舞い上がる炎は、天を焦がし、大地を焼き尽くす。
向かうものはその炎に焼かれ、舞に惚れながら天命に迎えられる。
炎は、人の力となり、人の全てを奪い尽くす力の象徴。
紅蓮は炎の色であり、力を示す色となる。
その色に誰もが恐れを為していたのは、一体いつの話だっただろう。
ごうごうと燃え上がる炎。
炎は幸村の右腕を包み込み、槍さえも燃やしていた。
それを見た瞬間、政宗はぞくりと何か薄ら寒いものを背中に感じた。
一体何が原因でそんなものを感じ取ったかなど、よく判らない。
ただ気付いた時には既に遅く、炎は政宗の腕にまで燃え移ろうとしていた。
「くそ!!」
炎を振り払おうと腕を凪ぐと、それだけで燃え移っていた炎は消えた。
まだ微量の火だったのが幸いであった。
戦場で受けた時、この炎は迷う事無く兵達を焦がしていった。
まるで意志を持った生き物のように、人間を焼いて行ったものだった。
それに畏怖を覚えなかった事がなかったとは、言わない。
「っあ………」
「政宗様!!」
「こやつ!!」
「寄るんじゃねぇ!!!!」
狼狽した幸村に、一斉に殺気が向けられる。
しかし政宗の怒号により、それは掻き消された。
「それで終わりか、“真田幸村”!!」
甲斐の紅蓮の鬼は、こんなものではなかった、と。
判る筈もないだろう言葉を紡げば、幸村は益々泣きそうな顔をした。
右腕の炎は、槍へと燃え移り、先端で赤く照っていた。
「虎につかえた鬼は、これで仕舞いにするのか!?」
「……っあ……ぅ…?」
「覚えてるなら、動け!!」
揺れる長い明るい色の髪も、細身の躯も、舞う炎も何もかも同じままなのに、
怯えた顔だけがどうしても一致してくれない。
当たり前だ、見た事なんてないのだから。
六爪流の連撃を、幸村は槍一本で凌ぐ。
自己防衛の本能が、反射的に躯を動かしているのだろう。
危なっかしい動きで無駄があるが、擦れ擦れで政宗の攻撃を受け流している。
身軽だが重みのない幸村の戦闘スタイルだ。
受けて流して、そのまま反撃に持っていく。
けれど政宗への攻撃はなく、幸村は防戦一方だった。
記憶も何もないのに、受け流す。
それだけ、幸村の躯には戦と言うものが染み付いているのだ。
がぎぃ、と耳障りな音がして、六爪と槍が擦れ合った。
「………っ!!」
今度振り払ったのは、幸村の方だった。
地を蹴り、政宗は後方へと跳んだ。
「っち……」
漏れた舌打ちは、一体何に対してのものだろうか。
よく判らなかったけれど、政宗は胸中のざわめきを無視する事に決める。
どうも戦闘に集中できない自分がいた。
これがいつもなら、嬉々として刀を振るっているだろうに。
相手が“真田幸村”であるというのなら、尚の事。
しかし己の中の士気は、中途半端なままである。
それは目の前の人物が“真田幸村”と同化ではないからだろうか。
単に、自分の気が乗らないだけかも知れない。
目の前の人物が赤子であると、判っているからとも思える。
仮説は幾らでも立てるのだが、それで何が変わる訳もなかった。
ただ、幸村が動いてくれれば、何かが。
そう思った直後だろうか。
幸村の眼前に、六爪流が届こうとした瞬間。
振り上げられた槍が、政宗の左肩を朱で染め上げた。
派手に出血した。
「っ……………!!!!」
「ぐ……!!」
赤子の顔が、一気に青ざめた。
意志とは関係なく、本能で振り上げてしまったのだろう。
距離が近かった所為で、幸村の顔にまで血が飛んだ。
もともと紅蓮の色を好んで見に纏っていた所為か、その紅が相応しく似合うのが歯痒い。
赤子の顔は泣き出す一歩手前になっているというのに。
からん、と音がして。
顔を上げると、幸村が地面に座り込んでいた。
何があっても離そうとしなかっただろう槍は、その隣で所在無さげに転がっている。
幸村の目尻に溜まっていた透明な雫が、大きくなっていく。
ああ泣き出すな、と思ったら、案の定。
「っう……・・・うぁあああぁああぁん!!!!!!」
つんざくような泣き声。
それでも、閉鎖された室内でないからか、反響が薄くて、耳は痛くならない。
変わりに、別の場所が痛くなったような気がして。
「………“幸”」
名を呼んだ。
聞こえているか判らなかったけれど。
出血の止まらない左肩を、右手で抑える。
ずきずきと痛む。
けれど痛いのは、その箇所ではない。
幸村の泣く声は、この場にいる者達全員に聞こえている筈だ。
政宗が傷付けられた瞬間に動こうとした者が、半端な姿勢で停止していた。
まさか武田の武将が、相手に傷をつけて泣き出すとは思わなかったのだろう。
まぁ、普通の反応だ。
自分だって、普通の状況なら固まってしまうところだ。
相手の状況がよく判っているから、やっぱりな、と思うだけだが。
事情を知らぬ者から見れば、なんとも可笑しな光景であった事だろう。
槍をその場に置いたままで、幸村が地面を蹴った。
どん、と勢いのついたままで政宗に抱きつく幸村。
衝撃が少し傷に響いたけれど、政宗はただ、幸村の頭を撫でてやっただけだ。
幸村は政宗の胸に顔を埋めたままで、泣きじゃくっている。
「汚れるぞ、幸」
「ひっえ……ふぇ…ふぇええん」
離れるように促しても、やっぱり泣いているだけだ。
幼心に血は怖いものだろう。
けれど今はそれよりも、政宗に傷を負わせたのがショックだったのだろう。
早く治さないとなぁ、とぼんやりと思った。
幸村の躯に、新しい傷は殆どなかった。
打ち身や擦り傷、蒼痣はあったが、跡は残らないだろう。
右腕の火傷にも大した支障は出ていない。
傷が酷かったのは、やはりながら政宗の方だった。
微かな火傷と、出血した左肩。
医者の小言は色々あったが、嫌がらせ的に左肩を叩かれたのは腹が立った。
何故こんな無茶苦茶をしたのかと問い詰められた。
応えても良かったのだが、なんとなくはぐらかした。
その間、幸村はすぐ隣で小さくなっていた。
時折頭を撫でてやったが、こちらに視線を向ける事をしない。
泣き止んではくれたものの、これはこれで、対処に困る事を初めて知った。
泣いて騒いでくれるなら、宥めてやる事が出来る。
にこにこ笑っているなら、暢気だな、と思うだけで終わる。
けれど今は、いつもの笑顔もないし、不満や不安を示す泣き声もない。
やっぱり赤子の相手はよく判らない、とぼんやり考えた。
散々小言を聞いてようやく解放されて。
政宗は、幸村の手を引いて寝所へと戻っていた。
時折、何処かから視線を感じる。
配下の者達である事ぐらい、考えなくても予想がついた。
先刻の有様を見て、彼らが何を思ったかは知らない。
けれどこれで、なんらかの変化がある事を願った。
口で言っても聞かない、血の気の多い連中が多いのだ。
幸村がどんな状態なのか、はっきりと見て判らせた方が確実だと思い、この無茶な行動に出た。
危うく左腕が使い物にならなくなりそうだったが、それは幸村に無理をさせた罰だと思えばいい。
幸村が戦える状態ではなく、増して合戦場になど到底出られないと判れば、
少しは風当たりも柔らかくなってくれるのではないかと思う。
反面、心配事と言えば、この機に乗じて幸村を狙う者がいないか、と言う事だ。
染み付いた反射神経が防御を行っていたものの、何処までそれが通じるかは判らない。
不意打ちならまだ反射で動けるだろうが、真っ向から来られたら、逆に無理かも知れない。
やっぱり、しばらくの間は傍にいる方が良いのだろう。
部屋に戻ると、幸村はここしばらく万年床状態の布団の上に座った。
篭った空気を換えるため、政宗は障子窓を開ける。
篭ったといっても格子窓が吹き抜け状態なので、さしたる不快感は無い。
西陽は相変わらず眩しかったが、今日はあまり熱を含んでいないように思う。
ちら、と布団の上に座り込んでいる幸村を伺い見た。
もともと細身で小柄な方だと思うのだが、今はそれよりもずっと小さく思う。
やっぱり無理をさせてしまった。
色々な意味で、政宗はそう思う。
説明しても判らないと思ったから、何も言わずに事を推し進めた。
混乱していた幸村は、自分が嫌われたように思ったかも知れない。
それも無理もない、ずっと優しく接してくれていた人が、突然刃を向けたのだから。
なんと言って安心させていいか判らない。
“幸”を守る為にも、“真田幸村”を目覚めさせるにも、この方法が一番いいと思った。
極限状態に追い込まれた瞬間にどうなるか、一種の大博打であったような気もするけれど。
「疲れたな、幸」
久しぶりに刀を持った。
幸村に至っては、初めて、という事になっただろう。
「悪かったな、いきなりあんな事して」
くしゃ、と髪を撫でてやる。
そうして幾刻が振りに、透明度の高い瞳が向けられた。
泣いていた所為で目が赤く腫れている。
痛々しさを感じさせる姿に政宗は眉根を寄せたが、そんな顔をさせたのは自分なのだ。
「もうしない」
あんな事は、もう二度としない。
刃を向ける事。
刃を持たせる事。
真っ白になってしまった赤子を、戦の色に染める事はないだろう。
この戦乱の世、戦を知らずに生きている人も何処かにいる。
それは幸村と同じ頃の年であったり、違っていたり、様々だろう。
だが十八年間の歩みを忘れ、零からやり直しになった子供の人生を、戦場に染めたくは無かった。
甘い戯言を言っている自覚はある、けれど願ってみたくなったのだ。
何も知らずに育って行ってもいいだろう、と。
知る必要の無い痛みは、知らないままでいいだろう、と。
「肩もそんなに痛くない。これならすぐに治る。お前が気にする事じゃない」
「…………ぅぁ………」
「みっともねぇ面すんなよ、可愛い面が台無しだぜ?」
クク、と笑って言えば。
その顔に安心したのか、幸村の強張っていた肩から力が抜けた。
「そう言えば、お前の顔に散っちまってたなぁ。気持ち悪くなかったか?」
「……う……?」
「まぁ、いいや。あんな事はもうねぇからさ」
言いながら、政宗は幸村の頭から手を離した。
まだ目尻にほんのりと雫が残っている。
どうやったらこれが引っ込んでくれるのか、と思案した後で。
「幸、いいもんやるよ」
押入れの中にいれていた壷を取り出した。
きちんと密閉されているそれからは、甘い匂いがしている。
赤子や子供は、甘いものが好きなのだと聞いた。
幸村自身の味覚がどのようなものか知らないが、まぁ外れではないだろうと勝手に予想する。
匂いに気付いたのか、幸村がじっと壷を見つめている。
そんな様にクツクツと笑いながら、政宗は壷を布団の傍に置いた。
密閉していた蓋を取れば、匂いはさらにはっきりと漂う。
「南蛮から取り寄せたもんなんだ。飴だよ」
飴なんて祭りの夜店に行けばあるのだが、これは南蛮製の飴だった。
鼈甲飴が主流のこの国とは違って、様々な色や味がある。
壷の中身は、さらに小分けにしていた。
飴が溶けてくっついてしまう、違う味が混ざってしまう。
それでも食べられなくはないのだが、一度組み合わせが悪いものに当たってしまった。
それ以来、なるべく外れの出来ないように別個で保管している。
小分けに使っている箱を取り出すと、幸村が箱の中身を覗き込んで来た。
陽光に反射して、飴はきらきらと輝いていた。
幸村の瞳にも、光が戻る。
飴に突き刺してある爪楊枝を摘んで、引っ張り出す。
やはり幾つかくっついていたが、難なく取れた。
「ほら、舐めてみな」
「……う?」
手渡された飴を、幸村は掲げて眺めている。
記憶を失っていなくても、幸村には始めて見るものだっただろう。
しばらくの間反射する光を見ていたが、ぺろ、と一舐めした後で。
「………えへ」
にっこりと。
本日久しぶりの、笑顔。
鳴いた烏が、もう笑った。
そんな言葉を思い出しながら、政宗は幸村の髪をくしゃくしゃと掻き撫ぜた。
きっと、紅蓮はもう見ない。
変わりに、この笑顔が守りたくなった。
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