壱
ずっとずっと
どんなに離れていても
繋がってる
かたん、と小さな音を立てた箱。
不思議に思って、幸村は箱の蓋を開けた。
小さな木箱に入っていたのは、まるでがらくたばかりだった。
けれど一つ一つに見覚えがあって、ああ、そうかと思い出す。
これは、宝箱だったんだ。
ずっと昔、まだ自分が幼く、何も知らなかった頃の。
幸せな日々が続くんだと、そう信じて疑わなかった頃の。
母親はとうにいなかったけれど、まだ父親と兄は生きていた。
それぐらいに昔の事だったのだ。
佐助はあの頃から一緒にいたけれど、今より距離が近かった。
大して歳は違わない筈なのに、あの頃から佐助は幸村を見下ろすようになっていた。
自分の背が小さいとは決して思わない(思いたくない)けれど、佐助はいつも幸村を見下ろしていたのだ。
そして何かと世話をやいてくれて、少しそそっかしかった幸村を庇ってくれた。
あれから自分は成長したけれど、当然ながら佐助も成長して、やっぱり身長は彼に届かない。
「旦那、何してんだい?」
ひょい、と佐助が戸口から顔を出した。
それに反応せずに、幸村は小さな箱の中を漁る。
珍しく返事をしない主に焦れたか、佐助が歩み寄ってくるのが判る。
程なくして視界がふっと翳ると、視界の端に佐助の足が映った。
「なんだ? それ」
「宝箱だ」
「あ? ……ああ、なる程」
佐助も見覚えがあったのだろう。
下手糞な字の手紙――正直、読めない――や、きらきらと光るおはじき。
きっと服か巾着の布切れで作ったのだろう小さな動物の置物。
何故だか石ころも入っていて、どうしてと思ったけれど、綺麗につるつるしているので理由が判った。
幼い頃は、気に入ったものはなんでもこの箱に入れていた。
そして大事に仕舞い込んで、ふとした時に引っ張り出しては、思い出に浸っていたのだ。
いつから取り出さなくなったのだろうか。
成長と共に記憶は風化して、最後には思い出さなくなる。
そうした時にこの宝箱は忘れ去られてしまい、幼き日とは別離するのだろう。
「色々入ってるな」
「ああ、これは佐助のだろう」
「……なんでこんなもん入れたんだ?」
「それはお前が知ってる筈だろ」
「もう忘れたね。何年前だと思ってんだよ」
誰かに貰ったとか、道端で拾ったとか。
どれもこれも、今みると他愛もない、何処にでもあるような物が入っている。
「これは……兄上に貰ったんだったな」
「ああ、信幸様ね。アンタあの日やったらはしゃいで…転んで頭打ってたなぁ」
「なっ…佐助だって!」
「俺が何よ? 俺は旦那みたいに童じゃなかったぜ」
「いーや、私は覚えてるぞ。確か父上殿から玩具の手裏剣か何かを…」
「わーったった! その話は無し!!」
人の事は穿り返す癖に、と言ったら、悪かったって、と軽い侘びの言葉。
こんな事はいつもだから、幸村は小さく笑って頷いた。
小さい頃は目に付く全てのものが新鮮で、誰かから貰ったものは全部宝物だった。
最初は巾着袋か何かにいれていたのだと思うけど、余りに物が増えるから、父がこの箱を持ち出してきた。
もとは何なのか知らないけれど、こっちの方がちゃんと整頓できるだろうからと。
ぎゅっと色んなものが詰まった箱。
あの頃は、この中は小さく縮小した自分の世界のようなものだった。
連れて行ってもらった川原の小石を、記念だと言って持って帰って、この箱に詰め込んだ。
近所の人から誕生日の記念だと渡されたおはじきを、この箱に仕舞い込んだ。
道端で見つけた変わった色のついた石ころを持って帰って、この箱に隠した。
自分のものだと決めたものは、全部全部、この箱の中に入れた。
この箱は、幼き日の唯一の自分の縄張りだったのだ。
「懐かしいな」
幸村の言葉に、佐助も小さく笑った。
共通の思い出を持っているから、多分、佐助も気持ちを察してくれているだろう。
――――――――と。
「旦那、こいつは?」
「なんだ?」
「……これ」
言って佐助が取り出したのは、大事そうに布に包まれた長細いもの。
綺麗な紅染めで包まれているそれに見覚えはあるのだけれど、思い出せない。
佐助が布を取り去った。
「…………小刀?」
鞘も柄も、木で出来た小刀。
女子供が護身用に持っているようなものだ。
どうしてこんなものが、宝箱の中に入っているのだろうか。
父や兄は何故だか自分に過保護だったから、こういうものを持たせなかったのではなかったか。
だとしたら、誰かから貰って、こっそり此処に入れたのだと思うけれど。
不意に。
何かが、頭の中を霞めて。
『泣くんじゃねぇ』
『これ、お前が持ってろ』
『約束だ』
「……………あ」
そうだ。
これは……―――――――――
「幸、何処に行くんだ?」
出て行くところを兄の信幸に呼び止められて、幸村は振り返った。
歳の離れた兄は、幸村が見上げないと顔が見えない。
十歳という歳の差は他人が思っているよりも、ずっと大きなものなのである。
けれども幸村は、この長身の兄について劣等感を覚えたことはなかった。
それどころかとても自慢に思っている。
戦場に立てば、この兄は誰よりも良い働きをすると言う。
父親は智将と言われ、兄は豪傑であると。
真田家は甲斐武田に仕える者の中でもよく優れていると敬愛するお館様からも言われた。
いつかは幸村の出番だと言われた時は、心の底から喜んだものである。
父と兄からも期待され、幸村も二人からよく稽古をつけて貰っている。
稽古時は鬼のように厳しい二人だけれど、それ以外の時はとても優しかった。
人から言わせれば過保護な程らしい。
だが幸村にとっては日常の一つであり、物心着く以前からこうなのである。
反抗期でもない幸村は、それを鬱陶しいだとか考えた事もなかった。
「また川原か?」
「はい。あにうえはどちらへ?」
拙い言葉遣いで敬語を使う弟。
信幸はにっこりと微笑んで、幸村の頭を撫でた。
信幸は外行きの袴を履いて、脇に風呂敷に包んだ四角いものを抱えていた。
「俺はお館様の所へ行くのだよ」
「そうですか。わたしも、はやくお館様にあえるようになりたいです」
「幸なら直ぐだよ。もう少し大きくなれば、きっと私と一緒の所に立てる」
そうしたら、傍にはお館様がいる。
隣には兄がいて、父もいて。
「そのときには、さすけもいっしょにいられますか?」
「それは佐助次第だけど…幸が言えば、頑張ってくれるよ」
真田家の抱える忍軍の次期頭領と噂されている少年、猿飛佐助。
幸村よりも四つ程年上で、よく一緒に遊んでいる。
それについて現真田忍軍の長は良い顔をしないけれど、主である幸村の父が何も言わない為、強く言えないらしい。
兄の返答に、幸村は満足そうに笑んだ。
佐助とは、ずっと一緒にいたい。
滅多に外で友達を作れない幸村だから、尚更そう思った。
幸村が顔見知りという訳ではないけれど、どうしてか人は幸村を敬遠する。
それが“真田家”という名門に生まれついた宿命だと言われると、何も言えない。
良い家に生まれれば、それだけ優遇される事も多いけれど、やっかみを買う事も多かった。
戦場で兄と父が功績を挙げれば、それだけ鬼だなんだと噂される。
それは、まだ幼い幸村にはよく判らない事だった。
父と兄が戦場に行って功績を挙げる事に、疑問を覚えた事はない。
けれども、幸村と同じ年頃の子供と言うのは、得て残酷なものである。
力を持てば持つだけ、畏怖の対象となる。
子供達はそれを親から聞きつけて、矛先を幸村へと向けるのだ。
友達が出来ないのは、幸村も少しだけ淋しかった。
けれど、いつかは出来るものだと思っている。
佐助はずっと友達でいてくれると約束してくれた。
佐助以上の友達が出来ると今は思えないけれど、いつかは。
信幸が戦友だと言う人や、父が腐れ縁と憎まれ口を叩きながら、友人を家に招いた事は何度かある。
だからきっと自分は時期が早いだけで、いつかは出来るものなのだと。
「一人で行くのか?」
「さすけは、しゅぎょうだそうです。ちょっとたいくつです…」
「でも将来、佐助は幸を守ることになるんだから、我慢しような」
「はい」
いつも一緒に遊んでいる相手がいないだけで、意外と暇になるものである。
だが佐助が面倒だとかぶつぶつ言いながらも修行をさぼらないのは、幸村の為なのだ。
だから幸村も、我侭を言わない。
今より小さい頃の事は覚えていないけれど。
「いってきます」
「ああ、気をつけてな。知らない人について行くんじゃないぞ」
お決まりの台詞を投げかける兄に、幸村は深々と礼をした。
ぽんぽんと頭を軽く叩く、大きな手のひら。
くるりと踵を返して、幸村はぱたぱたと軽い足音を立てて走り出した。
川原は幸村のお気に入りの場所だった。
冬は少し寒いけれど、風を凌げる場所があって、陽光が当たっている時はお昼寝日和である。
夏はやっぱり暑いけれど、浅い場所で足を浸して遊ぶと、涼しくて気持ちが良かった。
いつも一緒に遊びに来ている佐助はいない。
さてどうやって遊ぼうかと、幸村は足を川につけてぱしゃぱしゃと跳ねさせる。
小魚がびっくりして跳ねて行くのが面白い。
これも楽しいのだけれど、自分はじっとしているより走り回っている方が好きなのだ。
佐助がいれば、所々に水面から顔を出している石を飛んで渡って、競争が出来るのだけど。
つまんないなぁ、と思いながら、幸村は晴天を仰ぎ見る。
トンビが大きな輪を描いて飛んでいく。
そう言えば、佐助は今、鳥を使う訓練をしているのだと聞いた。
毎日毎日、腕に爪あとを残していて、顔には嘴で突かれた跡があった。
痛そう、と言ったら、痛ぇよ、と返された。
けれどそれを言うなら、幸村だって同じ事なのだ。
父や兄に特訓して貰う度に、手痛くやられて痣だらけになる。
兄はその後、決まってきちんと手当てして、ごめんな、と言って来る。
幸村は一度もいたいと言った事はなかったけれど、その実、全身の激痛に耐えていた事もあった。
辛くなければ、修行にならない。
いつ言われたのかは判らないけれど、父のその言葉を、幸村ははっきりと覚えていた。
「さすけ、がんばれ」
自分も頑張るから、と。
飛び去っていくトンビを見送りながら、幸村は呟いた。
いつか、兄と肩を並べられる日が来るように。
父の背中を、もっと近くで追う事が出来るように。
敬愛するお館様を、守る事が出来るように。
佐助と一緒に、戦場に立てるように。
「よし!」
立ち上がって、幸村は近くに落ちていた眺めの二本の棒切れを手に取った。
片手ずつでしっかりと持って、構える。
ぶん、と一振りすると、幸村の長い髪が尻尾のように揺れる。
風が吹いて、草花がさらさらと音を鳴らした。
静かな空間では、川のせせらぎもはっきりとした音となって鼓膜に届いてくる。
佐助と一緒の時は、気付かなかった。
一人きりの空間がこんなに静かで、広いものだったなんて。
穏やかに流れていくこの時間が、とても心地よいものだったなんて。
もう一度棒を振るうと、風を切る音がした。
いつか、この手に持つものが。
こんな棒切れではなくて。
刃を手にする日が来たら。
「みていて下され、お館様!」
敬愛する師と仰ぐあの方を守って。
この甲斐の優しい人々を守って。
いつか。
―――――――――と。
不意に視線を感じて、幸村は不思議に思った。
佐助ではない。
彼なら、直ぐに幸村に声をかけて来るはずだ。
けれども感じ取った気配は、川原の土手の上からだった。
其処から動く様子はなくて、幸村は振り返る。
其処にあったのは、
小さな、竜。
→
やっちゃったですよ…
捏造政宗&幸村過去話。
佐助は殆ど出てきませんが、兄幸が出張ります。