拾碌














あったかいのはずっとそばにあるって












しんじて、うたがうことなんてないと










































ざり、という足音に幸村はぱっと顔を上げた。
そうすれば思ったとおり、待ち続けた子供が其処にいた。









「まさむね!」









名前を呼んで立ち上がると、幸村は弾む足取りで駆け寄っていった。
緋色の上等な生地の着物の裾が揺れて、健康的に日焼けした肌が覗く。
その日焼けは此処暫く毎日この川原で遊びまわって出来たものだ。

真夏までこの調子だったら、きっと幸村はもう一月経つ頃には真っ黒に日焼けしているだろう。
その頃には、この川原に来る子供の影はもう一つ増えているだろう。
きっと彼はびっくりするに違いない、自分が彼抜きでこんなにも駆け回ったことなんてなかったと思うから。
川の中に入って遊んだりなんてしている所を見たら、彼は一体どんな顔をしてくれるだろうか。


想像するだけで胸が躍るのが止まらない。
きっと楽しくて楽しくて、それ以外のことなんて絶対にないんだ。



だから本当は数分前まで、一発殴ってやろうなんて思っていたなんて言わない。




一歩手前まで来ると、幸村は立ち止まって笑顔になる。






「まさむね、きのう、なにしてたの? こじゅーろさんに、おこられてた?」






いつも口煩い、口煩い、と言っていた人の名前を出してみる。
少しだけ政宗の肩が揺れたのを幸村はしっかり見つけていた。

だったら仕方ないよね、と幸村は言った。
政宗はじっとこちらを見つめていて、何も言わない。
きっと図星で当てられたことが恥ずかしくて黙っているんだと、幸村は思った。







「今日はおにごっこのつづき! まさむねがおにだよ」







幸村は残っていたあと一歩分を踏み締めて、政宗のすぐ目の前に立つ。
其処まで距離がなくなっても、政宗は決して目を逸らしたりはしなかった。

政宗は幸村が彼の姿を認めた瞬間と同じ格好のまま、其処に立ち尽くしていた。
少し目尻の鋭い瞳は真っ直ぐに幸村に向けられ、逸らされる事はない。
濃い目の茶色の色合いをした髪は、項の辺りで括られて、鳥の尻尾のように少し跳ねていた。

そしていつも真っ先に伸ばされて幸村の手を捕まえる手は、何故か今日に限って下を向いたままになっていた。



そんなにきつく叱られたのだろうか。
物心付くか否かの頃に、幸村も父・昌幸から随分とこっぴどく叱られた覚えがある。
それは父が息子を心配しての言葉ではあったのだが、幼い日、幸村は何故叱られたのか中々理解できなかった。
佐助に意味を教えて貰うまで、立ち直れないんじゃないかと思うほどにへこんだものだ。

そんなにも政宗が叱られる理由は思いつかなかった幸村だったが、名しか知らない彼の兄のような存在にも色々あるのだろう。
自分達が気にしていないことを見守る者は気にするものなんだと、いつだったか佐助に言われた気がする。






「……まさむね?」






あまりに返事をしない政宗に、幸村は戸惑いの表情を浮かべて名前を呼んだ。

名前を呼んだら、いつだって返事をしてくれた。
だから今回もそうだと思って。







「……まさむね、どうかした…?」







それでも返事をされなくて、幸村はざわりと胸の奥で何かが騒ぎ出すのを感じた。



……その感覚は、一昨日初めて感じたものと同じもの。
昨日ずっと、一人で抱いていたのと同じもの。







(きかれたくなかった……?)







思い返すと、自分もあまり叱られたことを人に言われるのは好きではなかった。
言われたことを思い出して辛くなってしまうし、出来れば誰にも触れて欲しくない。

だから政宗は黙っているんだ。

幸村はそう思って、どうしようかと頭を悩ませる。
政宗の様子がいつもと違うのも気になるし、でもあまり言われたくないみたいだし、
かと言って放っておいていいのかすら、幸村には判断しかねるところがあった。



…遊べば、気が紛れるかもしれない。

かけられる言葉なんて見つからない幸村は、行動することに決めた。
手を伸ばして、いつもと逆に、幸村の方が政宗の手を取った。






「それよりさ。ね、おにごっこのつづき、やろうね!」






くっと手を引いて、幸村は一歩歩き出した。

その時。



















乾いた音を立てて、手と手が離れた。


















「……まさむね…?」





出会ってから何度も手を繋いだり、握ったり繰り返していた。
そんな中で、こんな事が起こるなんてなかったし、幸村は予想してもいなかった。
だから余計に、今何故こんな音がしたのかさえ判らない。

顔を僅かに伏せた正宗の表情は、前髪に隠れて幸村から見ることが出来ない。
そっと覗き込もうとすると政宗は明後日の方向を向いて、幸村には包帯に覆われた横顔が晒された。





どうして。





幸村の胸の中のもやもやしたものが、ざわざわしたものに変わる。
中途半端に浮いた手からじんじんした痛みが伝わって、何が起きたのか、ゆっくりと認識されていく。



叩かれた。
振り解かれた。


今まで何度も何度も手を伸ばしてきたけれど、こんな事ははじめてだったと思う。
佐助は手を伸ばせば仕方ないと言うように握って、兄は抱き上げてくれて、父は抱き締めてくれた。
政宗はいつだって照れ臭そうに笑って、その手を取って、一緒に駆け出して……

それがはじめて、伸ばした手を拒絶された。
拒絶、された。






「………まさ」
「さわんな」






呼ぼうとした声を、遮られた。
それさえ、はじめての事で。



















「おまえなんか、ともだちじゃない」



























真っ直ぐに向けられる瞳は、いつものように強い意志を湛えて。
けれど決定的に違うのは、まるで恨むように、鋭い光が睨みつけているという事。



幸村は大きな瞳を見開いて、政宗を―――――……目の前の少年を見つめた。
“友達”と同じ顔をした、その見慣れぬ表情を浮かべたその少年を。







「………え?」







忌むべきものを見るように、理解など其処にはないと言うように。
冷たい瞳が其処にあって、幸村はそれに心の臓を突き刺され、挙句握りつぶされたような錯覚に陥っていた。


声は、いつもと変わらない。
顔の右半分を覆う包帯もいつも通り。
右肩の痣は一昨日転んだ時に出来たもの。

それらは何も変わってはいない筈なのに、幸村の頭の中で確かな矛盾と混乱が起きていた。
目の前にいる少年は“友達”の筈、ならば今彼はなんと言ったのだろう。
“友達”の皮を被った知らない誰かだというなら、目の前にいる彼は誰なのか。



揺れる瞳が少年を捉え、一瞬、少年の瞳が揺れた。





「……どし、たの…まさむ」
「よぶな!!」





怒ったような声だった、否、確かに怒った声だった。
幸村はびくっと肩を跳ねさせ、次の瞬間、自分の目頭が酷く熱くなるのを感じた。









「にぶいやつだな。わかんねえのかよ」








羽虫でも見るかのような瞳。
鬱陶しいものを排除しようと。

殺意にも似た、明らかな敵意。



鈍いって、誰が。
判んないって、何を。

問いたい気持ちと、聞きたくない気持ちが幸村の中で相反して存在する。
それはどちらも本音で、どちらを選ぶことも怖かった。
問うた先に帰ってくる言葉が怖くて、問わないままこの時間が流れ行くのも嫌だった。







そっと、少年に向かって手を伸ばす。



また、振り払われた。







「な……んで…………」





どうしてそんなに冷たいの。
どうしてそんなに睨むの。
どうしてそんなに怒るの。

こじゅうろうさんに怒られたって言ったから?
いつも遊びを決めるのはそっちなのに、勝手に鬼ごっこだって決めたから?
一昨日の続きだからってそっちが鬼だって決めて始めようとしたから?


判らない。
どうしてそんなに。




判りたくない。









「なんで? だから、言ってるだろ。おまえなんか、ともだちじゃない」
「―――――で、も!!」









声が震えているのが判ったけれど、幸村は此処でやめたら駄目だと知った。
向けられる瞳の冷たさの意味も、どうしてこんな風に言われなきゃいけないのか理由なんて関係ない。
























『おれたち、ともだちだな』
























先にそう言ったのは、彼の方。
その瞬間のことを、幸村は今でも鮮明に覚えている。

あの時彼がどんな顔をしてその言葉を口にしたのか、忘れた事なんてなかった。
嬉しくて笑ったら、彼も一緒に笑った。
それからずっとこの川原で一緒に遊ぶようになった。
気付けばその日々は日常の一つに組まれて、余程の事がなければ顔を見ない日なんてないくらい。




それが、なんで。








「ああ……あんなの、ちょっとからかってやろうと思っただけだよ」
「でも! でも、ずっといっしょにあそんでたじゃん!」








あの雨の日の事だって。
話してくれた、包帯の下の事だって。
繋いだ手のひらの強さだって。

何一つ、其処に偽りなんてなかった筈だ。
其処にあるのは、幸せで、暖かくて、何者にも変えがたかった時間。

















「さいしょから、おまえなんかどうでもよかったんだよ」



























なのにどうして、そんなに冷たい目で見るの?