見つけた後は、どうするかなんて考えていなかった。
ただもう一度会いたくて。
もう一度声が聞きたくて。
傍に、いたかった。
奥州筆頭、独眼竜伊達政宗。
目の前で物騒にも、抜き身の刀を持っている男がそうであると、すぐに判った。
睨む瞳は剣呑で、気の弱い人間ならそれに射抜かれただけて逝きそうである。
「幸の泣き声と、知らねぇ気配がするから何かと思ったが……」
振りまかれる殺気は、なるほど、若いながらも研ぎ澄まされている。
過去に何度か彼と対峙した所を見たが、戦の最中は本当に楽しそうな男だ。
戦場こそが我が命、まるで闘う為だけに生まれてきたような男である。
会議は終わったのだろうか。
近付く気配に気付かなかった自分に、佐助は小さく舌打ちした。
勘が鈍ってしまったか、はたまた目の前の現状に戸惑っていたか、それはどちらも有るのだろう。
まずい状況に陥ってしまい、どうしたものかと思案する。
やっと見つけた主君を放って置く事は出来ないし、何故こんな事になっているのかも細かく聞きたい。
しかし目の前の男は、どう考えても、佐助を切り捨てる気満々である。
「見たことある面だな……」
「そりゃ、光栄だね」
数える程度しか会っていない筈だ。
こちらとしては、独眼という事がよく頭に残るが、忍の佐助の顔を覚えているとは。
彼と一緒に行動することが多く、抑止として動く場面も多かった為、自然と前線に出る事も多かったが、
それでも片手で数えて足りる程度しか顔をつき合わせていないと思う。
意外と旦那と一緒くただったりしてな、と考えた。
有り得ない話ではない。
最初に逢った時だって、今川軍が其処まで来ているにも関わらず、
勝負を始めようとする二人の間に割って入り、退却を促したのは佐助だったのだ。
楽しみに水を差されたという事で、どうも第一印象は悪いものになったとしたら、後々尾を引くというものだ。
「確か、猿飛佐助っつったか」
「当たり。真田隊の忍頭だよ」
隠す必要もなければ、もう真田家はないに等しいので、あっさりとばらした。
政宗の眉が顰められる。
「織田との合戦で死んだかと思ってたんだけどな」
「あー、三途の川は見えたかな。渡るにゃ早かったようだけど」
舞い戻ってきちまった、と。
おちゃらけて言うと、政宗はじろりと佐助を睨み付けた。
あまり巫戯蹴ていると、切り捨てられるかも知れない。
この男の沸点が判らない……彼と似ているとは思うけれど、あれよりも短気だと思う。
気に入らないものには容赦なく刃を向けて切り捨てる。
若い故に血気盛んなのは彼と同じだけれど、向けられる矛先の理由は随分異なる。
「いっそ渡っちまった方が楽だったんじゃねえか?」
「さぁ? まぁ、死んだらその時の事だと思ってたけど。生き延びちまったから」
「……残念だったな」
死んだら、あのでかい男にも逢えただろうに、と。
恐らくそれは、織田との合戦前に逝ってしまったあの総大将の事だろう。
確かに、逝けば黄泉で逢えたかもしれない。
けれど佐助は、それよりも気掛かりな事が一つあった。
だから一度は見えた三途の渡し川を、船の手前で引き返してきてしまったのだ。
彼が、無事なのかどうか。
無事なら、どんな風に生きているのか。
そうでないなら、どんな風に死んでしまったのか。
彼の事ばかりが気になって、目を覚ましてしまった。
血だらけになって、土であれほど汚れていたのに、それも忘れてしまうほどに。
どうやら、彼の事が気になって仕方がないのは、最早染み付いてしまった事らしい。
無理もない。
いつだって戦の時意外はぼんやりしているから、何処で何に巻き込まれるか判ったものじゃなかった。
変な所で抜けているから、佐助が何かしら手を出してやらないと、いつまで経っても片付かないのだ。
何も出来ない幼子でもないのに、そんな面が消えないから、放っておけなかった。
俺が一緒じゃなきゃ駄目なんだと。
自惚れと言われればそれまでだけれど、そんな事を思ったりもしたものだ。
「で、武田の本拠地は甲斐だったな。わざわざ奥州までご苦労な事だが……」
一体なんの用だ、と。
半分見当がついているだろうに、確認のように問う。
「俺の主を探しに来た」
そう言った、直後。
喉元に刀の切っ先が触れた。
「お前の主は、もういねぇよ」
「……ああ、そうみたいだな」
「知ってて此処に来たのか」
「本人かどうかってだけでも、確かめたかったんだよ」
「……で、感想は?」
もう、いない。
追い求めていた紅蓮は、もう。
座り込んだままの赤子は、同じ顔をしているのに、泣きじゃくっているばかりだ。
こんな風に泣きじゃくる姿を見たのは、一体いつ振りだろうかとぼんやり考える。
感情の起伏が激しくて、それに伴って表情も豊かだったけれど、成長していくうちに涙は見せなくなった。
食い物を喉につまらせたとか、些細な事で涙を浮かべる事はあったけれど。
これで諦めはついた。
仕事は一つ、終わった。
探す事。
生きているか、確かめる事。
武田勝頼から命じられた、任務は終わった。
けれど。
「終わらねぇよ」
見つけた後は、好きにしていいと言われた。
真田家は既にないも等しいし、甲斐武田も既に衰退を辿っているばかりだ。
佐助の腕なら何処か他に行き場所もあるだろうから、思うところがあるなら其処に行ってもいいと言われた。
見つけた主のもとにいても良いし、再び甲斐に戻って武田に仕えても構わないのだろう。
見つけた後のことを、特に考えてはいなかった。
見つけたらどうしようとか、はっきりと決めてはいなかった。
けれど。
「俺は、真田の旦那の忍だ」
主が覚えていなくたって。
主が、知っている姿でなくなっていたって。
それは一生、変わらない。
「……幸は、お前の事も武田の事も、なんにも覚えちゃいない」
「…そうみたいだな。あんなに一緒にいたのにな」
子供の頃から、ずっと一緒だったのに。
「ややと変わらない」
「……ああ、見てれば判るよ」
「…幸をどうする?」
幸。
ああ、それが今の名前か。
どうする。
どうするのだろう。
帰る場所も無いし、きっとこの赤子は、此処が自分の居場所だと思っているのだろう。
「甲斐に連れて帰るのか? そんでまた、戦に連れて行くってのか?」
そんな事は許さない、と。
喉元に突きつけられた刀の切っ先が、佐助の皮膚を破った。
大した痛みはない。
けれど、動けば間違いなく、一突きされてあの世行きなのだろう。
「……あんたは、旦那を戦に連れてく気はないのか?」
「ない」
愚問だ、と政宗は迷う事無く、真っ直ぐに言い切った。
部下がどれだけ煩く言おうが、民が彼の正体を知って何を言おうが、聞くつもりはない。
戦に連れて行くつもりもなければ、刃を持たせるつもりもない。
籠の中に閉じ込めておくつもりはなくても、戦場に連れ出す気はない。
迷いなく光る、独眼。
「正直、連れて帰りてぇよ」
でも。
「帰る場所は、もうねぇからな、屋敷も今頃なくなってるだろうし」
「……縁者なんかは、いねぇのか」
「旦那の縁者は、とっくの昔に皆逝ったよ」
両親は、幼い日に死んだ。
親戚なんかは、織田に攻め込まれた日に。
武田は衰退を辿り、織田に食い潰されて行っている。
そんな甲斐を見せたくないとも思った。
たとえ覚えていなくたって、暖かかった人々の冷たい顔を見せたくなかった。
甲斐では、一応討ち死にしたとしている。
彼の名を、泥で穢したくなかったから。
「……それにしても、旦那の縁者の事をあんたが聞くとはね。どういう風の吹き回しだ?」
刀を突きつけている所を見れば、傍らの赤子を手放す気はないらしい。
けれどそれなら、何故縁者の事を尋ねてくるのか、腑に落ちなかった。
気にかける必要はないだろう。
奥州から離すつもりがないのなら、縁者の事などどうでも良い筈だ。
「………別にどうだっていいだろ」
はぐらかされて、佐助は肩を竦めた。
それから、突きつけられていた刀が離れていく。
かちん、と金属の音がして目を向けてみれば、政宗が刀を収めた所だった。
刀を適当な場所に転がせると、布団の上で泣きじゃくっている赤子を見下ろした。
政宗の伸ばした手が、明るい色の髪を撫でる。
佐助の記憶にあるのは、その後、子供扱いするなと怒る主の顔だった。
けれど目の前の赤子は、愚図ったままで政宗を見上げている。
政宗の剣呑としていた光が和らいだのを見て、こんな顔もするのか、とぼんやりと思った。
佐助が覚えている独眼竜と言えば、戦場で刃を振り翳すものしかなかった。
これもこの赤子が起こした奇跡なのだろうかと思う。
頭を撫でられた赤子は、愚図ってはいるものの、どうにか涙を止めようと試みている。
目元を何度も擦ってはいるけれど、涙はまだ溢れてくる。
腫れるから擦るな、と政宗がその手を掴んだ。
「もう寝ろ、幸」
命令口調ではあったけれど、声音は酷く優しかった。
政宗がその場に膝を折ると、赤子は政宗に擦り寄った。
温もりを求める子犬のようだと、思う。
政宗に擦り寄った姿勢のままで寝息が聞こえてきたのは、直ぐだった。
寝付きがいいのは、今も昔も変わらない。
この分だと、甘党ぶりも顕在であろう。
そう言えば団子を買ったよなぁ、と昼間の出来事をぼんやり思い出した。
眠りに着いた赤子を見遣って、佐助は踵を返した。
入ってきた時に開けっ放しにしていた障子窓から、外へと出る。
すると。
「おい」
呼ぶ声がして振り向いたけれど、窓辺には誰も立っていない。
けれど低い声音は明らかに独眼竜のもので、佐助は無視する訳にも行かずに立ち尽くす。
「明日、餡蜜屋に来い。詳しく説明してやるよ」
餡蜜屋。
街で評判の。
行きつけだという、あの。
今はどんな顔で眠るのだろう。
そんな事を考えながら、佐助は砦の屋根を蹴った。
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