拾七














ゆるしてほしいなんていわないよ








だからせめて



すこしでもながくおぼえていて











































そう。
そうだ。

どうでも良かった。





見つけた時は、本当に。









何処かのじゃじゃ馬な女子が長い棒切れを振り回しているのを見つけたのは、偶然だった。



小十郎の小言を聞き飽きて、かと言って街中を見るのも飽きて、なんとなく川沿いを歩いていた。
あまり見通しの良い場所だと、探しにきた小十郎に見つかった時に面倒だとは思った。
見つかり易いし、隠れ難いし……開けていれば逃げるのに不自由しなかったけれど。

貴重な砂糖のお菓子を一つ一つ口の中に放り込みながら、ぶらぶらと川沿いの土手の上を歩いていたのだ。
其処に何を求める訳でもなく、強いて言うなら面白いものはないか、なんてそれぐらいの気持ちで。



しばらく土手を歩いていたら、じっとしている赤を見つけた。
華美ではないが緋色の着物は上等な生地である事が判り、貴族が何処かの子供なのだと予想がついた。
ぼんやりと川を眺めるその表情は見て判るほどに退屈を映し出していたが、それでも政宗はどうしようとは思わなかったのだ。
どうにも女子の手合いは苦手であったから、可愛い顔してるなぁと思いつつも、通り過ぎようとしていた。


川面をぱしゃぱしゃ跳ねさせる音が聞こえて、それから小さく何か呟いたのが聞こえた。
何を言ったかまでは、その時は判別できなかったけれど。

そのまま通り過ぎていこうとした所で、突然気合を入れるような声が聞こえた。
きっと本人が思っている以上に響いたその声に、情けないと思いつつも政宗は一瞬肩を跳ねさせてしまった。
それから見ていて下され、と言った後、その女子は落ちていた棒切れを二つ拾って振り回し始めた。






なんとなく、その様子を政宗は立ち尽くして見ていた。






形も何もなっていないように見えたけれど、しばらくすると舞を踊っているようにも見えた。
持っているのが棒切れなどではなく、例えば扇子であれば美しく見えたのではないだろうか。
後ろで括った長い髪もふわふわ揺れて、政宗は最初、踊っているものだと思っていた。

けれど、女子は時折、目の前にいる何かを突いたり払ったりするような動きを見せた。
流麗な動作で突き、払い、振り下ろし、止まることなど知らぬかのように。

その中に、まだまだ幼い故か荒や粗雑な動きも見えていたけれど。




武家の女子が勇ましい男親に憧れたりする事は、ままある。
修練する兄や父の真似事をしたり、という事も。

あの子も多分そうだろう。
そう思いながら眺めていたら、途端、ぴたりと舞が止まってしまった。
それから、背中を向けて止まっていた子供がこちらを振り返った。










真っ直ぐ向けられた瞳は大きくて、きれいで、透明だった。











初めて見たその瞳に、吸い込まれるんじゃないかと思った。
でもその後、きっとそれはないと思った。

だって、自分の右目。
こんなのだったら、吸い込んでなんてしてくれない。
汚いから、弾き出されてしまうに違いない。


そう思っているのに、もっとずっと、このきれいなきれいな目を見ていたくて。







『女がそんなものふりまわすなよ』








意識せずに口を突いて出たのは、そんなものだった。






























































真っ直ぐ見つめてくる子供の瞳が、零れるんじゃないかと思うぐらいに開かれる。
其処に映りこんだ子供の方は、反対に瞳を細めて、蔑むような表情をして見せる。






「ばっかじゃねえの。本気にしてたのかよ」
「だって…だって………」
「こっちはな、笑うのがまんするのたいへんだったんだぜ。いっつも、ばかみてぇにここに来てさ」






“友達”から向けられる言葉に、幸村は今が現実である事が信じられなかった。
だってこの“友達”からそんな言葉をかけられるなんて思ってもいなかったのだ。
どんなにじゃれあって、それが喧嘩に発展しても、口から出てくる悪口に本音なんて何処にもなかった。
鈍い鈍いと佐助に言われる幸村だけれど、そういう所は敏感だったから、幸村はあの言葉を疑う事はなかった。

目の前が一気に歪んできて、視界がぐにゃぐにゃになって、自分が泣いているのだと判る。
まだそれは零れ出してはいなかったけれど、心の中は煩いくらいに泣き叫んでいた。
それが全部表に出てこないのが、逆に不思議になるくらいに。



少年の表情は何処までも冷たく、其処に一昨日まであったあの優しい瞳は何処にもない。
毎日のように一緒に遊んで、あの鋭い眼光は決して冷たいものではないと知った筈なのに。





「さいしょはおもしろかったけどさー、やっぱ、もうあきたし」





背中を向けて、後頭部で手を組みながら、少年は言う。


その後姿も、一昨日の鬼ごっこで追いかけていた背中と何も変わらないのに。
少し面倒臭そうに片足に体重を乗せながら空を仰ぐのは、いつもと何も変わらないのに。

聞こえる言葉は、全部冷たくて。








「もうやめた」









肩越しに振り返った顔は、包帯に覆われた側で、どんな表情をしているのか判らなかった。


それぐらいに、其処にある溝が大きいのだと。
否応なしに感じさせられたような気がして、幸村は崩折れそうになるのを必死で耐えた。














「じゃあな」















――――――その言葉が聞こえた時、何かが破裂した気がした。




足元の小石の群集を蹴って、歩き出したその背中を追いかけた。
距離なんて最初からあってないような程度のものだったけれど、酷く長い距離に思えた。

必死で伸ばした手は、容易く相手の腕を捕まえることが出来た。
幸村よりももう少し濃く日焼けして、痣になっているのは一昨日の鬼ごっこで転んだ痕だ。
心配したらへーきへーき、と笑って、続きやろうぜ、と幸村よりも先に走り出したのを覚えている。
その腕を離さないように、離れていかないように、無我夢中になってしがみ付くように捕まえた。


捕まえたその腕が振り払おうとしたけれど、幸村は絶対離さない、と誰に対してでもなく誓うように思った。





「はなせよ!」
「やだ!」
「もう、おまえなんかともだちじゃねえんだよ!」
「わたしにとっては、ともだちだもん!」






この少年が。
政宗が。

なんと言ったって。


自分にとっては、幸村にとっては、大事な大事な友達で。
此処でこの腕を離したら、この存在を離したら、二度と戻って来てくれないような気がした。
それはとてつもなく嫌で背筋が凍るようぐらいに怖くて、絶対死んでも離すもんかと思った。



だけれど、いつも力じゃ政宗には敵わない。








「はなせって、言ってんだろっ!!!」







怒鳴られたぐらいじゃ、離したりしなかった。
なのに、半身振り向き様に肩を強く突き飛ばされて、体勢を崩す。
そのまま持ちこたえる事が出来ずに腕を離してしまい、後ろに蹈鞴を踏んだ。

後ろにあるのは、川だ。
其処でびしょ濡れになって遊んだ事だって何度もあるし、落ちたぐらいじゃ溺れたりしない。
一度だけ、大雨の日に落ちたけれど、普段はとても穏やかで静かで、優しい川だ。
子供を浚って行ったりなんてしない、いつも此処でささやかな流れる音だけを聞かせてくれる、川だ。

なのにその瞬間だけは、水底が見えないぐらい深いような気がした。















「ゆき」














政宗の呼ぶ声が聞こえたような気がしたけれど、はっきり認識するよりも前に川に背中から落ちてしまった。

直ぐに起き上がったから溺れたりする事はなかったけれど、いつもに比べて水が随分冷たい気がした。
この川の水がこんなにも刺すように冷たいなんて思ったのは、あの大雨の日以来だったと思う。


顔を上げれば、川原に立ち尽くした政宗がいる。
いつも幸村が川の中で転ぶと駆け寄ってきたのに、今はそれもない。
少しだけ瞠目しているようにも見えたけれど、歪んだ視界でそれははっきりと、そうなのだとは幸村には判らなかった。








なんで。
なんで。

なんで来てくれないの。
なんで手を伸ばしてくれないの。
なんで一緒にいたいと思っちゃいけないの。





ずっと前に父や兄に我がままを言った時のような事ばかりが頭の中を駆け巡る。
あの時宥めてくれた佐助は此処にはいなくて、唯一此処にいる“友達”は溝の上を越えて来てはくれなかった。
川と川原の距離なんてないようなものだけれど、その境目を、政宗は超えてきてくれなかった。


その距離が。
その意味が。

判りたくないのに、判ってしまったような気がして。

























それまで我慢していたものが、もう限界だ、と。
頬を伝った熱いものは、川に落ちて濡れた所為じゃない。


























じっと見下ろす政宗にも、それは見えていて。
今すぐにでも駆け寄っていきたいのを耐えれば、握った拳の中で爪が食い込んだのが判った。

この震えに、気付かれていないといい。







怒るだろうと、思っていた。
これだけ言えば、騙されていた事に、騙した事に怒るだろうと。

単純な幸村は揶揄えば直ぐに怒ったから、今回もきっと、と思って。



最後に見るのが怒った顔だというのは少し寂しくもあったけれど、笑ってさよならなんて出来そうになかったから。
この何処までも素直で明るくて、真っ直ぐな“友達”の前では、体裁なんてちっとも繕えやしないのだ。
だから全部嘘だった事にして、虚言だったのだと塗り固めれば、と思って。

それに、怒らせたらほんの少しの間だけでも覚えていてくれるかと思った。
真っ直ぐな“友達”は、嘘をついた自分のことを赦さずに、憤りの中でだけでも覚えていてくれると。
それもいつかは風化して消えていくのだとしても、ただ楽しいだけの思い出よりは強く根付いてくれる。
恨みや妬みという暗い感情が、鬱陶しいほど強く印象づく事を、政宗は幼いながらに知っていた。
……自分が、そう感じたから。



だから、だから。
だから全部嘘だったんだと言ったのに。










なんで
……なんで、泣くんだよ











いつもけらけら笑っていた。
釣りを教えるとおっかなびっくり、一所懸命に覚えようとして。
魚の掴み取りだって最初の頃に比べれば随分上手くなったし、怖がったりしなくなった。
棒切れで打ち合いをすればどんどん強くなっていくのが判ったし、負けたくないと思うようにもなった。

時々怒って、二人揃ってムキになって喧嘩もしたけど、それでも“友達”だった。
口を突いて出てくる悪口に本音は一つもなくて、あれもただのじゃれあう遊び道具の一つだったに過ぎない。
お互いに本音が何処にあるかちゃんと判っていたから、疑いもしなかった。


泣いた回数は、それの一割にも満たないと思う。
思い出して浮かんでくるのは笑顔が殆ど。

でも、幸村の泣いた顔は嫌いだと思った。




……だから、嘘をついたのに。















ああ、やっぱり。



















背中を向ければ、追ってくる気配はなかった。
多分、立つ事も考えていない。


ずっと川の中にいる気かよ。
風邪ひくぞ。
早く出て来いよ。


言いたい言葉は何一つ音にならなくて、音に出来なかった。
今此処で振り向いたら何もかも台無しだ。
折角覚悟を決めてきたのに、やっぱり此処にいたい、なんて言える訳がない。





もう、決まった事だから。
もう、決めた事だから。





走り出したら不自然だ。
どうでもいいと言ったから、どうでもいいようにしなきゃ。




 だけど、やっぱり。





























ほんとはやっぱり、ずっといっしょにいたいんだ。
































落ちた雫は、誰にも知られる事はない。

それがどちらのものだったのか。
それは、誰も知らなくて。






子供の叫び声を、誰も聞くものはいなかった。






























  



物語の前半に幸せを詰め込むと、後半辛くなってきた時自分で痛い……
ごめん幸村、ごめん政宗ぇええええ!!!