繋いだ手が





今もどこかで繋がっていると












信じてる









































見上げた先にいたのは、右目を包帯で覆った一人の少年。
幸村とあまり歳は離れていないように見える。

土手の上と下で、幸村と少年の視線は交わりあっていた。



少年は口を真一文字に噤んでいて、何処か不機嫌そうに見える。
剣呑な色を灯した瞳に射抜かれて、幸村は少し怖いと思った。
けれど此処で弱みを見せれば負けてしまうのだと、幸村はその場に踏ん張る。
両手に持った棒切れをぎゅっと握り締めた。

この辺りでは見ない顔だった。
だから余計に、幸村は自然と緊張して固まってしまっていたのだ。




先に口を開いたのは、名も知らぬ少年の方だった。










「女がそんなものふりまわすなよ」










はきはきとした声で、少年は言った。
対する幸村は、言われた言葉を理解出来ず、きょとんと見返してしまう。


女。
女。

誰が。


この場にいるのは、自分とこの少年だけである。
と、言う事は、だ。










「わたしは女じゃない!!」
「うそつけ、女だろ。はしたないだろーが」
「女じゃないっ!!」










躍起になって否定する幸村だが、少年はけろっとして言い放つ。

土手を滑って降りてきた少年は、幸村から二歩ほどの場所で立ち止まった。
じろじろと不躾に見られたが、黙ってそれを受け止める。
きっと髪が長いからそんな風に見えたんだ、と幸村は思っていた。
判っていながら何故短くしないのかと言えば、信幸が幸村の髪を括るという行為を気に入っているからだ。
体躯は確かに平均よりも少し小柄だけれど、じっくり見れば判ってくれる筈。



そう思っていた幸村だったが、少年の方は考え込んでしまっていた。
目の前にいる子供は自分よりも背が低くて、声が高い。
変声期を迎えていないのだから、男でも女のように高い声の子供はいる。
しかし、それだけで片付けられるものではなかったのだ。

背は低いし、細身だし、顔立ちは中性的で、正直どちらかと言えば女子に見える。
長い髪はふわふわとして柔らかそうで、透明度の高い瞳は真ん丸くて大きかった。
加えて、鮮やかな緋色の甚平―――甚平は往々にして男子が着るものであったが、違和感がない。
緋色なんて華美な色は、女の着るものだと思っていたのである。





「女だろ」
「しっけいな!!」
「どう見たって女じゃねぇか!」
「わたしは男だ!」





無礼にも程があるだろう、と。
しかし片目しかない筈の眼光は、とても鋭く尖っている。

やっぱり、怖い。
どうしてこんな時に限って佐助がいないんだろう。
佐助がいれば、直ぐに割って助けに来てくれるのに。


じわ、と目尻が熱くなるのが判った。
それを見た少年の瞳が、ぎょっと大きく開かれる。





「女じゃないっ! 女…じゃない…う〜……っ」





声を大きく荒げたのを皮切りにして、幸村の目尻から大粒の雫が零れ落ちる。





「お、おい!」
「ふ…うぁああ〜〜〜ん!」





泣き出した幸村に、少年は慌てふためいた。





「わ、わかった! おれがわるかった! だから泣くな!」





ひっくり返った声で、少年は幸村を宥めようとする。
しかし大きな声で泣き出した幸村に、少年の声は届いていない。

二人きりの川原で、子供の声が鳴り響く。
こころなしか木霊しているようにも聞こえた。
大粒の涙で泣いている幸村に、少年は自分が泣かしたんだよな、と確認するように呟く。
それから罪悪感からか唇を噛んで、腰につけていた巾着袋を解いた。





「おい、手だせ!」
「うっく…ひっ……うぇ…?」
「はやく」





愚図る幸村に焦れたか、少年は幸村の手を取った。
握られていたその手を少々強引に解かせて、小さな手のひらの上で巾着袋を傾けた。
すると、ころころと小さな何かが幸村の手に転がり落ちる。

きょとんとしてそれを見下ろしてみれば、鮮やかな色の粒。
見た事のないものを手渡されて、幸村は首を傾げる。


涙が引っ込んでくれた事を確認した少年は、ほっとして巾着袋から同じものを取り出した。
そうしてようやく、幸村が呆けている事に気付く。





「何してんだ、くえよ」
「く……これ、たべものですか?」
「こんぺいとうだよ。しらねぇのか?」





言いながら少年は、粒―――金平糖をぱくっと口に放り込んだ。
がりがりと固い音がして、少年の喉が上下した。
幸村も真似るように、一粒を口の中に含む。

甘くて美味しい。





「おいしい」
「おまえ、くったことないんだな。もったいねーな、うまいのに」
「……兄上が、むしばになるからダメだって」
「ちょっとやそっとでなるもんか」





口に入れたものがなくなったのを確認してから、幸村はもう一粒、口に運んだ。





「ところで、おみかけしない人ですね」
「おう。奥州からきたんだ」
「おうしゅう………?」
「ここからずーっととおいトコ。りょうようにきた」
「りょう……?」
「これ」





そう言って少年が指差したのは、自分の右目を覆っている包帯だった。
病気らしい、と曖昧な事を言う少年。





「みえないんですか?」
「そうだな、コレ取ってもほとんどみえねぇや。ま、こまらねぇんだけど」





視力は随分前から落ちていっていたんだと、少年は言う。
見え難くなったのはつい最近の事ではないのだと。
治療の為に奥州から甲斐まで出て来たけれど、今更治るも何もない。
今よりも幼い頃に見えなくなってしまったから、どちらかと言えばただ観光に来たようなものだと。

治療と言っても、のんびり出来る環境でゆっくり休めるようにと。
それだけの為に、故郷から遠く離れたこの甲斐までやって来たのだと言う。





「すごいですね…」
「なにがだ?」
「おうしゅうから、ここまで、とおいんでしょう?」
「おぅ」
「つかれませんか?」
「つかれたけど……たいくつしなかったし」





他の国を見て回るのも面白い、と。
ニッと笑う少年に、幸村は不思議なものだと思った。

自分は、この甲斐から外に出たいと願った事がない。
真田家に仕える忍軍の者達から色々な話を聞くけれど、それだけだ。
甲斐から離れて、見知らぬ場所に行きたいと思った事がなかった。
兄がいて、父がいて、佐助がいて、お館様がいて、民がいて、それだけで良かったのだ。


けれど、目の前で旅路の出来事を話す少年は、酷く楽しそうだった。





「これは、おうしゅうにはよくあるんですか?」
「ん? ああ、こんぺいとうか。そうだな…さとうってすくないから、あんまりねぇな。どこでかったんだっけか…」





応えてから少年は、本気で何も知らないんだな、と言った。

だって知らなくて良いと思っていたのだから、当たり前だ。
知りたいと思う事はいつも身近な事で、それ以上の事はない。
別に、それでも不自由しなかった。





「うめぇだろ」
「はい」
「うまいもんは、しらなきゃソンだ」





金平糖を豪快に齧りながら、少年は幸村に笑いかける。





「ほら、もっとやるよ」
「ありがとうございます」





幸村の手の中の金平糖がなくなったのを目敏く見つけ、少年は返事を聞く間もなく金平糖を取り出した。
好意は在り難く受け取ってもらうものとして、幸村もそれを受け取る。
何より、初めて食べたこの甘い可愛いお菓子がとても気に入ってしまったのである。

佐助もいたら分けてあげられるのに。
少し残念に思ったけれど、佐助がいたら、彼の存在に気付かなかったのかも知れない。
これが偶然のもたらしたものだとしたら、とんだ奇跡である。
佐助がいない代わりに、この名も知らない少年がやって来た。
修行で一所懸命な佐助には悪いけれど、幸村は、この偶然が少しだけ嬉しくなった。


可愛いお菓子と、他国の話をする、遠くから来たという少年。
佐助よりも少し低い、けれど幸村よりも少しだけ背の高い少年。

甘い可愛いお菓子と一緒に、幸村はこの少年の事も気に入っていた。





「お前、ぶげいでもやってるのか?」
「兄上と父上殿にごしなんしていただいています」
「おれと同じだな。おれも親父からおそわってる」





共通点を見つけて嬉しそうな少年に、幸村もつられて笑った。





「おれは一刀流だ。お前は……さっき二本もってたな。二刀流か?」
「わたしは刀はつかわないんです。槍を」
「槍? 二本も?」
「二槍というのです」





聞き慣れない単語だったのか、少年はへぇ、と感心したように呟いた。

一本でも扱いの難しい槍を、二本も使う。
驚いた顔をする少年に、幸村はくすくすと笑った。





「まだもたせてもらったことはないですけど」
「…なんだ、ないのかよ」
「あぶないからと、兄上が」





本当は早く真剣で手合わせしてみたいのだけれど、父も兄も良い顔をしなかった。
幸村はまだ幼いから、刃を持つには早いのだと兄から何度も言われている。

殆ど歳の違わない佐助は、既に武器を使っているのにずるいと言ったら、佐助は忍だからと言われた。
屁理屈だと思ったが、兄と父が決めたら、幸村が幾ら我侭を言っても駄目なのだとよく知っている。
お陰で竹光でさえも中々持たせてくれなかったのは、まだ記憶に新しかった。





「小刀ももってねぇのか」
「小刀、ですか……さすけに見せてもらったことはありますけど」





一度だけ、こっそり佐助に見せて貰った事がある。


幸村を守るためにと、父が佐助に持たせた小刀。
そんな佐助が羨ましくて、見せて、持たせてと煩く付きまとった事がある。
言いつけられていた佐助は駄目だと言ったけれど、それでも幸村は食い下がった。

一緒に成長している筈なのに、佐助ばかりがどんどん大きくなっていく。
身長だって幸村よりずっと高くなって行くし、同じように伸びている自分は、見上げなければ顔を合わせられない。
その上、自分はまだ一度も持ったことのない刃を、佐助だけが持つ事を許された。
その時分ばかりは、ちっとも息子の、弟の成長を気付いてくれない兄と父を嫉んだものだ。


言いつけられている手前、佐助は何度も駄目だと言った。
言われれば言われただけ食い下がって、その分佐助も、やっぱり駄目だと言い続けた。

仕舞いには、幸村は拗ねて佐助だけでなく、父と兄とも目線を合わせなくなった。
最初に気付いたのは佐助で、兄弟親子間を心配して、こっそり許してくれたのである。
見せたことは、絶対に二人には言わない事――――当然の、そんな約束を交わして。
屋敷に二人きりだった時に、佐助と二人で、抜き身の小刀を見詰めていた。

見せて貰えただけでも、幸村は嬉しかったのだ。
あの白い刃を、兄と父がいつも持っている剣を、垣間見る事ができただけでも。





「そんなのでだいじょうぶなのか? お前……」
「さすけがいてくれますから」
「さっきから思ってたけど、それってだれ?」





それ。
佐助の事だった。





「ともだちです」





いつも傍にいる。
今日だけは一緒にいられなかったけれど。

佐助は幸村を守るために修行している。
そして佐助本人も、幸村を絶対に守るんだと言っている。
父と約束していたのも聞いた事があった。


ふーん、と少年は短く言う。





「さすけは……わたしの、いちばんのともだちです」
「おれは…こじゅうろうだなぁ。くちうるせぇけど」
「さすけも、何かというときびしいです」
「べつにいいのにな」





少年の言葉に、幸村はうんうんと頷いた。

時としては、一緒に危なっかしい事もしたりすると言うのに。
何故だか、佐助は幸村に対してあれこれと厳しい面がある。
構って貰えるのは嬉しいのだけれど。





「おれたち、にてるな」
「にてますか?」
「ああ、にてる」





少年がこちらを見て笑う。
そう言い切られると、なんだか似ているようにも思えた。

一番近くの友達がいて、その友達は口煩い。
武芸をやっていて、幸村は二槍で、少年は一刀流。

それだけの事なのだけど。
それ以外の事は、正直あまり共通点がないのだけれど。
顔を合わせて笑っている間に、そんな気がしてくるから不思議だ。








「おれたち、ともだちだな」








少年の言葉に、幸村は少し驚いた。

友達。
佐助以外の。
外で出来た。


驚いている幸村に、少年が不思議そうに目を丸くした。
最初に逢った瞬間の、剣呑とした色はもう見られない。
年齢相応の顔が其処にある。

それを見て、幸村は手の中に残っている金平糖に視線を落とした。
遠くから来たという少年がくれた甘くて可愛いお菓子。
帰ったら佐助に自慢しよう、と思いながら、金平糖を握り締めた。
尖った部分が少し痛かったけど、気にしない。








「はい、ともだちです」








真っ直ぐ見詰めて、笑った。






「おれは、まさむね」
「わたしは、ゆきむらです」
「じゃあまず、あくしゅな」
「はい」






差し出された手をぎゅっと握った。
すると、少し強い力で握り返される。






「ともだちだから、そのしゃべりかたはもうダメだぞ」
「しゃべりかた……ですか?」
「ほら、それ。かしこまるな」
「でも」
「でももヘチマもない! おまえ、さすけってやつといっしょのときもそうなのか?」
「さすけは……ちがいますけど」






佐助が嫌がるから、と言えば。
少年は、自分にもそれでいいのだと言った。












「ともだちなんだ。いいんだよ」





























繋いだままの手が、





暖かかった。