拾伍














きょうのさよなら



あしたのさよなら








なきたくなるのはどっちだろう












































一人で川原に佇んで待っている。
一つ大きな岩の上に座って、足先だけを川の水面に浸している。

幸村はぼんやりと空を見上げて、いつもの声が聞こえてくるのを待っていた。
時刻はもう直ぐ正午を迎え、こんな時間まで一人でいたのは初めてだったのだと今になって気付く。






一人でいると魚釣りをする気にもならないし、水面を見ていても面白くない。
政宗と一緒の時は何をするにも楽しかった、それこそ二人で何もしないでぼんやり座っているだけでも。
水面に二人で足先を浸して、背中合わせになって空を見上げて、雲の形を見ているだけでも面白かった。
ふわふわと不定形で曖昧な形をしている空に浮かぶ白が、色んな形に見えたから。

暇つぶしに水面に石を跳ねさせて遊んだりしてみたけど、やっぱり何処か空虚な感じがした。
上手く跳ねてくれなくたって楽しかった筈なのに、今はただ虚しいだけだ。




どうしてこんなに遅いんだろう。
いつもなら今の頃には、もう隣にいる筈なのに。

奥州から一緒に来た口煩い人がいると言うから、その人に引き止められているのだろうか。
けれど政宗は今までにも何度も色々注意されて、その都度それを無視して抜け出してきたのだ。
煩い小言を聞くよりも、幸村と一緒に遊んでいる方が良い、と言って。
それとも今日こそは逃がさないとしっかり捕まえられてしまったのだろうか。


迎えに行ったら、なんて思ってもみたけれど、彼が何処で寝泊りしているかなんて知らなかった。
あの大雨の日、川に流されて、ようやく帰路につけた時だって、大路の途中までしか一緒にいなかった。
どちらも家を教えて欲しいとは言わなかったし、幸村だって教えなかった。

今になって、そんな些細な事を後悔する。








「まさむねぇ……」








一人で待つことは、決して慣れていない訳じゃない。
父と兄が戦場へ赴き、佐助が修行でいない時、幸村は一人で彼らを待っていた。
一人でいる事は決して好きではないけれど、耐えられないほど辛いことではなかった筈だ。

この日には帰るから、という約束が期せずして反故された事だって珍しいことではなかった。
自分だって時には約束を破ってしまうこともあったから、一々目くじら立てたりしない。

だからきっと政宗も、今日は少し遅れてくるだけだ。
そうやって自分に何度も何度も言い聞かせて、ふとした瞬間に零れそうになる涙を堪える。
武家の男は簡単に泣いちゃ駄目なんだ、と自身を奮い立たせようとしながら。



けれど不安が拭えない。
もしかしたら、もう此処には来ないような気がして、怖い。






「まさむね……」






早く来て欲しい。
そうしたらきっと、昨日感じた違和感は気の所為だったんだと判る。

今日は昨日の続きの鬼ごっこをする約束だ。
昨日は政宗の負けで終わったから、政宗が鬼になって、自分が逃げる。
疲れるまで追いかけっこは続いて、勝負が決まるのは二刻も経ってから、なんて事も多かった。
だから彼が来てくれれば、今までと何も変わらぬ日常が戻って来る筈だ。









だから、早く来て。





大好きなあなたと一緒に幸せだって思える日々が続くように。


























































数ヶ月ぶりに見た同僚に、小十郎が珍しくも渋面を向けていた。
その傍らで政宗は黙々と土産と称されて渡された饅頭を食べている。

そんな主従を前に座っているのは、鬼庭綱元であった。
政宗よりも十八年上の彼は、何かと父親のような言動を政宗に向ける。
政宗曰く彼を仮に父とするなら、何かと心配心配と口煩い小十郎は母になるのだろうかと、以前成実に漏らす程だ。
それ程に小十郎、綱元ともに、政宗とは従弟の成実と並んで近しい存在だった。
故に政宗の右目の経緯も、全て彼は判っている。



綱元が久しぶりに見た将来の主になるであろう子供は、相変わらずの仏頂面で饅頭を食んでいる。
取り替えたばかりの白い包帯を痛々しいと感じることは、もうあまりなかった。
けれども奥州にいた頃よりも日焼けしたようで、それについては満足した。

しかし反面、同僚である小十郎の渋面にどうしたものか頭を悩ませている綱元だ。
一見優男風のこの男が見かけほど弱い訳ではないと知ってはいるものの、こんな表情を向けられた事は嘗てなかったと思う。
何か自分が失敗した事があるだろうかと思い返してみるが、奥州から甲斐までの道中、何ぞ間違えた覚えはない。
此処に到着した日付もちゃんと手紙に記した通りであったと思うのだが……





「綱元、もうコレねぇのか?」






重苦しい空気を発する二人の重臣に、臆す事無く政宗が割り込んだ。

政宗が箱ごとかかえていた土産の饅頭は、既に残り二個になっていた。
この幼い主はこんなにも甘いものが好きだったのかと、初めて知ったような気がする。


思いの他早くなくなっていく饅頭に少々面食らいながら、綱元は政宗の質問に応えた。





「いや…その饅頭はそれだけだが、他にもあるぞ。見るか?」
「そーだな……こんぺいとう、あるか?」
「数は少ないが買ってきたぞ。なんだ、そんなに気に入ってたのか?」
「……まーな……」





奥州からこの甲斐までの道中で、邪魔にならない程度に買った土産。
それらを手渡して、最後に小さな袋に入った金平糖を渡した。

受け取った袋の口をあけてひっくり返せば、政宗のまだ幼い手に小さな砂糖菓子が転げ落ちる。
そのまま食べるのかと思ったら、政宗はじっとそれを見つめていた。
砂糖が溶けたら手がべたつくのは子供でも判るだろうに、政宗は見つめるばかりで動かない。



それをどうしたのかと見ていたら、急に小十郎が立ち上がった。
綱元が小十郎を見上げると、何かいいたそうな顔はしているものの、その唇は真一文字に結ばれている。


どうも二人とも様子が可笑しい。
甲斐に来て、若しくは此処までの道中で何かあったのだろうか。

まだあまり顔を知られていないとはいえ、奥州を統べる地主の息子と、その側近だ。
誰かに命を狙われても可笑しくなかっただろうし、道中で野党に襲われることもあるだろう。
…しかし二人は特に怪我をした様子もなく――政宗は小さな擦り傷や打ち身があるが、遊んで出来たものだろう――、
その道中と此処での生活を知らぬ綱元に取っては一体どうした事か、見当もつかない。





「……綱元殿、外で話しましょう」
「あ?」






突然、小十郎が言うと、そのまま彼は部屋を出て行ってしまった。
おい、と呼びかけてみても返事はなく、政宗はと言えば金平糖を袋に仕舞って、また饅頭に手をつけていた所だった。

訳も判らず、綱元は小十郎を追い駆ける。


宿から宛がわれた部屋の前に彼はいなかったから、取り合えず宿の外まで出た。
小十郎は戸口の傍に立ち尽くしていて、こちらに背中を向けている。
幼い主を一人にする事は少々気が引けたが、目立つ危険性はないことで頭から追い出すことにした。







全く、何がどうなっているのだろうか。



甲斐に来て数ヶ月ぶりに幼い主の顔を見て、綱元は本当に安心していたのだ。


奥州にいる間は過去の事もあり、年相応に振舞っていながら何処か大人びた子供だった。
右目のことを詰られても気丈な顔をして、誰にも頼るまいとしているようにも見えた。
成実や小十郎、綱元にさえ、甘えることを自ら戒めているようにも思えたのだ。
それはいつか人を背負って立つ男になる上で必要でもあるのだろうけど、同時に綱元は寂しくもあった。
人は誰も一人で生きていけない、時には頼ることも弱さを認めることも必要で、その為には幼少期の経験が大きく関わってくる。
政宗はその点に置いて過酷な状況にあって、いつしか本当に心を開くことはなくなっていた。

そんな政宗の何処か頑なに閉じられていた部分が、開かれたような気がした。
ほんの少しだけれど、数ヶ月前に見たものよりも子供の表情が和らいでいるように見えて。
この数日、どんな風に過ごしたのか問うたら、きっと面白い話が聞けるに違いない。



反面、宿に着くなり見事な渋面を見せてくれた同僚に対してはどうしたものか。
綱元が来てからろくに言葉を発しなかった彼。
結構長い付き合いであると思うのだが、こんな彼を見たことは初めてではないだろうか。

向けられる背中は怒気を含んでいるようにも見える。
正直、こんな怒りを向けられるような覚えは一切ないのだが。







くるり、と小十郎が振り返って、常は温和な光を宿した瞳に、緊迫の色が奔ったのが判った。

元々主の事になるとあれこれ世話を焼いて口煩くなる男であったが、此処までのものはなかっただろう。
やはり、甲斐に来てから何か状況が変わったのだろうか。





「綱元殿」
「…おう」





下手な返事をしたら抜刀されそうだ。
多分、ないとは思うが。

向けられる瞳に何処か必死なものを感じながら、綱元はそう思った。







「無理を承知で嘆願します」







重々しく開かれる唇から告げられる言葉。
まるで迫り来る命を狙う追っ手を、その手に引き受け、判っていながら討ち死にしようとするような。





「政宗様を今しばらく、この甲斐にて養生を続けさせて頂きたい」
「……あんた、手紙は読んだんだろう? だったら判る筈だ、これは上の決定だと」
「判っております。政宗様もそれを承知。されど、この甲斐で政宗様がようやく生きる意味を見つけたのも事実」
「…随分重い話だな……」





告げられた言葉に綱元が眉根を寄せる。


だが小十郎は愚か、主がなんと言おうと、もう時間切れなのだ。
数ヶ月の不在だけでも承諾するのに随分と時間がかかったのだから、これ以上の延長は望めない。
二人がどんな返事をしようと、最後に待つ結果はきっと変わらないだろう。

だがいつにない必死な様相の小十郎に、このままただ頭ごなしに突っぱねても無駄だと綱元は思った。
決して上の決定が覆らないことを知っていながら、綱元は小十郎の声に耳を傾けた。






「この甲斐に来てから、政宗様は少しずつ変わりました。歳相応の御子のように……

甲斐に来て出逢ったという子供の話しをする時、政宗様は本当に楽しそうに笑います。
きっと私達でさえ向けてもらうことは出来なかった笑顔を浮かべて、政宗様は彼のことを話します。

聞いているうちに判りました。
政宗様にとって、その御子がどれだけ大切な存在か、それによって甲斐にいたいと望んでいる事も。
政宗様とてご自分の立場は判ってらっしゃいますし、それでもまだ十にもならぬ幼子です。
思うままに、望むままに在りたいと思っても、何も悪い事ではないでしょう。
それがいつか人を背負う者として、許されぬことであったたおしても………」






小十郎さえ顔の知らぬ子供に会いに、政宗は毎日のように宿を飛び出していくのだと言う。
生傷を作って帰ってくることは珍しくなく、それでも政宗は決して痛そうな顔一つしない。
手当てをされながらも其処に出来た傷を誇らしげに眺め、翌日になればまた飛び出していく。

お気に入りの菓子を多めに持っていっては半分こして。
どちらともなく明日の約束をして別れ、次に出会える事を微塵も疑わない。
当たり前のように其処には幸せな日々が続いていくのだと、願いのように。



だけど、それを一枚の手紙が打ち壊した。



小十郎は頭では判っているつもりでも、楽しげに毎日駆け出していく主の背中に、中々言い出せなかった。
ようやく見つけた光に駆けて行く子供の背中を、誰が引き止めることが出来ようか。
増して全てを諦めたように手を伸ばすことを止めた子供が、無我夢中になって求めて止まないのだ。

間違いなく、政宗の中で甲斐で出逢った子供の光は息づいている。
それを今奪えば、きっと今度こそ、子供は何もかも諦めてしまうような気がする。






「少しの間で良いのです。政宗様がどうか…どうか傷付かない道があれば……」






この男なりに必死だったのだと、綱元も感じた。
母親のように口煩いこの男が、何よりも幼い主を重んじている事を綱元もこの場にいない成実も、政宗だって判っている。

少しでも傷付かないように。
少しでも。



だけど、そうやって時間を延ばすことは、







「……そうやってても、ただ政宗が傷付く事には変わらないんじゃないのか」






今日別れるよりも、明日別れる方が。
明日分かれるよりも、その次に別れる方が。

そう言っていつまでも先延ばしにして、政宗が傷付かない保証など何処にもない。
寧ろ長くいればいるだけ、政宗の心の光は大きくなり、離れられなくなるだろう。






「片倉殿の気持ちは判らんでもないし、俺だってあんたの立場だったらそう思っただろう。
だけど上の決定に逆らえない事は政宗だってよく判ってるし、自分がどうするべきかも知ってる。

答えを先延ばしにしても覆る訳じゃなし、寧ろ遅くなればなるだけ、帰ってからの政宗の居場所はなくなる。
俺はその所為で政宗が今まで以上に居心地が悪いのも嫌だし、政宗が傷付くのだって望むとこじゃねえ。
けど、だからって俺等が勝手に決めて良いことでもないだろ」






淡々と告げられる綱元の言葉は、正鵠であった。

重臣であっても、まだ十にも満たぬ幼さでも、決めるのは結局政宗だ。
定められた通りに奥州に戻ろうと、このまま全てを捨てる覚悟で甲斐に残るとしても。




どちらを選んでも楽にはならないだろう事だけが変わらない。






砂を踏む音がして振り返れば、独眼の幼い主が立ち尽くしていた。
話をすべて聞いていたのか、それはいつもの仏頂面の所為で判らなかった。

この顔が笑うのか。 今よりも更に幼い頃のものしか見たことがない綱元は、出来れば見てみたいものだと思う。
歳相応に笑うとどんな風にこの仏頂面が変わるのか、一度ぐらいは……―――――



けれど、きっと自分には見せてくれないのだろう。
一番の笑顔は、この地で出逢った友達にだけ許されたものだから。

それから引き離す自分に向けてもらえるなんて思っていない。














「二日ごに、かえるぜ」

















それでいいだろ、と。
端的に告げられた言葉は、震えてさえいなかった。

それが逆に、痛かった。

























  


当初出す予定のなかった綱元が登場です。
伊達家臣は最初、全くプランに入ってなかったのです。
どんどこ出てる……

小十郎が甘くて、綱元が厳しい……
小十郎はまだこの頃若手で、綱元は酸いも甘いも知っている、という事で。
綱元が政宗を呼び捨てなのは、まだ幼いので自分の息子的感覚なのです。