ほら、見詰めた先のその笑顔






















ずっとずっと探してた、俺の宝物





































なんだ、この光景。










昨日彼の事を尋ねた餡蜜屋に入った。
どうやら評判のいい店らしく、時刻は昼を過ぎたと言うのに、まだ人でごった返している。
人が多いのは苦手なんだが、と思いつつ、佐助は店内をぐるりと見回した。


やはりと言おうか、子供連れや家族が多かった。
親にあれが食べたいと強請っている姿が、不意に彼と被ってしまう。

甲斐では、自分と彼もあんな風に見えたのかも知れない。
行き着けの団子屋や、新しく出来た甘味屋に入る度に、彼はあれが食べたい、これが食べたいと言っていた。
食べ過ぎだとか、虫歯になるとか、そんな返事をしていた覚えが有るけれど、
最終的に折れてしまうのは結局佐助の方で、給与の三分の一ぐらいは彼の食費に消えたのではなかろうか。
あまり甘やかすとお互いに癖がついてしまうものなんだと改めて認識したものである。

傍から見れば微笑ましい光景なのだが、本人達はどちらも至って真剣なのである。
片や自分の欲求、片や財布の中身と、どちらも切実であるのだ。
そして最終的にどちらが折れると言えば、大抵は保護者の方だった。



全く、無邪気と言うものは恐ろしい。
何にも勝る、究極の言葉である。




かつての彼も無邪気だったけれど、今もそうなのだろうか。
真っ白になってしまったから、拍車がかかっているかも知れない。

手のかかり具合をよく知っているから、あの独眼竜はもっと大変だと思った。
聞き訳がいいと言えばいいのだが、変な所で頑固な面があるのだ。
特に自分の好きな甘いものに関して言えば、それは存分に発揮される。


奥州筆頭と名高いあの男が、赤子や子供の相手が得意だとは、到底思えなかった。
面倒見が良いかどうかまでは知らないが、並大抵の忍耐力で彼に付き合うことは出来ないだろう。
経験者が語るのだから、かなり真実味のある話だ。

齢十八にして、あれだけ天然で周りを振り回していたのだ。
赤子ともなれば、疲労はその倍にぐらいなりそうだ。

音に聞こえた独眼竜が一人の赤子に振り回されている姿も見てみたいが、心中察すると少し気の毒だった。




そんな事を思いながら、佐助は店の角席で、探していた姿を見つける。









そして、思った言葉が。














………なんだ、この光景。



























「おう、遅かったな」



餡蜜を突いている赤子の横にいた独眼竜が、佐助を見上げて言った。



「……何してんだよ」
「何って、飯」
「それは判るけどさ」



政宗の前には、美味そうな親子丼が半分ほど残って置かれていた。
ちなみにその横に置いてあるのは、空になった餡蜜の椀が三杯と、つつき始めたばかりの四杯目の餡蜜。
やっぱり甘党なのは変わらないのかと思いつつ、佐助は机を挟んで向かい側に腰を下ろした。

注文を取りにきた女性に、茶だけでいい、と言う。
すぐに女性は下がって、渋茶が差し出された。



「幸、零すな」
「えへー」
「……じゃなくてだな」




にこー、と赤子が笑った。

ふわふわした笑い方だ。
記憶にあるのとは、随分違う。
けれど面影が見えたのも、また確かだった。




「ったく、ほら、こっち向け」
「うゅ〜」




手元にあった手拭で、政宗は乱暴に赤子の口元を拭いた。
赤子はいやいやと首を横に振るけれど、振り払う事はしない。
ちなみに先刻も、同じような事をしていたのである。
佐助が思わず絶句してしまった光景は、これだった。

政宗の手が離れると、赤子はまた餡蜜に手をつけ始める。
目の前に座った佐助にちらりと目をやったけれど、特に興味を持った風でもなく、餡蜜を口に運んだ。
ほんの少し淋しい気もしたけれど、仕方ないといえば、仕方のない反応にも思えた。


がつがつと親子丼を片付けていく政宗と、ちまちまと餡蜜を食べる赤子を見て、思うこと。
それは以前なら、自分が政宗の位置にいたのだろうなと言う事だった。

隣にいて何かしらと世話を焼いて、彼もなんだかんだと文句を言いながら、甘受する。
単に拒否しようとするのを佐助が聞き入れなかっただけと言えば、そうなのだけど。
団子にしろ何にしろ、粗食した時に口の周りについたものを拭くのは、大抵佐助のする事だった。
その都度にあんたは幾つなんだと言ったが、佐助が口煩いんだと反論を受けた記憶がある。
まぁ、その点については、認めた。

なんとなくあの日々が懐かしいと思う。
今、目の前の二人を見て、尚更。
傍目にこんな風に映っていたのかと思うと、少しこそばゆい気がした。




甘いものを食べた時に、幸せそうに笑う顔。
まだ幼さを残す、十八よりも少々下に見える顔。

何も変わっていないのに、隣にいる人物だけが、自分ではない現実。
















「で……本題だが」




いつの間にやら親子丼を綺麗さっぱり平らげて、政宗が言った。




「何処から聞きたい?」




机に頬杖をして、政宗は佐助を見ながらそう言った。

ちらと赤子を見遣ってみれば、こちらは暢気に餡蜜を口に含んでいる。
こういうところも、どうやら変わっていないようだ。



「出来れば、頭からだな。なんで旦那が、独眼竜殿と一緒にいるのか」



二人の話し声は、周りのざわめきに掻き消されて響かなかった。
互いにだけ聞こえていれば十分だ。

政宗は隣の赤子の頭をくしゃくしゃと撫ぜて、自分の茶を飲み干した。



「頭からか……って事は、拾った所からか」
「あんたが旦那を拾ったのか?」
「ああ。たまたま陣を広げてた所に、傷だらけのこいつが倒れてんのを、部下が報告しに来た。
驚いたぜ……武田の武将があんな草っ原にぶっ倒れてんだから」



びしょ濡れの血塗れだったぜ、と。
濡れたのは川に落として逃がしたからだと言えば、政宗は納得した風だった。



「流石に放って置く訳にも行かねぇから、拾った。虫の息だったけどな。とくに、右腕とか」
「……ありゃあ織田にやられたんだ。もう治ってんのか?」
「ちぃと跡があるけどな。支障はない。現に、右腕使ってるだろ?」



言われて赤子を見てみれば、拙い食べ方ではあるけれど、きちんと右手を使っている。
ゆったりとした着物の隙間から僅かな傷跡が見えたけれど、確かに問題はないようだ。

かなり酷い火傷だったから、心配だった。
治ったとしても、ちゃんと機能するかどうか。
あれだけの傷だったのだ、後遺症があっても可笑しくなかった。
だが佐助の心配は、どうやら杞憂で済んだようである。



「時間はかかったが、傷はもう完治したようなもんだ。あちこち駆け回って転ぶから、生傷絶えないけどな」
「……天然のドジは健在って訳だ……」



ぼんやりしていて抜けているのは変わらないらしい。

目の前で転んだ子供がばら撒いた団子を、思い切り被ってしまうような事もあったのだ。
戦場では天性と呼べる程の危機感は、ああいった場面ではまったく機能しないのである。
仕様のない人だと思いつつ、佐助の口元から笑みがこぼれる。



「正直、拾ってこっちまで連れ帰ったのは、俺の気紛れだ」
「部下が煩かったんでない?」
「そうだな……なんせ、相手は紅蓮の鬼だ。やられた奴も多かった、無理もねぇさ」
「……なんだってそんな奴を拾ったんだよ、あんたは」



一番疑問に思うのは、其処だった。


記憶をなくしていようといまいと、彼が“真田幸村”である事には変わりない。
紅蓮の二槍使いと恐れられ、武田信玄への深い忠義心と共に、その名は近隣諸国に轟いていた。
炎を纏うという特異な体質も含めて、そう簡単に忘れられる存在ではあるまい。
伊達軍とぶつかった事は何度かあったから、その時にやられた兵もいるだろう。

この乱世のご時勢だ。
誰を恨んでも可笑しくない。
その者に再び相対した時何を思うかも、容易に想像が付いた。




政宗はちらりと隣の赤子を見遣った。
それに伴い、佐助も赤子に目を向ける。

赤子はしばらく餡蜜を食べるのに集中していたが、視線に気付いたらしく、顔を上げる。
じっと見つめてくる二人を不思議に思い、首を傾げて政宗を見返した。
まん丸になった瞳からは、かつての意志の強さよりも、透明度が高い事が伺える。



見返す赤子の頭を、政宗はぽんぽんと叩いてやった。

その手が離れると、赤子はにっこりと笑う。
それからまた、餡蜜を食べ始めた。






「言っただろ………気紛れさ」






拾って手当てをしたのも、連れ帰って面倒を見るようになったのも、
全部自分の気紛れなんだと、政宗は言う。

やっぱりこの男の事が、佐助はどうにも掴めなかった。
破天荒振りはよく耳にしたが、敵将を拾って匿うなんて事まで仕出かすとは。
武士の情けと言えばそうなのかも知れないが、それで片付けられるほど小さな出来事ではない筈だ。



「……引き込もうとか思ったんじゃないのか」




それが、拾い連れて帰るに当たって一番妥当な理由である。


彼の強さは、十二分に知れ渡られている。
忠義心もさる事ながら、自軍に招く事が出来れば百人力だろう。



しかし政宗は、首を横に振った。




「一度もそれを考えなかったっつったら嘘になる。けど、拾った時は本当に何も考えちゃいなかった」




目覚めた後の事も、周囲の意見も何も考えていなかった。
ただ満身創痍で倒れているのがなんとなく放って置けなかったのだ。







「あれこれ考え出したのは、こっちに連れて帰ってからだ。
武田は織田にやられたって情報も入ってたし、甲斐に帰せる状態でもなかった。
取り合えず、目が覚めればなんとかなるだろうと思ってたら、記憶喪失に精神退化と来た。
挙句に頭の中身は子供どころか赤ん坊並みで、言ってる事もまともに理解出来なかったんだ。
立つ事もろくに出来なかったから、本当にややを相手にしてるみたいだったぜ……」




疲れたもんだった、と政宗は溜息混じりに漏らす。

どうやら、佐助が思っていた以上に大変だったようだ。
言葉も理解できない、事の良し悪しも判っていないから、抑止するのに一苦労したと言う。




「立てるようになって、歩けるようになって……
言葉もそこそこ理解するようになって、今度は別の問題が出てきた。
当たり前の事だけどな、他の連中が騒ぎ出しやがったんだ」




武士の情けで事を全て許せるような相手ではないのだ。
幾ら一国の主が拾ったといっても、そう簡単に認める事は出来ないだろう。



「……今はもう大人しいのか」
「…ちょいと荒療治だったからな……文句言って来る奴は、あれ以来いないな」



一体どうやって黙らせたのか。

佐助がそれを問おうとする前に、政宗は眉間に皺を寄せた。




「あの方法が、一番手っ取り早かった。幸の状態をはっきり判らせるには……」




苦虫を噛み潰したような顔。

















「一度だけ、俺は幸と戦り合った」



















政宗の言葉に、思わず佐助は声を上げそうになった。
しかし政宗の突き出された掌が、黙れと指し示す。

店の中だし、仕方なく佐助も声を抑える。



「あんた、旦那に刃は持たせねぇって言ったじゃねぇか…!」
「ああ。だからあれ以来、一度も幸には槍を持たせてない。あの一回限りだ」
「何考えてやったんだ」
「……周りの煩ぇのを黙らせる為だ。幸が闘れる状態じゃないって判らせる為にな」
「だからって無茶苦茶じゃねぇのかい。何も戦りあう程でもねぇだろ」
「無茶なのは承知の上だった。そうでもしなきゃ、幸がどんな目に合うか、判るだろ」



少なくとも戦える状態でないと知れば、脅威ではなくなる。
畏怖から命を狙うものはいなくなるだろうし、私怨からは政宗の庇護がある。
口で言っても聞かないから、目の前で証明するしかなかったのだと政宗は言う。



「……もっとも、皮肉なもんだったけどな」



言葉終わりに、政宗が通りがかった女中に茶のお代わりを催促すると、横から赤子も手を上げた。
どうやら、四杯目の餡蜜を食べ終わったらしい。
便乗する事にして、佐助も茶のお代わりを促した。

女性はくすくす笑うと、すぐに持って来るね、と赤子に言った。
それから政宗にも礼をして、台所の方へと入って行く。


赤子は政宗にじゃれついたが、政宗は少し静かにしているようにと言う。
拗ねた顔を少し見せたが、赤子は聞き分けよく納まった。




「皮肉って、何がだ?」
「染み付いてんのさ、戦ってものが」





赤子は政宗の刀を、尽く受け止めたと言う。
あの常人では到底目で終えないほどの早さを持つ六爪流を、だ。


防戦一方ではあったけれど、赤子はしっかりと政宗の攻撃を受け流していた。
その時にずっと泣きそうな顔をしていたらしい。
状況が判らないままに行われた事だったから無理もない。
だが判らないままで政宗の攻撃を流していたのだから、それはかなりの出来事と言える。
命の危機に曝されていると本能で悟ったのだろうと政宗は言った。

仕舞いには、傷を負ったのは政宗の方だった。
反射的に振り上げた槍が、政宗の肩を切りつけた。
深い傷ではなかったけれど、派手な出血をしてしまった。

それを最後にして、赤子は座り込んで泣き出したのである。
何があっても手放さなかったはずの槍を地面に転がしたままで。





「頭はちっとも覚えてねぇが、躯の方は覚えてる。やらなきゃやられる、戦場の掟ってもんがな」





いっそ何もかも忘れてくれていたら良かったのに、と。
政宗の言葉は、佐助の中にも響いてきた。

立ち向かうための刃を持った人間は、怖い。
それが本人の意思にそぐわなくとも、時としてそれは己の身を危険に曝す。
中途半端な牙を持った存在は、守るにも攻めるにも、半端なものでしかない。



「……あの日から、幸には槍を持たせてない。血も見せない。見ると泣き出すんだ」
「…血が流れた後に残るのは、屍だけだからな」
「覚えてなくても、判るんだろうな」



話を一向に判っていない様子の赤子を、政宗が撫でてやる。

赤子は構って貰えないのが詰まらないのか、唇を尖らせている。



「もう二度とさせねぇよ。何があっても」




赤子に目を向けたままで呟いた言葉は、まるで己に誓いを立てているようだった。

赤子は唇を緩ませると、にっこりと微笑む。
それはまるで、花が綻んだような笑み。








愛されている。
大事にされている。

戦と言うものを、知らずに。







一からやり直して。














「まさむねぇ」












拙く名を呼ぶ声を聞いて。
ああ、声音も変わってないんだと思った。

鴇の声を上げる時とは違う、高くてよく通る声。
まだ幼さを残す、その声。




















少しだけ、淋しいけれど。


壊す気にも、ならなかった。