「あら、殿では御座いませんか」
侍女に呼び止められて、政宗は立ち止まった。
そうすれば同じくして、隣を歩いていた赤子も立ち止まる。
三人の侍女が、こちらを向いて笑っている。
「なんか用か?」
「いえ……お姿を見るのも久しぶりでしたから」
「あ?」
「此処しばらく、外にお出でになっておりませんでしたでしょう?」
「ああ……そういや、そうか」
必要最低限以外の時間、政宗は寝所で過ごしていた。
幸村が寝所からあまり出たがらないので、目付けをしている身としては、傍を離れられないのだ。
まだ何を見つけて、何を仕出かすか判らないので、目を離している間は気が気じゃない。
会議を終えた後は、食事も何もかも、寝所で幸村と一緒に過ごしている。
ちなみに風呂は、人が誰もいなくなってから、幸村と二人で入っている。
以前ならのんびり出来たその時間も、幸村がやって来てからは気が抜けなかった。
存外鈍感で間の抜けた節のある幸村は、よく足を滑らせて溺れるのだ。
それで一度、本気で逝きかかった事もあった。
赤子から目を離すのは良くない。
よって、政宗の時間の大部分は、幸村に占められていた。
今日は珍しく、幸村を連れて砦内を歩いていた。
いつまでも閉じ込めておくわけには行かなかった。
そうして少しぐらい、外に目を向けてやってもいいだろうと思った。
政宗が傍にいれば真っ向切って文句を言う者もいないだろうし、目を離す事もないので比較的安全だ。
そろそろ季節の変わり目で、寒波がぶつかって来ると外に出るのは困難になる。
今のうちに見せれるものは見せた方がいいと思ったのであった。
今まで小さな世界しか知らなかった幸村は、目に付くもの全てに興味を惹かれたようだった。
言葉は話せないが、政宗の服をつついて、興味の対象を指差し、あれはなんだと目で問う。
端的な言葉で応えてやれば、ふぅん、という顔をする。
連れ出して失敗、という事にはならなさそうで、少し安心した。
だが侍女に見付かったのは少々厄介かも知れない。
この侍女たちの中には、武田によって身内を失ったものもいるだろう。
幸村の事は、彼女達の耳にも入っていると思う。
女性の怒りは怖い。
何事もなければいいと思いつつ、政宗は幸村を背中に隠した。
「お連れの御仁は、どなたですの?」
「あ? ああ、ただの客だ、気にすんな」
「可愛い顔をされておりますね」
上機嫌に笑う侍女は、確か一番位が上の女だったか。
周りへの気配りも細やかで、出来た女だ。
「ちょっと、お顔をよう見せていただけませんか?」
「あー……っと……いて!!」
急に構ってくれなくなった政宗に拗ねて、幸村が髪を引っ張った。
「あれあれ」
くすくすと侍女たちが笑う。
それが妙に気恥ずかしくて、政宗は誤魔化しに頭をがしがしと掻いた。
「こら、……引っ張るな、痛ぇ!」
「ふふ、怒っておられるようですね」
「私どもの所為なのでしょうね」
肩越しに怒鳴りつけてみるものの、幸村は膨れ面で見上げて来るばかりだ。
それから、幸村は政宗の髪を引っ張ったままで、ひょいっと侍女達に顔を見せた。
途端に黄色い声が上がる。
「あらぁ、これは武田の…!」
「まぁまぁ、可愛らしいお方!」
「武将殿からお話は聞いておりましたけど、おやまぁ」
きゃあきゃあと高い声で会話をされて、政宗は耳が痛くなった。
なんだって女と言う物は、こうも可愛いものに過剰な反応をするのだか。
「もっと勇ましいものだと思っておりましたわ」
「ちょいと其処は諸事情あってな……」
「ええ、聞いております、お医者様から」
口の軽いじいさんだ、と食えない老人を思い出した。
大丈夫だと思ったから喋ったのだとしても、言った事を一つも報告してこないとは。
幸村は侍女の勢いに驚いたのか、政宗に躯を寄せて身半分を隠している。
その様が警戒している小動物のように見えて、侍女たちはますます声を上げる。
「お名前は確か、真田様でしたね」
「……言っても判んねぇさ」
“幸”でなければ、幸村は反応しない。
名前を呼ぶ唯一の政宗が、ずっとそう呼んでいるからだ。
己を呼ぶ名と認識しているのは、“真田幸村”ではなく、“幸”だけである。
「殿はなんとお呼びに?」
「……幸、だ」
「幸村から?」
「…まぁ、そんなもんだ」
単純な発想だったが、よくお似合いで、と侍女たちは笑んだ。
名づける時の一悶着は、どうやら知らないようである。
知られていたら赤っ恥である気がする。
楽しそうな侍女達に対し、政宗は大きく溜息を吐いた。
幸村だけがそれに気付いて、ぐいぐいと政宗の服裾を引っ張る。
見下ろしてみると、どうかしたのか、という表情を見上げて来る幸村がいた。
なんでもない、とくしゃくしゃと頭を撫でると、くすぐったそうに笑った。
それがまた、いけなかった。
「あらあら、可愛らしゅうお笑いになりますこと」
「……ぼけーっとしてるだけさ」
「何を仰いますやら。先程から見ておりましたが、殿も嬉しそうに御座いますよ」
「…何言ってんだよ、何を」
当たらずとも、遠からじ。
女の勘とは恐ろしいものだと思いつつ、政宗は撫でる手を離した。
「それにしても、その着物は少々似合いませんね」
「……まぁ、俺もそう思うけどよ」
幸村は落ち着いた燕尾色の着物を着ていた。
いつも赤い衣を纏っているから、どうにも見ていて違和感を感じる。
だが赤い着物と言ったら、大概が女物なので、政宗が持っている訳もなかった。
政宗としては、着物は着れればなんでもいいと思うのだが、女人はそうも行かないらしい。
しばし三人でなにやら話し合っているのを、嫌な予感がしつつ見ていた。
時折肩越しに幸村を見てみると、こっちはこっちで、またにこにこ笑っている。
確かに、女に受ける顔立ちをしているだろう。
記憶と精神退化を差し引いても、やや幼さが目立つものの、幸村の顔立ちは整っている。
女が放って置く事はないだろうと思うのだが、幸村の浮いた噂は聞いた事が無い。
甲斐と奥州では遠いので、無理もない話であろうが。
だが女の話をしただけで破廉恥だとか騒ぎ出すほどの奥手だ。
きっと女人に囲まれようものなら、かちかちに固まってしまった事だろう。
またそれも、女性の保護欲を掻き立てるらしい。
戦の時とは打って変わって呆っとしている節の多い幸村に世話を焼く女性は、甲斐には多くいたらしい。
どうやら、それは此処奥州でも構わず通じるようだ。
面倒な事にならなきゃいいが、と思っていたら。
「殿、真田様を少々お借りしても宜しいですか?」
「は? 何する気だ?」
「似合いの着物を見繕おうと思います。それに、それは少々動き難そうですし」
「……丈の合う奴がねぇからな……」
幸村の着物は、細身で小柄の彼には、大きかった。
それについて幸村が文句を言ってきた事はなかったが、時折つんのめって転ぶ事がある。
仕方のない事と、いつか合う物を見つければいいと放置していたのだが。
「殿の事ですから、御髪も適当に結うだけなのでしょう?」
「…これ以外にどう結えってんだよ」
「手入れもきちんとしなければなりませんよ」
「あのなぁ、幸は女じゃねぇんだ。髪ぐらいどうって事ないだろ」
幸村の長い髪は、首の上の辺りで無造作に結われていた。
幸村本人が出来る筈も無かったので、結ったのは政宗である。
しかし政宗は短髪であるから、最初はどう結っていいものかと考え込んだものだった。
一度適当に結い上げてからは、この形で定着している。
手入れと言えば、風呂に入った時に政宗が荒っぽく洗い流してやるだけだ。
特に痛んでいるようにも見えないから、構わないと思うのだが、侍女たちは我慢ならないらしい。
「悪いようには致しませんから」
「……幸で遊びたいだけじゃねーか、お前ら……」
「滅相もありません!」
「良いお姿を殿にお見せしたいだけですわ」
「さ、こちらに」
政宗が呆れたような言葉を吐けば、侍女たちは首を横に振った。
そして一番上の侍女が、幸村に向けて手を差し出した。
幸村は状況をやはりというか把握していなくて、侍女の手を見てきょとんとしている。
どうしていいか判らない幸村の視線が、政宗へと向けられた。
明らかに丈の違う着物で、つんのめって転ぶのも危ない。
髪はどうでもいいのだが、確かにそちらだけは対処した方が良いだろう。
ごちゃごちゃに着飾らなければ良いと思いながら、政宗は小さく息を吐いた。
「仕方ねぇ。ただし、俺も一緒に行くからな」
「お着替え中はお外でお待ち下さいね」
「……女じゃねーんだからいいだろ、別に……」
何をずれた事を言っているんだか、と思いつつ。
政宗は幸村をつれて、侍女たちの部屋へと向かった。
本当に追い出されるとは、まさか思っていなかった。
一枚障子の向こうから、女達のはしゃぐ声が聞こえてくる。
男と接する機会が滅多にないからなのか、凄い騒ぎようだ。
幸村の泣き声が聞こえてこないので、妙な事はされていないだろうと思う。
何かあれば、火がついたように泣き出す筈だ。
単に状況をよく判っていないからだとは思うけれど。
部屋を追い出される時、幸村はにっこり笑っていた。
離れる事は今までにもあった事だし、一枚障子を挟んで傍にいるのだから、安心しているのだろう。
侍女達にもどうやら懐いたたしかった。
懐いた原因は恐らく、甘い団子を貰ったからなのだろうけど。
餌付けかよ、と思ったが、幸村が嬉しそうだったので何も言えなかった。
怯えられるよりはいいか、と思うことにして。
これがいい、あれがいい。
いつのなったら定まるのやら。
聞こえる声は、しばらく止みそうに無い。
「やっぱり紅がようお似合いですねぇ」
そりゃそうだ。
紅蓮の若武者と呼ばれた男だ。
「御髪も綺麗ですこと」
まぁ、不潔にはしていないからなぁ。
「紐で結ぶには味気ないですね」
なんでもいいだろ、結いものぐらい。
「ああ、これはいかが? 金平糖ですわ」
……また餌付けか。
やっぱり甘いもんが好きなのか。
「甘いものばかりも良くないですわ。後でこれをどうぞ」
……煎餅か何かか。
何処にしまってるんだ、さっきからやたら出てくるが。
「あれあれ、動いてはいけませんよ」
落ち着き無いからなぁ、幸の奴。
じっとしてられねぇんだ。
「さぁ、出来ましたよ。殿、どうぞ」
やっと終わったか、と。
政宗は溜息を吐いて、障子戸を開けた。
かくして、其処にいたのは。
「遊ぶなっつっただろーがぁあぁああああ!!!!!!」
女物の単を纏った、にこにこ笑う赤子だった。
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