだろうけれど、今はまだその時でなくていい筈だと大人達は思う。
今はまだ楽しかった日々は日向に咲く向日葵に、悲しかった思い出は水辺に浮かぶ睡蓮に咲かせてもいい筈だ。
だから今はまだ、もう少しの間だけ、“捨てて生く”ことをして欲しくなかった。


思うよりも、子供達が強いことは判っている。
大人が考えるよりもずっと、生きて行く強さを持っている。

それでも手を差し伸べてしまうことを、子供達が果たして望んでいるかは判らない。
だからこれは単なる大人達の自己満足で、己の理想を押し付けているだけとも言えるだろう。
子供達には、子供達の生き方があるのだから。





けれど、こうして泣きじゃくって手を繋いで、離れたくないと叫ぶ子供達を見て。
押し隠そうと、諦めようと、忘れてしまおうとしていた想いを精一杯吐き出すのを見てしまったら。

――――――“ああ、良かった”と思う事は、本当にただの傲慢とは言えない気がした。












「…なくなよ、ゆきむら。泣くなってば……」
「やだ……」
「泣くなって言ってんだろ。おれまでいやになるじゃんか……」
「やだ。やだ、やだ、やだ、やだぁ……」





泣きじゃくる幸村の頭を、政宗の手が撫でる。
幸村の手は、自分を撫でる手とは逆の政宗の手を両手で握り締めていた。





「………ばかやろ………」





真っ直ぐ自分を求めてくれる友達に、政宗が泣き顔のままで笑った。





「そんなに言うなよ。これでおわかれじゃないんだぜ」
「でもっ…でもぉ……っひぅっ、えくっ……」





目尻に涙を溜めながら、政宗が一所懸命それを零さないようにしているのが大人達には判った。
泣きじゃくる幸村を宥めるように頭を撫でながら、瞬き一つで溢れそうになる雫を誤魔化す。
そうして撫でる手が、回数を重ねる度に離れ難くなっていく。

目線の高さは同じだけれど、少しだけ政宗の方が高い。
幸村は頭は俯き加減のまま、上目遣いになってそれを見つめていた。


幸村が握り締めたままの政宗の手は、まだ解放されそうにない。
それを見つめる信幸と小十郎は、どうしたものかと顔を見合わせて眉尻を下げる。

引き合わせたのは自分達、無為に永久に等しい別離にはしたくなかったから。
だから此処で自分達が子供達を引き裂くのはとんだ間違いだ。
このままではいられないと、判ってはいる、けれど。








「―――――ならよ、坊主」







その時、それまで状況の説明も碌になく置いてけぼりだった男が言った言葉は、ほんの少しの気休めでしかなかった、けれど。











「もう少し、見送っちゃあくれねぇか?」













猶予があってもいいじゃないか。
まだ、彼らは幼い子供なのだから。
















あと少し。


もう少し。






このまま。


























大好きな友達の温もりを、感じていたい。




























  


ホントしつこいほど引っ張り好きの書き手ですいません。
まだ終わらない……(滝汗)!!

わんわん泣く二人はどうしても書きたかった。