よく覚えている。

炎を纏い、舞うように駆ける青年を。




よく覚えている。

まるで子犬のように、主君を追いかける青年を。
















では、今幼い顔をして見上げて来る子供は?





























事が事なだけに、政宗は本国へと帰る事にした。
そして、合戦についての会議の後は、すぐに幸村のいる所へと戻る。
食事はなるべく、幸村のいる部屋で取る事にした。

拾ってから既に一週間が経過しているが、幸村が目を覚ます様子は無かった。
時折傷が痛むのか、歯を食いしばって魘されている事がある。
何度か揺すって起こそうとしてみたが、一向に瞳を開けようとしない。
だが政宗が触れていると何故だろうか、安心したようにまた寝息を立て始めるのだ。


ひょっとしたら、この青年は現実に帰りたくないのかも知れない。
夢の中で何を見ているか知らないが、現実にいるよりはマシかも知れなかった。
夢の中ならばなんでも自分の思いの通りになるから。

例えば、天下を取った後の世界だとか、見ることも出来るだろう。
例えば、失った人にまた逢うことも出来るだろう。





そう、いなくなってしまった、たった一人の君主にも。







「……なんてな」



そんなに柔な性格ではないだろう。
この自分と相対して渡り合う事が出来るのだから。

勝手な希望的観測に聞こえるかも知れないが、これだけの傷を負って生きているぐらいだ。
簡単な事で幻想に逃げたりはしないだろうと思う。



「ま、あんたが起きりゃぁ全部判るさ」



くしゃ、と明るい色の髪を撫でる。
まるで幼い子供をあやしているようだ。

確か、大して年は変わらないのではなかっただろうか。
なのに眠っている顔を見ていると、ずっと幼く見えて仕方が無かった。




戦場を駆ける姿しか知らなかったから、なんだか妙な気分だった。




















「何人死んだ?」
「足軽が八十、騎兵が三十、武将が七名ですな、判る限りでは」
「……まぁ、少ねぇな。あちらさんも本気じゃなかったか」
「恐らく下見でしょう」
「全部殺したか? 死体は情報は持ち帰らねぇが…生きてるもんは面倒だ」
「夜襲でしたからな……何処まで削れたか」





昨晩の夜半、何処の軍か知らないが、夜襲があった。
虚をつかれたにしては、死人が少ない。
どうも情報収集だけで引き上げていったようだった。

隙あらば独眼竜の首を取ろうとしたものもいたが、返り討ちにしてやった。




「馬は?」
「十頭やられました」
「砲門は」
「二台」
「ちぃと痛いな……補給はいつ終わる?」
「丁度援軍が来る頃ですから、直に」
「じゃあ終わったら言いに来い。部屋にいる」




最低限とも言える会話で事を済ませると、政宗は男と別れて、幸村のいる部屋へと向かった。




部屋を別に作る事はせず、政宗が寝所としている場所に寝かせてやった。

部屋の襖を開ければ、日差しの入り込む部屋で静かに眠っている姿が見れる。
それが奥州に帰ってからの、政宗の日常だった。






しかし、その日は勝手が違った。


砦の寝所の前まで来ると、政宗は足を止めた。
気配がする。



そっと、部屋の中を覗き込んだ。






眠っている幸村の傍ら。
剥き出しの刀を持った、年若い男。












「何やってやがる、てめぇ!!!!」










襖を蹴り倒さん勢いで怒号を上げた。
政宗が此処に帰って来ることを予想していなかったのだろうか。
刀を持った男は、目を見開いてこちらを見ている。
男の顔の左半分は、火傷の後がくっきりと残っていた。

大方、以前武田軍と合戦をした時に幸村に負傷されたのだろう。
そう言えば、あの合戦の後、やたらと幸村に劣情を燃やしている男がいたか。
感情の昂ぶり具合から前線を外していたのを、今更ながらに思い出した。

そして今頃になって―――それとも、政宗が幸村を連れ帰った事により、感情が再発したのだろうか。
意識の無い幸村を殺そうとでも言うのだろう。




「政宗様……!」
「此処には誰も入るなと言った筈だな」
「は、はい」
「ならなんでてめぇは此処にいる? それと、こいつに手出しは無用だ、これも言ったな」
「は………」
「文句があるなら、俺に言え。寝込み襲うなんざ、せこい真似するな。Do you understand?」



じろりと三白眼で睨みつければ、男はヒ、と喉を引き攣らせた。

すると。







「ん………」






ふと、聞こえた小さな声。
高めの声音を発する人物は、此処にはただ一人しかいない。


それを聞き留めた政宗は、男をさっさと部屋の外へと蹴り出した。
口だけの注意で、後はなんの咎めもなし。
ラッキーだったな、と呟いてやった所で、聞こえている筈も無い。
男はどたばたと騒がしい音を立てて、部屋から離れていった。

政宗は小さく息を吐くと、腰に差している脇差と刀を外した。
それから兜を取って、適当な場所に置く。




「う……ぁ………?」




微妙にいつもと違った声の上擦りに、政宗は振り返った。

布団の中、横たわっている青年。
頑なに閉じられていた瞳が、うっすらと開かれている。




ああ、やっと眼が覚めたのか。
一つ、肩の荷が下りたような気がして、政宗は口端を挙げた。

先刻の男の事もあるが、現状がずっと続くようでは、部下が納得しないだろうと思っていたのだ。
政宗の力で一応は庇護下に置いているが、いつまで続くか疑問も合ったのだ。
政宗がどれだけ言い聞かせた所で、腑に落ちない感情を持て余している者は多い。


目覚めてくれたら、話をして、今後の事も少しは決められるだろう。

武田軍は既になくなってしまったが、甲斐までなくなった訳ではない。
血縁か、何かしら縁者が判ればそちらに送ってやるなりすればいい。






「good morning、ボーヤ」





大して年が違うと判っていながら、そんな呼び方をしてみた。

異国の言葉を好んで使うのは自分ぐらいだから、多分最初はきょとんとした顔をするのだろう。
合戦中にも、そんな間の抜けた表情を何度か見た記憶がある。
ちょっと揶揄ってやった後に面白くて意味を教えたら、真っ赤になって否定していた。
あれは何を言ったんだったか……ああ、チェリーと言ったのだ。
意味が判らなくてきょとんとどんぐり目玉になったのを見て、童貞という意味だと教えたら、
失敬だとか破廉恥だとか言って槍を振り回していたのを覚えている。


坊やは流石に判るだろう。
以前は子供扱いをするなと憤慨していたか。
そういう反応が子供に見えるのだが。



ぼんやりとした瞳で見上げて来る幸村。
まだ寝惚けているのか、一週間も眠ったままだったのだからそれも無理はないだろう。




「怖い夢は見なかったか?」




言って、政宗は幸村の柔らかい髪を撫でる。
癖っ毛なのか外向きに跳ねている髪だが、これが意外とふわふわとしているのだ。
それを知ったのは、幸村をこの奥州へ連れ帰ってからの事だ。



「あ……?」
「うん?」



頭を撫でていた手を、幸村が上目で見遣った。



「まだ寝惚けてんのかい?」



そろそろ起きろよ、と言えば。
幸村はどういう訳か、きょとんとした顔で政宗を見上げている。





どうも様子が可笑しい。


こんなにも鈍感な人間だっただろうか。
間の抜けた節は時折見られたが、こんなにも危機感に疎かったか。
戦国の世を生き抜いているのだから、幾らなんでもそれはないだろう。

よもや自分の顔を忘れたのではないだろうな、と思う。
たった一度刃を交えただけだから無理もないが、此処が見知らぬ場所だというぐらいは判るだろう。
幸村の視界には天井と政宗しか映っていないだろうが、政宗がいる時点で最低限の現状把握は出来る筈だ。





「ぅ……あ?」
「あん? なんだ?」




何か言おうとしているらしい。
しかし、幸村の口は開口はするものの、言葉らしい音を発しない。
あ行の音をようやく搾り出しているぐらいだ。

確か、喉の周辺に傷はなかったと思うのだが。
ゆったりした服を着せているので、それは尚更よく判った。
露になった幸村の首の周辺には、包帯は一切巻かれていない。
拾った時に青痣が幾つかあったようにも思うが、それの後も最早殆ど見受けられなかった。


幸村の視線がついと政宗から外されて、自分の右腕に向けられた。
白い包帯に覆われた其処は、ぴくりとも動かない。



「そっちの腕は火傷だ。ついでに言うと、反対側は肩をやられてる。まだ動かせねぇと思うぜ」
「………ぅ……ぁう?」
「……さっきからあんた、どうしたんだ?」



口が利けない筈はない。
あんなにもお館様、と騒いでいたからよく覚えている。

それとも、見た目に判らないだけで、声帯に異常があったのだろうか。



取りあえず、此処は。




「医者呼んでくるから、あんたは動くなよ。……ああ、動けねぇか」





























































お抱えの医者を部屋に呼んでから、診せている間、幸村は思った以上に大人しかった。
いや、大人しいどころか、此処が何処なのか聞こうともしない。
時折政宗の方を見て、何か言いたそうな顔を見せるのだが、やはり言葉は発しない。

目覚めたらもっと煩くなるかと思っていたのだが、肩透かしを食らった気分だ。
部屋の端で壁に背を預け、政宗は暢気に欠伸を漏らしていた。



「政宗様、少々宜しいですか?」
「なんだ?」
「傷を見るので、包帯を解きます。躯を支えてやって下さい」
「おう」


短い返事をして、政宗は幸村の枕元に膝をつく。
きょとん、と幾分か大きくなった気がする瞳が、政宗を見上げている。
本気で政宗の顔を忘れてしまったのかも知れない。

それはそれで少しショックだな、と思いつつ、政宗は幸村の両脇に手を差し込んだ。
なるべく振動を与えないように、ゆっくりと起き上がらせる。


すると、自然と幸村と顔が近くなって。






















にこ、と。


笑みを、向けられた。
























それは、本当に笑んでいた。
小さな子供が、笑うように。


一体何が起こったのか判らなくて、政宗は固まってしまった。
しかし、幸村はやはりにこにこと、何が楽しいのか笑っている。



「…………お前、真田だよな?」
「あー?」



政宗の確認の言葉に、幸村は笑顔のままで首を傾げた。





「……これは、恐らく………」






事の成り行きを見守っていた医者が、恐る恐る、口を開いた。

そして、奏でられた言葉は。






















腕の中の小さな子供は、まだ、笑っている。