誰に頼まれたとか
誰の命令だとか
もう関係なくて
ただ傍にいたいだけだ
六杯目の餡蜜を食べ終わって、赤子はようやく満足したらしい。
幸せそうに笑う様は、見ている方までなんとなく幸せにさせる。
「もういいか? 幸?」
「んー」
小さく頷いた赤子の頭をくしゃくしゃと撫でる政宗。
赤子はにこにこ笑って、政宗に擦り寄った。
「随分懐いてんだなぁ」
「まぁ…半分は刷り込みだろうけどな」
「うー?」
佐助の言葉に困惑気味に呟く政宗に、赤子はきょとんとしている。
「この後はどうするんだ? お前」
赤子の頭を撫でながら、政宗が佐助に向けて言った。
この後。
それは餡蜜屋を出てから、というのもあるのだろうが、今後の事を聞いているのだろう。
武田勝頼が佐助に下した命令は、己の主を探し出す事。
それ以後のことは何も言われていないし、自由にして良いと言われたから、改めて考えると迷ってしまう。
正直に言えば、主とともに在るのが当たり前だと思っていたから、他の事が今まで思いつかなかったのだ。
しかし探し出した存在は、全てを忘れて、かつて好敵手だった男と共に生を過ごしている。
これを無理やり引き裂くような事はしたくない、ふわふわと笑う顔を見れば尚更。
「今まで特に考えてなかったからなぁ……何処か就職先でもあればいいけど」
あまり気乗りしていない。
自分が仕えるのは、あの手のかかる幼い主だけで良い。
我侭な事を言っている自覚はあるけれど、気分が乗らないのだから仕方がない。
「つてはあんのか?」
「さてね。俺ぁずっと旦那のとこにいたから」
真田忍軍の頭領として。
“真田幸村”に仕える懐刀として。
だからそれ以外の生き方が、思いつかなかった。
「何処でも、そこそこ生きてく自信はあるけどさ」
「まぁお前ぐらいの腕だったらそうだろうな」
「忍止めるのだって別に未練はねぇし」
戦に進んで立つつもりもない。
このまま何処かで、静かに暮らすのも良いかも知れない。
「……そうだなぁ………」
ぼんやりと、餡蜜屋の天井を見上げ仰いだ。
視界の端に捕らえた窓から、青い空が見える。
こんな風にのんびり過ごす事も、悪くない。
手のかかる主君ももういない訳で、自分ひとりの時間を堪能する事も出来るだろう。
けれど何故だろう、そんな事をしても退屈な日々しか思い描けなかった。
ちらりと、政宗にじゃれついている赤子を見た。
さっきから言葉らしい言葉を発していない。
政宗のいう事に対して、うん、とか、にこにこ笑っているだけだ。
中身は赤子並みだと言うけれど、その割には大人しいように思えた。
ただ単に大好きな甘いものを腹一杯食べて、満足したのかも知れないが。
きっとこのまま佐助がいなくなっても、気にかけないのだろう。
そう思うと、ほんの少しだけ、やっぱり淋しい気がした。
彼が自分の不在に気付かない事は時折ある事だったけれど、自分は彼が見える場所にいた。
だから彼が自分に気付かない事には慣れている筈なのだけど。
ふわふわと笑う、赤子。
そう言えば幼い頃も、こんなふうに笑っている時期があった。
「………ああ、そうだ」
ふと思い出して、佐助は荷物袋を漁った。
「昨日、団子屋寄った時に買ったんだ」
「あ? ああ、あそこか……最近出来たばっかで、評判のいいとこ」
「甘くて美味かったぜ。喰ったついでに買ったんだけど、あんたらにやるよ」
「いいのかよ? 美味かったんだろ?」
政宗の言葉に、佐助は笑うだけだ。
「癖で余分に買っちまったんだ。俺は甘いもんはそんなに得意じゃねぇから、こんなにいらね」
甲斐にいた頃についてしまった癖。
報告帰りに団子屋に寄る彼の為に、いつも先回りして多めに買う。
渡した時の嬉しそうな顔が、見たくて。
渡された団子を、政宗が眺めていると、横から赤子が割って入ってきた。
「喰うのは帰ってからだぜ」
「うー………」
政宗の言葉に、赤子は不満そうに唇を尖らせた。
「甘いもん好きだよなぁ、旦那は」
「そうだな……こら、言う事聞け」
「別に良いじゃねぇか、食わせても」
「餡蜜六杯のすぐ後だぞ。やめろって!」
政宗が必死になって団子を赤子から遠ざける。
しかし赤子の方も一所懸命に、団子に向かって手を伸ばした。
こんな所も、きっと自分達と同じだったのだろう。
蜜豆五杯と、砂糖菓子を大量に食べた後で、更に行きつけの団子屋に行きたいと言っていた主。
幾らなんでも食べ過ぎだと言ったけれど、彼はお構い無しだった。
結局自分も付き合ってやっていて、この人は将来糖尿病だな、なんて事も思った。
「やーめーろ! 駄目だ!」
「うーぅ〜」
頬を膨らませて、赤子は政宗を睨んだ。
睨んだといっても、目が大きくて丸いので、全くそんな風には見受けられないのだが。
クツクツと笑って、佐助は政宗から団子を取った。
あ、と政宗が間の抜けた声を漏らす。
きょとんとした丸い瞳が、こちらに向けられた。
真っ直ぐに見詰められるのは、随分久しぶりである。
ほんの少しだけ気分が上昇する自分がいて、現金だな、と思った。
政宗が何事か言い出す前に、団子を赤子の前に差し出した。
「一個ぐらい構わないだろ。ほら、口開けな?」
笑ってそう言うと、赤子はぱっと明るい顔になった。
そのままぱくりと団子を口に含む。
彼の好みの味だと、昨日自分も食べたからよく知っている。
思ったとおり、赤子はにっこりと笑って、嬉しそうに飲み込んだ。
ふわふわとした笑みが佐助に向けられる。
「おい、甘やかすなよ」
「あんたもすっかり保護者だね。俺の気持ち判った?」
「はぁ?」
「昔っからこんな感じなんだよ、うちの旦那は」
佐助から残りの団子を仕舞いながら、政宗に向けて笑う。
仕舞われるのを惜しそうに見ていた赤子だったが、一つ食べれたので一先ず良しとしたのだろう。
佐助ににっこりと笑いかけて、満足そうに座りなおした。
「喰った事ない甘いもんは、すぐに食わなきゃ納得しないの。そうだろ?」
「……まぁ、お陰でよく色んなもん強請られるしなぁ……」
「お陰で俺も手間かけられたよ。変なとこで頑固で我侭なんだから」
にこにこ笑う赤子に、佐助は手を伸ばした。
退かれるかと少し危惧したが、頭の上に乗せると、赤子は大人しくそれを甘受する。
くしゃくしゃと撫ぜてやれば、くすぐったそうに小さく笑んだ。
「駄々捏ねてさぁ……あんた幾つだよっていつも思ったね」
「………お前も大変だったんだな」
「まぁね。慣れちまったけど」
つん、と赤子の鼻先をつついてやる。
赤子はしばしきょとんとしたが、くすくす笑い出した。
「あんまり長く続くもんだから、慣れちまって……気が付いたら、習慣になっててさ」
報告帰りの行き付けの団子屋に先回りするのも。
街で評判のいい甘味屋の場所を探しておくのも。
土産だと言う彼に付き合って多めに買って帰るのも。
毎度の事だったから、気付けば自分も甘味屋によく足を運ぶようになっていた。
行き付けの団子屋では、顔を出すだけですぐに注文内容を悟られる位に。
「甘やかすのはよくねーんだけど、判ってんだけどさ」
まるで子犬みたいにねだって来るものだから、佐助が放って置いても周りが放って置かない。
周りに手間をかけさせるぐらいならと、佐助が折れる事で事はいつも収まっていた。
「つい、なぁ」
笑う佐助に、赤子もにっこり笑う。
それを見ていた政宗も、そうだな、と小さく呟いた。
餡蜜屋を出て、さてこれからどうするかと佐助は空を仰いだ。
何処までも晴天は続いていて、秋晴れとはこういうものを言うのだろうか。
あの日はとても暑かったけれど、やはりその日を過ぎれば後は風が出てきている。
風の向かう方向などは知らないけれど、今は自分の向かう方向の方が少し心配だった。
事はこれで終わったのだ。
生存は確かめたし、平穏に暮らしていることも判った。
武田勝頼が佐助に下した命は、きっとこれで終わりと見て良いのだろう。
見つけた人物が赤子になってしまったことは気掛かりだったけれど、きっと心配は要らないと思う。
何せ奥州筆頭の庇護下にいるのだ、滅多な事はないだろう。
「じゃあ俺と幸は帰るが……お前はどうすんだ?」
「…さぁねえ。旦那見つけるまでは、本土全部回ってやろうかとも思ってたんだが…その必要もなくなったしな」
全国の甘味屋でも回ってやろうか、なんて冗談めかして言ってみる。
呆れたように肩を竦めた政宗は、勿論佐助の言葉が本気でないと判っているのだろう。
甘いものを得意でない自分が甘味屋巡りなんて、変な話だ。
けれど甲斐からこの奥州に着くまで、色々な甘味屋を巡った自覚はある。
彼がいるなら其処であるような気がしたから。
甘いものが好きな主だったから、目立つ人だったから、そういう場所に行けば何か判る気がしていた。
結局殆ど空振りだったのだけど。
「まさむねぇ」
「ああ、ちょっと待てよ」
早く帰ろう、と急かす赤子を、政宗が頭を撫でて宥めた。
「旦那」
「それじゃ反応しねぇよ」
「……一番慣れた呼び方なもんで、つい」
真田忍軍の頭となって随分経つけど、ずっとそう呼んできた。
彼もそう呼べば振り返ってから、どうしてもこう呼んでしまう。
仕方なさげに、政宗が赤子を佐助の前に立たせた。
団子を貰えた相手だからか、赤子はにこにこ笑っている。
餌付けしたつもりではなかったのだが、結果、そうなってしまったようだ。
昨晩の邂逅では佐助を見て泣き出していたのに、随分と立ち直りの早い事である。
「旦那ぁ、またな」
「…?」
「生きてたら、またどっかで逢おうぜ」
ぽんぽん、と明るい色の髪を叩いてやる。
子供扱いするな、と振り払う手は、もうない。
昨晩は泣いて叩かれてしまったけれど、その痛みは既に消えていた。
ただあるのは、ほんの少しの虚無感。
それを見ないふりにして、佐助は踵を返す。
「…………幸?」
だが、何かに服裾を掴まれて、歩行を阻まれた。
政宗の名を呼ぶ声が聞こえて振り返ってみれば。
拗ねた顔をして、こちらを見上げる丸い瞳。
「ゆき」
幼さの残る声が紡いだのは、今の自分の名前だった。
意味を掴み兼ねていると、赤子はずい、と佐助に近付く。
「ゆき」
「……は?」
「ゆき!」
ぷ、と政宗が噴出したのが聞こえた。
クツクツと笑い出した独眼竜に、佐助は眉根を寄せる。
「旦那って名前じゃないって言いたいんだろ」
「……ああ……さいで」
「いいんだよ、幸。こいつの呼び方も間違ってねぇから」
「ゆき!」
「はいはい」
訂正を要求する赤子を、政宗は軽く宥めてやる。
「……そーだな、旦那じゃねぇもんな」
「なんだ、センチメンタルになりやがって」
「せん……」
不意打ちに異国の言葉を使ってくる政宗に、佐助は少々頭痛を覚えた。
ああ、なんとなく教育に悪かったりしないかな、なんて事を思う。
だが妙な事は教えていないようだし(と、願いたい)、大丈夫か。
佐助は小さく笑って、赤子を目線を合わせた。
「じゃあな、幸」
くしゃりと髪を掻き撫ぜる。
赤子はくすぐったそうに笑って、佐助を見上げていた。
こんな風に別れた事なんて、一度もなかった。
真田家に仕える身として、いつも傍にいた……手の届く所に。
各地の様子を調べに行ったり、何処かで隠密業をしたりする以外は、いつも彼の隣にいた。
幼い頃からずっとそうで、当たり前の事で、このまま続くものとばかり思っていた。
けれど時間とはかくも残酷なものである。
最後の合戦の時の別れも、今の別れも、きっとないだろうと思っていた。
どちらかが討ち死にするのはあるだろうと思ったけれど、こんな形があるだなんて。
戦を離れる事がなかったから、余計にそう考えていたのかも知れない。
ほんの少しだけ、淋しい。
「STOP」
聞こえた声に、はぁ? と振り向いた。
政宗の独眼が、真っ直ぐにこちらを見ている。
それに習うようにして、まん丸の瞳も。
「なんつった?」
「STOP。止まれって事だ」
止まったからOK、と政宗は言う。
……取り合えず、止まっていよう。
すると、赤子がぱたぱたと軽い足音を立てて佐助に駆け寄った。
長い髪が尻尾のようにふわふわ揺れる。
邪魔になるんじゃないかと思った事は、何度かあった。
けれど切れと言っても彼は一向に聞き入れなくて、戦場で炎と一緒に舞うその尻尾に、まぁいいか、と思う事にしたのだ。
すぐ傍まで駆け寄ってくる赤子にどうしたのかと思っていれば、赤子が地面を蹴った。
そのままの勢いで、赤子は佐助に抱きついた。
「俺がお前を雇ってやるよ」
そうすりゃ、主とも一緒にいれるだろ?
俺も奥州を離れる時に気兼ねしないで済むから。
悪い条件ではない、と笑う独眼竜。
腕の中で。
抱いた温もりは、やっぱり手放せそうになかった。
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