ほつれた糸は



からまって








だけど、はしとはしはむすばれたまま




































風の強い日。






がたがたと部屋の扉が鳴り、幸村はそれ以上の眠りを遮られてしまった。
そうなれば止むを得ず目覚めるしかなく、もうちょっと眠りたいと思いつつも、どうにか身体を起こす。

珍しく、佐助はまだ修行から帰って来ていない。
今までは長くても一週間そこらで帰ってきていたのだが、今回は随分と長続きしているらしい。
もう直、十を迎える佐助だから、本格的に始めなければならないのだと兄が言っていた。


いつも隣にある筈の存在がいない。
今までこういう日は酷く落ち着かなかったのに、どうしてだろうか。
決して佐助の事を軽く思う訳でもないのに、最近はあまり気にならない。

どうしてって、きっと友達が出来たからだ。
昨日も一昨日も、幸村はあの友達と一緒にいて、川原を駆け回っていた。
一度派手に転んでしまって小石で足を切ったけれど、政宗に傷口を布で覆ってもらって、応急処置はして置いた。
帰ってから兄に看て貰うと、くすくすと何が面白いのか判らないが、信幸は何処か嬉しそうに弟の手当てをしてくれた。
律儀に弟から言い出すのを待っている信幸に、いつ言おうかな、と幸村は最近考えるようにもなっていた。

その傷は既に瘡蓋になっていて、さしたる痛みもない。






風の音に意識を持っていかれた幸村は、目を擦りながら障子戸を見遣った。

それから今度は、部屋の中を見回してみる。
隣に同じように布団を敷いて、兄が眠っていた。


何時帰ったのだろうか。
少なくとも、幸村が起きている間ではない。


昨日は家に帰ってから、飯を食べて風呂に入って寝るまでを、ずっと一人で過ごしていた。
頭の中でその日一日の事を思い出して、時折口元を緩めながら。
眠る時も誰と喋る事もなく、明日何をして遊ぼうか、そればかりを考えて眠りについた。






「……あにうえ」





そろそろと布団から這い出て、幸村は傍らで眠る信幸の顔を覗き込んだ。


兄の寝顔を見るのは珍しい。
いつも幸村より遅く寝て、早く起きているから。
前に見たのはいつだっただろうかと思い出そうとしてみたけれど、結局判らないままだ。

久しぶりに見た兄の寝顔は、少し疲れの色が垣間見えているような気がした。
昨日は一体何処で何をしていたのだろう、と幸村は思う。





「……おつかれさまです」





その言葉は目の前で眠る兄だけでなく、滅多に顔を合わせられない父にも向けられたものだった。
戻って来た時に自分は何も出来ないけれど、いつか助ける事が出来たら良いと思う。





「う、ん……?」
「あ……」





呟いたのが聞こえたのだろうか。
瞼を震わせた信幸に、幸村は慌てて口を手で覆った。

だが無論、それで言った言葉がなくなる訳ではないのだから、信幸はそのまま目を開けてしまった。






「ああ……おはよう、幸」






殆ど目の前から見下ろしていた幸村の頭に、信幸の手が乗せられる。
結っていない髪を梳いてくれる手のひらに、幸村はほっと安心する自分を感じていた。





「おや……今日は風が強いんだな」
「はい」
「今日の外遊びは…危ないな」
「…そうですか?」





信幸の言葉に、幸村は些か表情に翳りを落とした。
僅かに頬を膨らませて、明らかに不満そうである。
けれど大雨の日のように我侭を言いたくはなかった。
何せあの時、兄に死ぬほど心配をかけたのだから、当たり前と言えば当たり前か。

だがやっぱり、あの川原に行きたい気持ちは誤魔化せなかった。
大雨の日だって川原に来てくれた彼だから、こんな日でも川原で自分を待っているかも知れない。

風邪をひいてしまった訳でもないし、怪我で足が動かない訳でもない。
なのに一緒に遊ぶ約束を反故にしたくはなかったし、きっと風の強い日にしか出来ない遊びだってある筈だ。
信幸の心配も判るのだけど、どうにも諦め切れない幸村だ。





「……風がもう少し収まったら、構わないよ」





そんな幸村の胸中を見たように――実際、幸村はすぐに感情が露になってしまう訳で――、信幸は言った。
幸村が顔を上げれば、いつものように穏やかな微笑を浮かべている兄がいる。





「幸の楽しみだからなぁ。気が進まないのは否めないのだが…私に、幸の楽しみを奪う事は出来んよ」





言って信幸は腕の幸村を抱いたままで起き上がり、膝上に乗せた。






「ただやっぱり、この間みたいな事になるのも、私は怖いんだよ」
「……はい」









この間。
あの大雨の日。


心配する兄に我侭を言って、大きな傘を借りて川原に行った日。
風に煽られて川に落ちて、浮島に取り残されていた数刻。
不安で溜まらなくて、傍らにいる存在だけが全てを繋ぐものだった。

雨が止んで川も落ち着いてようやく帰った頃には、既に月は下りつつあり、日付が変わっていた事だけは判った。
信幸はそんな時間になっても眠る事もなく、泥でぬかるんだ地面を歩いて幸村を探し回ってくれたのだ。


あの時、いつも毅然とした兄が子供のようだと思ってしまった。
だって自分を見つめる信幸は、今にも泣き出してしまいそうだったのだ。
兄のそんな顔をみるのは初めてだったから、余計にそう思ったのかも知れない。





「それにな…幸は外に出れなくて残念だろうが、私は少し嬉しいんだよ」
「どうしてですか?」
「だって幸、最近ちっとも私に構ってくれないだろう?」







くすくすと笑いながら言う信幸に、そう言えばそうなんだと今更気付いた。

毎日、朝から夕方まで、ずっと外で遊んでいる。
兄が家にいる日もいない日も構わず、だ。







「たまに暇のある時ぐらい、私は幸と一緒にいたいのだよ。それとも、幸は私と一緒にいるのは嫌になったのかな」









信幸の言葉に、幸村はぶんぶんと勢い良く頭を横に振った。


あまりに素直なその反応に、信幸は今度こそ声を上げて笑ったのだった。

それから。









「風が止んだら、行っておいで」









笑う兄に、幸村は大きく頷いた。

願い虚しく、風はその日一日、吹き続けていたけれど。
兄弟は、久しぶりに二人きりの時間を過ごしたのである。























































「政宗様! また外へ行かれるのですか!?」









着物の帯をしっかりと締め、背中腰に短刀をさした所で、小十郎が部屋の扉を開けた。
すぱんと小気味のいい音がして、またどうしてこの男は敏感なのだろうかと頭の隅で思った。






「今日は風が強いから、外に出てはなりません」
「いいじゃねーか、へるもんでなし」
「減る減らないの問題ではなく、危ないと言うのです」
「もんだいねぇよ」
「先日のようになったらどうするおつもりですか!」






まったく、いつまで経っても口煩い男だと思いつつ、政宗は耳を塞いだ。
するとちゃんと聞きなさい、なんて言いながら小十郎は政宗の手を外させる。


先日、と言うのはやはり、あの大雨の日の事だろう。

あの日も外出禁止だと言われていたのだが、政宗は小十郎の目を盗んで泊まり宿を抜け出した。
だってきっとあの子は来るだろうから、自分は待っていなくちゃいけないと思ったのだ。
約束を反故にするような子ではないから、きっと来るだろうと。
結果、彼は兄に貸して貰ったと言う大きな傘を携えて、政宗の下へやって来た。

だからこんな風が強いぐらいなら、あの子は川原に来るかも知れない。
先日兄に死ぬほど心配させたと言うから、ひょっとしたら来ないかも知れないけど、やっぱり来るかも知れないから。




つらつらと考えてみる政宗だったけれど、結局は自分が幸村と一緒にいたいのだ。






「とにかく、今日一日は此処にいて下さい」
「やだ」
「政宗様―!!」






膨れ面になって、ふぃっと政宗は小十郎から目を逸らした。



小十郎はそんな政宗を見つめながら、深く長い溜息を吐く。






「政宗様……お願いですから、今日だけは。私の寿命が幾らあっても足りません……」







まるで懇願するような小十郎の声。
それは政宗を心配するが故のものであるとは、一応弁えているつもりだ。


政宗だって小十郎の事が嫌いな訳ではないし、世話をしてくれるのだから感謝している。
右目がなくなってしまった時だって、小十郎は何も変わらずに接してくれたし、今だってそうだ。
時折口煩いのは確かだけれど、それは政宗が無茶をするから、心配しているからだ。
……兄ではないけど、兄のようなものだと思う。

だけどそれよりも、政宗は幸村と会いたかった。
あの笑顔が見たくて、ちゃんばらごっこももっともっとやりたいし。
魚釣りも負けていられないし、笹笛の作り方も教えてやりたいし、とにかくやりたい事は山積みなのだ。
一日だけでも会えないなんて、落ち着かなくてしょうがない。



だけど。







「代わりに、私のお話になど付き合っては頂けませんか?」








小十郎はいつだって、政宗の為を思って動いてくれる。
思い返せば甲斐に行くことを勧めたのも彼であったし、小十郎は常に政宗のことを気にかけてくれるのだ。

やっぱり、たまにはお返しでもしないと悪いだろうか。



政宗はがりがりと頭を掻いて、外を見遣った。
と言っても障子窓は閉められたままだから、外界が今どんなものかは目に見えない。
だけれどがたがたと煩い音を立てる窓枠に、相当風が強いという事だけは伺えた。


幸村は、雨の中でも来てくれた。
兄に無理を言ってまで。

だけれど、今度はどうだろう。
先日の今日でまた我侭は言えないだろうし、やっぱり兄も心配するだろう。
となるとやっぱり彼も、今日ばかりは家にいるのかも知れない。

来ていたらどうしよう―――――とは、思うのだけど。





「……おまえのはなしは、もうききあきた」
「……そ、そうですか?」
「色々きいたし。もうほとんどきいた」





兄が引き止めていてくれたらいい。
もしも来ていたら、明日は一番に謝ろう。










「きょうは、おれがしゃべるから、きいてろ」











畳の上に胡坐を掻いて言えば、小十郎は少し驚いたような顔をして。

はい、とほっとしたように笑った。