もう一回、その手を取れば









ほら、それだけで

















































知り合ったばかりの少年と、夕暮れ時まで一緒に遊んだ。

ちゃんばらごっこをしたり、川渡りをしたり、休憩中は金平糖を分けて貰った。
沢山袋に入っていた筈だった金平糖は、子供二人の手によってあっという間になくなっていった。



政宗は奥州からやってきた少年だ。
旅路の中の出来事を話すのを、幸村は時折相槌を打ちながら聞いていた。
真田家に仕える忍軍の者から幾つか聞いた事のある話もあったけれど、どうしてだろうか。
彼らが話すよりも、少年が話す事を聞いている方が飽きないのだ。
やっぱり友達だからだろうか、とあまり関連のない事まで考えてしまう。

身振り手振りで、話すうちに政宗も興奮を思い出したのだろうか。
立ち上がって物事の大きさを表現する。
幼さゆえの誇張もあろうに、幸村も話す本人も、それに気付く筈がない。
幸村は素直に感心し、そんな幸村を見て政宗は更に興奮して話すのだ。

どこどこで釣った魚はこんなにも大きかった。
どこどこで見た城は凄く大きかったけど、奥州にあるものには勝てない。
あそこで食べた蜜豆は美味しかった、どれぐらいって、このぐらいだ。

明確な大きさを表す言葉を、未だに知らない為、表現は随分と幼稚なものである。
だが楽しそうに話す政宗の様子は、とっくに幸村にも伝染していた。



お互いに武芸に通じているという事で、棒切れを使ってちゃんばらごっこをした。
結果は、十回やって幸村が二勝八敗となった。

友達の小十郎と一緒に、よく手合わせをするのだと政宗は言う。
それ以外にも、喧嘩をする事が頻繁らしく、幸村よりも実戦経験が豊富だという事もあった。
また、幸村が小柄で腕力があまりないのに比べ、政宗は力で押して来る。
正面からの押し合いになると、自然と幸村の方が負けてしまうのだ。


負けが込んでしまって幸村が拗ねると、政宗が侘びを告げながら、金平糖を手渡してきた。
まるで仲直りの合図のようで、最初はそれでも拗ねた顔をしていた幸村だったが、甘い味に絆される。
口に含んで政宗を見てみると、満足そうに笑っているから、ついこちらも笑ってしまうのだった。









そして、カラスが鳴く頃に。




「またあそぼうな」





そんな約束をして、別れた。
















































帰ったことを告げる言葉を並べて、幸村は屋敷の敷居を跨いだ。

やや間を置いて、奥間から姿を見せたのは、兄の信幸。
いつも顔を見せてくれるはずの佐助は、其処にはいない。




「お帰り、幸」
「はい。あの、さすけは…?」
「今日はまだ帰りそうにないよ。長が随分扱いてるようだから」
「そうですかぁ……」




ちぇ、と幸村は小さく漏らす。
折角、自慢しようと思っていたのに。
友達が出来た事とか、色んな話を聞いた事とか、金平糖を貰った事とか。
話したい事は沢山あったのに。

拗ねた顔をした弟を、どう捉えたのだろうか。
信幸は小さく笑って、宥めるように幸村の頭を撫でてやった。




「佐助は今日は帰れないけど、私は一緒にいられるよ」




信幸の言葉に、幸村は俯き加減だった顔を上げた。
見上げた先の兄はにっこりと優しく微笑んでいる。

きょとん、としていると、急に躯が宙に浮いた。
驚いて兄にしがみ付くと、其処にあったのは信幸の首だった。
腕が自分の尻と背中に当たっているのに気付いて、抱き上げられているのだと理解する。
いつもよりもずっと高い目線に、幸村は笑った。




「父上殿は?」
「父上はお館様の所だよ。大事なお話があるのだそうだ」





だから今日は、この兄一人で我慢してくれ、と。
少し困ったように笑う兄に、幸村はふるふると首を横に振った。

我慢なんてとんでもない、今でも嬉しくて跳ね上がりそうなのだ。
甲斐武田に仕える男として、父も兄も殆ど家で落ち着くことはなかった。
戦が始まれば尚の事、武将である二人が我が家まで毎日帰って来れる筈がない。
だから幸村は、いつも佐助と二人きりで日々を過ごしていた。


今日は佐助はいないけれど、自慢の兄が傍にいてくれるのだと言う。
食事さえ一緒に取った事など少ない人が、一晩隣にいてくれるのだ。
こんなに嬉しい事はない。




「飯なぞまともに作れぬから、今日は鍋だ。いいか?」
「はい! 兄上がつくってくれるのでしたら、なんでも!」




嬉しい事を笑顔で言ってくれる弟に、信幸の頬が緩む。
緩むどころか、だらしないほどなのだが、誰も突っ込む人物はいなかった。





「私は果報者だなぁ」
「兄上?」
「こんなに可愛い弟がいるんだ。三国一の果報者だ!」





幸村を高い高いするように抱え上げて、信幸は言った。
可愛い弟――――自分がいて、己は果報者だという兄。

それなら、自分だって三国一の果報者だ。
こんなにも格好良くて強い兄がいて、父がいて、仲の良い佐助がいて。
誰一人が欠けても嫌だと思えるぐらい大切なものを持っている自分は、きっと贅沢なんだと思う。
時々厳しく叱られたり、稽古でぼろぼろになったりもするけれど、それでも。



それに、今日はきっと自分が一番幸せなのだと幸村は思った。

知らず、それが顔に出てしまったのだろうか。
さすがと言おうか、兄は弟の変化に目敏かった。



「なんだか楽しそうだな、幸」
「そうですか?」
「良い事でもあったか?」



同じ目線で、優しい瞳で問いかけてくる兄。
友達が出来たんだと言おうとして、幸村は少し思案した。

それから。




「……ないしょです♪」




ちょろっと舌を出して、悪戯っぽく言った。

予想していなかった弟の返答に、信幸は驚いた顔を見せる。
しかしその後で、小さく笑った。



「いつか教えてくれよ。幸が幸せなら、私も幸せだからな。幸が嬉しそうな理由を知りたいから」



今すぐに、強引に聞こうとはしない兄。
少しの間だけ秘密と言う物を持ちたくなった弟の心情を察してくれたのか。

今朝まで狭い箱庭で、小さな世界しか知らなかった幸村。
いつも一緒にいる筈の佐助もいない時に、どんな変化があったのか。




兄がそれを知る事はなかったのだけれど。

















































「ゆきむらー!」








翌日同じ川原へ行くと、果たして少年は、其処にいた。
浅い川の水の中に立ち尽くして、土手上にいる幸村に向かって大きく手を振っている。
それに同じように応えて、幸村は土手を駆け下りる。
途中で転びかけたが、なんとか無様に転げる事だけは防げた。

ちらと草鞋を見てみると、緒が切れかけていた。
屋敷を出てきてからどうも歩きにくいと思っていたら、これが原因だったのか。

けれども幸村はとくに気に止めず、草鞋を脱いで川の岸辺に置いた。
その隣には、恐らく政宗のものと思われる草鞋が並べられている。


着物の袖を捲くって、腰につけていた巾着から紐を取り出す。
慣れない手つきで袖を固定すると、幸村はそっと川に足を浸した。




「つめたい!」
「きもちいーだろ!」




心地よいせせらぎが足をくすぐる。

ばしゃばしゃと音を立てながら、政宗が幸村に歩み寄ってきた。




「なぁ、魚とりしないか?」
「……でも、つりざおがないし…」
「なら手でつかまえればいいんだよ」




言いながら政宗は、既に臨戦体勢を取っていた。
幸村の隣で前屈みになり、水の中をじっと観察している。


釣竿なしで魚取りなんて、幸村はやった事がなかった。
そもそも、裸足で川の中に入る事事態が滅多にしない事なのである。
足を水に浸す事はあるし、岩の上を跳んで川渡りをした事はあるけど、水の中には入らない。

川渡りの時に足を滑らせて落ちそうになった時は、いつも寸前で佐助が助けてくれる。
濡れたら風邪をひくから、と強く言いつけられているのである。


今日は政宗が既に水の中に入っていたから、つられてしまった。

今になってどうしよう、という気持ちになってしまう。
けれどそれに政宗が気付く筈もない。




「うりゃっ!!!」




ばちゃん、と水しぶきが立った。
驚いている間に、幸村の着物が水に濡れる。




「あー…くそ、にがしちまった」




もう少しだったのに、と言いながら、政宗が幸村へと視線を向けた。
棒立ち状態の幸村に、政宗は首を傾げる。




「なにしてるんだよ、ゆきむら」
「え……あ、えっと」
「魚がにげちまうぞ」
「あ、あの、ね」




一向に動く様子のない幸村に、政宗は拗ねたような顔をして見せた。




「なんだよ」
「ど…どうやってとる、の?」
「………はぁ?」




政宗が素っ頓狂な声を上げた。




「おまえ、魚とったことないのか?」
「つりなら…さすけといっしょにしたけど」
「まぁつりもいいけど……よし、おしえてやる!」




そう言いながら政宗は、幸村を少し深い場所へと連れて行く。
最初はくるぶしまでしかなかった水が、すぐに膝下まで届いて行った。

少し怖くなって、幸村は政宗の腕にしがみついた。
政宗が不思議そうにこちらを見てきたけれど、見上げるとくすっと小さく笑った。




「おまえはしらないことばっかなんだな」




それじゃ勿体無いぞ、と。
笑顔で言う政宗に、幸村は少し恥ずかしくなって俯いた。

腕をつかまれたままで歩き難いだろうに、政宗は文句も何も言わない。
水の深さが丁度膝元まで来たところで、政宗が立ち止まる。
深い所に来た為に、水の流れに足を持っていかれそうになる。




「いいか、見てろよ」




やる気満々の政宗に、幸村は掴んでいた腕をゆっくり離した。
頼れるものがなくて少し不安だったけれど、なんとか立つ事が出来た。


政宗は水面をじっと見て、捕まえられそうな魚を物色している。
警戒心は薄いらしく、魚はさっきから何度も、幼い二人の間を行ったり来たりしていた。

その中から政宗は、動かない一匹の魚に狙いをつけた。




ぱしゃん、と水しぶきが上がる。






「見ろ、ゆきむら! とったぞ!!」






そう言って政宗が見せたのは、胴体全体を幼い両手でようやく掴める程の大きさの魚だった。
得意げに見せてくる政宗の手の中で、魚はじたばたと暴れている。





「すごーい!」
「うごいてないやつならかんたんだよ」
「わたしもやりたい!」
「よし、おれについてこい!」





褒められて嬉しかったのか、政宗の頬が少し紅潮している。
胸を張って宣言する政宗に、幸村はうんうんと頷いた。


政宗が水面を睨むのを、幸村も真似する。
ほとんどの魚はするすると二人の足元を通り抜けて行ってしまう。
しかしそうしてじっと見ていると、思うよりもゆっくりと泳ぐ魚がいるのが判った。
いつも遠目で見ているばかりだったから、こういう光景は新鮮だ。

ちらりと政宗を伺ってみてみると、楽しそうに魚を見ている横顔がある。
片目しか見えていないと言っていたけれど、それで泳ぐ魚を捕まえるなんて本当に凄い。
両目ともしっかりと見えている自分には、きっと判らない世界なんだろうなと思う。


じっと見ている幸村の視線に気付いて、政宗もこちらを振り返った。
どうかしたか、と投げかけられる視線。
幸村がはっとして小さく首を横に振ると、特に気にした風でもなく、目線は水面へと戻された。

失礼な事をしたかな、と思いつつ、幸村も水面に目を向ける。
と、そこで。






「……ゆきむら」
「? なに?」
「しーっ」





人差し指を口元に当てながら、政宗は幸村の足元を指差した。
おそるおそるそれを辿ってみてみると、魚が一匹、幸村の足元で休んでいる。





「ど、どうするの?」
「りょう手でつかむんだよ。水のぎりぎりまで手もってけ」
「こう……?」
「そーっとだぞ。そーっと」





控えめな声で指示する政宗。
幸村の声も自然と小さくなって、それと同時に心拍数も上がる。
こんなに緊張した事はないんじゃないかと幸村は思った。

どきどきする。
水面ぎりぎりまで手を出しても、魚は動く様子がない。





「いっきにいけ!」






小さな声。
それを皮切りにして、幸村は水の中に腕を突っ込んだ。

ぎゅっと目を瞑って、指先に何かが触れた。
するりと逃げようとしたそれを、慌てて両手で覆って掴む。





「やったぞ、ゆきむら!!」





嬉々とした政宗の言葉に、幸村も目を開けた。

そっと腕を水辺から引き上げると、両手にしっかりと魚が収まっている。
逃げ場を求めて跳ねる魚の動きは、意外と激しいものだった。
けれども折角捕まえる事が出来たそれを手放すまいと、幸村は手に力を入れる。




「とれたー!」
「でっけー! すげぇすげぇ!」
「おっきいの? すごいの?」
「でけーよ、おれのよりでかいじゃん!」




いいなー、と言う政宗の反応が、なんだかくすぐったくて嬉しい。
自分よりずっと色んなことを知っている政宗に、ようやく一つ勝てた。
ちゃんばらごっこも負けてしまっていたから、本当に心の底から嬉しかった。

負けた悔しさからか、政宗はくそ、と言いながら水面を睨む。
けれども幸村が捕まえた魚よりも大きな獲物は見当たらない。


負けず嫌いは、どうやら一緒らしい。
昨日、自分たちは似てると言われた。
その通り、こんな所は本当によく似ているようだ。



それにしても、この捕まえた魚はどうしたら良いのだろう。
別に食べるつもりもないし、かと言って逃がしてしまうのはなんとなく勿体無いようにも思う。
初めて、それこそ文字通り自分自身の手で捕まえる事が出来たのだ。
桶でもあれば、しばらく其処に入れていてやるのに。

政宗に聞こうと思ったが、政宗はすっかり勝負気分になってしまっている。
大きな魚を探して、いつの間にやらまた深い場所へと進んでいた。
既に着物のぎりぎりまで水深は上がってきている。
時折藻に足を取られるのか、滑りそうになって素っ頓狂な声を上げるのが、見ている側の不安をまた煽る。


このまま抱えても仕方がないし、政宗が大きな魚を取るというなら、自分だって取りたい。

少し名残惜しかったけど、幸村は魚を川に返す事に決めた。






「ばいばい」





小さく呟いて、幸村は身を屈める。

すると今まで以上に魚がじたばたと暴れ出した。
あまりにそれが突然すぎて、幸村は驚きのあまりに体勢を崩して。






「わ!!??」







ばしゃん!!!



水柱を立てて、背中から川に落ちてしまった。
冷たい感覚にまた驚いて、幸村はもがいて、どうにか上半身を起こす。
前髪が張り付くのが鬱陶しくて、頭を振った。

濡れた着物が水の重みで、幸村に負荷をかけてくる。




「なにしてんだよ、ゆき……うぉっ!!!」
「まさむね!?」




ばしゃん!!!



政宗の小さな躯が、水に沈む。
慌てて幸村は立ち上がったが、張り付いた着物が動きを妨げる。
またしても水と仲良しになってしまった。




「げっほ、げほ……やっべー、のんじまった…!」
「まさむねぇ……」
「うわ、こじゅうろうがまたうるせーぞ、こりゃあ」
「うー………」




いつの間にやらしっかり立ち上がっている政宗も、幸村同様に全身が水に濡れていた。
蒼い甚平がじっとりと重みを増している。

何度も転びそうになりながら、政宗は幸村のいる方へと歩いてくる。
ぽたぽたと次から次へ流れ落ちてくる水を鬱陶しそうに払って、水が鼻に入ったのか、よく咳き込む。
右目を覆う包帯にも当然水は染み込んでいて、解れ掛けていた。




「まさむね〜……」
「おいおい、なくほどのもんじゃねーだろ〜」




水の中に座り込んだままで、幸村は泣きだした。

帰ったら佐助に怒られる。
兄に知れたら、もう川原に来れないかも知れない。
父の耳に入ったら、どうなることか。

川原に来れなくなったら、政宗ともう遊べない。




「ほら、あがるぞ。かぜひいちまう。なくなって、かわかせばいいんだよ」
「でも……きがえない……」
「このまんまよりいいだろ。こいよ」







そう言って、政宗は右手を差し出した。
ぐず、と鼻水を啜って、幸村はその手を取る。
引っ張り起こされれば、服からぽたぽたと大粒の雫が落ちる。

確かに天気はとてもいいけれど、果たしてちゃんと乾いてくれるだろうか。
こんなにも濡れてしまっているのに。














でも。

大丈夫だよ、と宥めてくる瞳が、なんだかすごく強くて。














うん、と幸村も小さく頷いたのだった。