望む世界はあまりに遠く
望む世界はあまりに小さく
けれど、他の何よりも、強く強く願う世界だからこそ―――――――
広げた書状に連ねられていたのは、予想していた通りのもの。
一通り目を通したそれを傍らに控えていた小十郎に突き出せば、何も言わずに受け取った。
広い間の中心、政宗の正面にいる男は、無言のままその様子を見つめている。
目付きは睨むとも言って良い程に鋭くはあったが、眼光に僅かな揺らぎがあるのを政宗は見逃さなかった。
その揺らぎが示すものは怯えや逡巡ではなく、焦り。
何も言わぬ政宗に焦れているのか、しかし催促する訳にも行かないのだろう。
癪だろうが性に合わなかろうが、今は頭を下げねばならない立場なのだから。
紫を基色にした衣装、錆の色の付着した具足、潮風の匂いを残す日に焼けた筋肉質の大柄な体躯。
政宗とは反対の左目を隠す眼帯。
異様と言えば異様なスタイルで、それにも褪せないのは、銀色の髪だ。
――――――四国、土佐の風雲児、長曾我部元親である。
「用件は判った」
政宗の言葉に、何を今更、というように元親は顔を顰めた。
確かに、元親の来訪の理由など、粗方予想はしていた。
だから書状など見せられずとも、用件なんてものは最初から判っていたのだ。
とは言え、やはり形式は形式、差し出された書状は受け取らなければならない。
勿論、先手を取ってやっても良かったが、それでは元親の方のプライドに障る。
適当に茶を濁して良いような場面ではないから、政宗はそれを堪えたし、何かとお喋りな成実も口を噤んでいた。
手紙の内容は、つらつらと長い文章で飾られていたけれど、重要な部分はたった一つ。
長曾我部と伊達の同盟和議である。
書状が小十郎から綱元に手渡される。
こちらも予想はしていたのだろう、ひらりと開くと全体をさっさと読み流し、横に控えていた臣下に渡した。
「わざわざ海ィ渡って、こんな遠くまでご苦労なこったな」
「……政宗様」
「判ってるからカリカリすんな」
何を挑発しているのだと小十郎に睨まれ、政宗は溜め息混じりに反論する。
早く話を進めろと小十郎と元親の目がありありと語っている。
言われなくても、此方だって話はとっとと終わりにしてしまいたいのだ。
夕餉までには終わりにしないと、赤子に拗ねられる。
「しかし、なんで伊達なんだ? テメェの近くの毛利はどうした。ライバル…長年睨み合ってるつっても、そんな場合じゃねえだろ?」
「……最初はそいつも考えた。だが、あいつの所にゃもう織田が手を伸ばしてる」
織田。
その名に、政宗は眉根を寄せた。
数ヶ月前から手元に置いた赤子が、全てを失った原因。
そして、赤子が持っていたものを全て奪っていった者。
考えた所でこの戦国の乱世、詮無き事ではあるのだが、やはりその名を聞くと心中ざわめくものがある。
小さく舌打ちすれば、それの本当の意味を汲み取れたのは、どうやら小十郎だけであったらしい。
無言のまま、咎めるような視線が政宗へと突きつけられた。
政宗の表情の僅かな変化などを、今の元親には気にする余裕がなかった。
胡坐の膝上に置いた両手が強く握り締められる。
それは自国の危機への焦燥もあるのだろうが、長曾我部と毛利は、瀬戸内海を挟んで長年睨み合っているライバルだ。
考えが気に入らない相手だろうが、それだけ付き合いが長ければ、大なり小なり相手への情も沸く。
散るならば、己の手で散らせたい。
政宗とてそう思う相手がいたのだから、元親も同じなのだろう。
其処に第三者の介入―――――手を貸すこと叶わずとも、立腹も無理はない。
「今は織田と毛利が書状で睨み合ってる。武力の衝突じゃないから、まだ事は起きてないが、俺が割り込んだら均衡が崩れる。
毛利も簡単に領土を渡す訳にゃいかねぇし、アイツの事だからあれこれ策を弄してんだろうが……
直接的な力の衝突となったら、織田には敵わない。俺の介入で戦が始まれば、そのまま四国にも被害が出る。
………そいつは、出来ない」
織田がなんと言って毛利と書状を交わしているか、政宗は知らないし、元親も判らない。
しかし織田のやり方からして、決して温和とは言い難い。
中国地方を統治する元就と、政宗は逢った事がなかった。
聞いた話では血も涙もないだとか、兵は駒に過ぎないだとか言うが、それでも一国一城を統治する主。
其処に住まう人々を守るのは当然の事で、織田が如何に圧力をかけたとて、容易く放り出す事など言語道断。
それは政宗も同様であり、無論、元親もそうだ。
四国を統治する長として、軽はずみな行動をしては、国の全ての人々を捨ててしまうことになる。
故にどんなに割込んだ異物に苛立とうとも、今現在、保たれている均衡を壊してはならない。
苦々しげに呟かれた元親の言葉に、政宗は一つ溜め息を吐いた。
「織田の勢いは、そんなに早いか」
「ああ。お前も知ってるとは思うが、今川はとっくに下ったし、石山の本願寺も一月前に落ちた」
「……東は武田の信玄公が病死し、跡を継いだ勝頼が破れ、衰退……信州信濃、甲斐は既に織田の領地」
「上杉は武田信玄の死後から、音沙汰なしだ」
情勢の大体の事は、佐助の忍隊が掻き集めてくれている。
だが改めて聞かされると、その破竹の勢いに舌を巻くしかない。
「北条のジジィはどうなんだ? まぁ、七光りにしがみついたじいさんが長持ちするとは思わねぇがよ」
先日、北条と何処かが派手にやりあった事は聞いた。
その時、奥州では民衆たちの一揆が起こり、出遅れた津軽・南部に代わり伊達が出陣した。
民衆の一揆鎮圧に一国動かす羽目になるとは、まさか思ってもいなかった政宗だ。
約一週間という、一揆鎮圧に費やすには長い時間をかけ、主だった死傷者を出す事無く争いは終結した。
その後も民衆達への対応に追われ、佐助は優秀にもあちこちの情報を集めてくれていたが、政宗は聞く機会を逃していた。
赤子と接している時なら幾らでも聞けたかも知れないが、それは政宗も佐助もしなかった。
赤子の前では、そんな話はなしにしようと――――どちらともなく、決めていたから。
結局そのまま聞きそびれたままだった事を、此処でいっそ聞いてしまえと問い掛ける。
元親はその問いに、重々しげに口を開いた。
「―――――北条は、豊臣軍に根絶やしにされた」
連ねられた名に、ざわめきが起こる。
ざわめいたのは政宗の臣下達のみで、小十郎も見遣れば同じように瞠目している。
元親の後ろに控える長曾我部の臣下達は、重苦しい空気に包まれていた。
「豊臣? 豊臣ってのは、確か……」
「織田軍にいた、羽柴だ。何を思ったか、少し前に織田を出奔して、自軍を作り上げやがった」
「それで、出来たばかりの連中に北条が負けたってのか? 七光りのジジィでも、流石にそれは」
「竹中半兵衛がいるんだよ」
竹中半兵衛。
仮面の天才軍師。
嘗てたった十六人の手勢を率いて、難攻不落と名高い山城、稲葉山城を攻め落とした男。
何やら変わり者で、思想も他者とは一線を隔していたらしいが、
その後は何を思ってか稲葉山城に引き篭もったと聞いており、以降、彼が表舞台に現れる事はなかった。
しかし当人なくとも話は一人歩きして、稲葉山落城の神業はこの奥州まで聞こえている。
長年、その名すら碌に聞かせなかった人物だ。
「……竹中、半兵衛……」
「豊臣は嘗て織田に仕え、その織田に一目置かせた人間だ。それに仮面の天才軍師とくりゃ、鬼に金棒」
「――――七光りのジジィじゃ敵う訳もない、か」
織田臣下であった豊臣秀吉が、何を思って織田を離反し、自らの軍を立ち上げたのか。
今はそれについて論じている暇はないし、何よりこの話題には何も関係ない。
「なんでも、豊臣は最強の軍勢を作るんだそうだ。その為に、豊臣の軍事力と竹中の采配を武器に、あちこち手を伸ばしてる」
「じゃあお前もそっちに行ったらどうだ? こんな北の果てに来るより、相模の方がよっぽど近かっただろ。織田に対抗しようってんなら、真実が何処までか知らないが、そっちの方がよっぽど確実に生き残れそうだ」
「で、豊臣に従事しろってか?」
そんなのは御免だ、と。
吐き捨てるように言う元親を、政宗は一蹴しなかった。
急速に成長を見せ、勢力を拡大する国に援助を求めれば、四国は無事で済む確率は高い。
しかし豊臣と長曾我部とでは、既に勢力の差が大きく、今後もおそらく豊臣は伸び続けるだろう。
中国地方同様に織田の手が伸びつつある長曾我部が、足元を見られるのは必須。
自国を手放すつもりのない元親にとって、それは赦されない。
四国は、最早長曾我部元親を長とした。
それを容易く他者に明け渡すなど、出来る訳がない。
政宗とて、それは同じ。
相手がどれだけ大きな力を持っていようと、奥州の人々を容易く他者の手に委ねるなど、赦されない事だ。
「――――九州はどうなってる? 大友や島津がいるだろ。島津なんかは、一騎当千だって言うじゃねえか」
「島津は傍観状態だ。侵略されりゃ反撃はするが、自ら軍を動かす気はないってよ」
「…隠居のつもりかよ」
「北条とは格が違うが、あっちも相当なジジィだからな。大友は駄目だ、妙な南蛮の宗教に入った。戦はもうしたくないってよ」
「なんだそりゃ……」
この乱世に何を甘いことをほざいているのだ、と政宗は頭を掻く。
元親も同様の気持ちのようで、落胆したのか幻滅したのか、盛大な溜め息を吐いた。
嘗ては九州六ヶ国を制定し、一時は九州最強の大名とまで謳われたというのに。
いつ頃からか敗戦が目立つようになり、肥前の龍造寺に破れ、島津との戦いに敗れ……
今となっては肥後一国を支えるのがやっとの状態になり、終いには南蛮宗教にのめり込んでいるとは。
乱世の続くこの時代、いつ、何処で何が起こっても珍しくはない。
豊臣が織田から離反したように、竹中半兵衛が表舞台に現れたように、甲斐の虎が命を落としたように―――――、
病で、暗殺で、戦で名の知れた武将が突然この世を去り、それまでの体勢を保てなくなった国は多い。
けれどそれでも、誰もがこぞって天下を臨むこの時代。
一度振り上げた刃を容易く下ろす事など、政宗には考えられなかった。
そしてそんな中で、元親は、同盟の相手を伊達と選んだ。
それは他者に従事して生き延びる為ではなく、これからもまた、天下を狙わんが為に。
抗う為に、伊達政宗を選んだ。
容易く他者に懐柔されることのない自我を持ち、鋭い牙を持った、一ツ目の竜の地へ。
織田はやがて毛利を落とし、四国に刃を向ける。
豊臣は更に拡大し、間もなく奥州にも目をつけるだろう。
――――互いの現状は、よく似ていた。
同盟を結ぶ相手と定める上で、この条件は元親にとって好都合であり、政宗としても決して悪いものではない。
互いの足元を見て、腹を探り合うほどの余裕はない。
この同盟は、天下の為の。
いつかまた破られるであろう事を前程として、それまで己達の基盤を誰にも渡さない為の。
西の鬼が、北の竜が、何も手放さない為に。
「大友は遠からず、織田か豊臣に落とされる。島津はどうか判らねぇが、あれだけ拡大化した織田には敵うまい。豊臣も同じだ」
「………残ってんのは、四国の長曾我部、中国の毛利、越後の上杉――――そして奥州(此処)か……」
「近頃は織田に組する徳川も妙な動きがあるらしいが、織田の臣下である以上、まだ火種。今の織田には仕掛けない」
武田信玄死後、長年の争う相手が消えたからだろうか。
上杉も形を潜め、佐助の情報網からも是と言って気になる点は見えてこない。
一時は武田勝頼と和睦して同盟を結び、織田とも交戦したと言うが、以降は何も聞かない。
上杉と関わりの深い武田に属していた佐助にしてみれば、まだまだ油断はならないと言う。
武田同様に忍隊を持っていた上杉である、秘密裏に情報を模索していても可笑しくはない。
佐助を持ってしても情報を引き出せないのであれば、確かに、安寧しているとも思えなかった。
今後、豊臣や織田の手が上杉に伸びたとしても、それに従事するかは怪しい。
上杉の戦の采配振りは、武田の騎馬隊と同じようによく知られている。
豊臣、織田も下手に敵に回して火傷を負うよりは、今のまま大人しくして貰う方が都合が良い。
何より仮に従事や和睦したとしても、長年の競争相手を失った上杉がこれ以上の戦事を望むか、定かではなかった。
現状、織田・豊臣の勢力に抗う気でいるのは、既に片手で数える程度しかない。
賢いやり方で生きていくなら、どちらかに降伏するか、今の内に和議でも深めるべきだ。
しかし、此処にいるのは、時代きっての戦馬鹿。
「だからよ――――――手を組まねぇか、独眼竜」
これは和睦でもなければ、従事でもない。
あくまで、同盟。
利害の一致。
何れはまた互いに刃を交えるだろう、だからその時まで己の背負うものを手放すことのないように。
この手に握った温もりを、失わない為に。
「―――――――乗ってやるよ、西海の鬼」
どの道、他に選択肢はない。
他を選べば、きっとどちらも食い潰される。
利用できると言うのなら、この時代、利用されようとなんだろうと、恨み辛みはナシだ。
望んでいるのは、ただ一つ。
この血塗れの手を握ってくれる赤子が、笑い続けてくれること。
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堅苦しい話になりました。現状把握と言うことで。
史実と嘘とごちゃ混ぜな部分が一部。歴史好きな方、怒らないで……(滝汗)!
伊達三傑は漫画版“乱・世・乱・舞”のイメージです。