いつも見上げてきた瞳は、炎のように力強かった。



今見上げて来る瞳は、まるで白い炎のように透明だった。




































伊達政宗が奥州から進軍して来て、早半年。
故郷とは少々違う気候風土にも、大分慣れて来ていた。
ちょっとやそっとで参ってしまうほど柔ではないが、兵士達はそうも行かない。
気候が違う為に、土地風に当てられて体調を崩してしまう者も多かった。

今回もそれが原因で、少々進軍を止めている。



天下統一を目指す者としては少々出遅れたかと思う。
最北端から順に鎮圧していくしかない為、ちょいとばかり陣が進めにくいと改めて思った。
領土を囲まれる心配が無いのは、ある意味、背後を取られる事がないので安心なのだが。

最北端の地で一揆を起こした民衆を鎮圧するのは、少々骨が折れた。
民衆と思って甘く見ていた訳ではないが、団結力と地の利は向こうが上だった。
強引ながらに押し入って鎮圧してみれば、総大将が幼い童女だったのは驚いた。
そこそこ楽しませてもらったが、やはり侍と民衆では場数が違った。
田畑を荒らす気はなかったのだと言えば、童女は嘘だと睨んだが、周囲の大人を脅せば事足りた。
卑怯だなんだと喚いていた気がするが、よく覚えていない。


北条家と合戦をした時は、剛の一手で陥落させた。
防御に回って反撃するという手段は、強行戦でこちらの方が有利だった。

北条氏政は老体ながら強かったが、政宗を満足させるほどではなかった。




政宗を満足させる、退屈させない相手。
天下統一を目論み、進軍する傍ら、政宗はそんな人間を探していた。

欲望と野望。
伊達軍の兵士は、そんな政宗をよく理解している。
言っても容易く聞かない性格だと言う事を理解しているからかも知れないが。
時として本陣を抜け出し、敵の本陣に強襲する癖のある大将を此処まで信頼する事が出来るのは、
ひとえに政宗が生まれ持った器の大きさと、右に並ぶもののない六爪流の為せる業だろうか。

片目のない“独眼竜”と呼ばれて恐れられるようになって久しい。
最初は嘲りとしてつけられた名だった気がするが、今では畏怖の対象となっている。








奥州筆頭・独眼竜伊達政宗。





孤高の侍だとは、一体誰が呼んだだろうか。












誰と剣を交えても、政宗の渇きは飢えなかった。
今では、部下の中で手合わせを申し出る者も少なくなった。

勝てば大将座ぐらい譲ってやると言えば、最初は躍起になっていたものだ。
真正面からぶつかって来る者もいれば、智謀を見せる者もいた。

しかし政宗はそれらを片っ端から返り討ちにし、己の力量を見せ付ける結果となった。
寝込みを襲う連中もいたが、それらもほどなく、政宗の前に地に伏した。





退屈を持て余す日々。
天下統一を目指していれば、何処かで強者と遭えるかも知れない。

己の渇望を満たす為に、政宗は刃を振るっていた。














そして、ただの一人だけ。

たった一度、交わった相手。






武田軍総大将武田信玄の唯一無二の右腕。

天覇絶槍と呼ばれる程の腕前を持つ、紅蓮を抱いた二槍の主。





真田源二郎幸村。














まだ幼い顔立ちをしていた。
遭遇して交え、引き分けとなって、後から自分とそう年が変わらないのだと聞いた。
元服して間もないのか、見た目だけでそんな印象を相手に与えた。

身長は低くはなかったが、政宗と並ぶと低く見えてしまうだろう、政宗が長身なだけかも知れないが。
武田信玄に絶対の忠誠を近い、誰の為に槍を振るうと問われれば、間違う事無くお館様の為と言うほどの陶酔振り。
槍の腕に置いては、他の追随を許さぬと聞いた事があった。


其処まで名高く知れ渡られていながら、本人は戦時以外は至って普通の少年らしい。
密偵がついでとばかりに言ってきた情報なので、あまりよく覚えていないが。







もう一度、手合わせしてみたい。
摺上原の武田軍本陣で初めて相対した時のように、もう一度。

彼なら、この渇きを忘れさせてくれるのだ。






「ま……そうもいかんかね」




密偵から聞いたが、武田軍の総大将である武田信玄が死亡したそうだ。
あの猛将の事だから討ち死にかと思ったのだが、どうも病死らしい。
意外と言えば意外だが、その時思ったのは、そんな事ではない。

妄信とも言える程に信玄を追いかけていた、幸村の事が気になった。
信玄の天下統一の為に槍を振るっていた青年は、その証が消え去ってどうなっただろうか。


聞いた話では、武田軍の進軍は止まっていない。
幸村と信玄の息子・勝頼が指揮を取っているのだと。
一番新しい情報に寄れば、近々織田軍と激突するとの事。
かなりの力をつけ、尚且つ新式の武器を手に入れた織田軍と、
頭を喪って足並みの乱れかけた武田軍で、どちらに勝機があるかは言わずもがなと言うものか。



「そう簡単にくたばる事はないだろうが…」



討ち死にはなくても、後追いで切腹ぐらい迷いなくやりそうだった。

聞いた話が本当ならば、そんな危惧は必要なかったようだが……
感情が昂ぶると周りが見えなくなる奴だから、追い詰められるとその判断も辞さないだろう。



「頼むから、もう一回ぐれぇは俺とやりあってくれよな」




よく晴れた夜空を見上げながら、政宗は呟いた。






その数分後。







俄かに、陣内が慌しい気配に包まれた。
























何処かからの奇襲か、それとも火急の知らせだろうか。
なんにせよ、総大将の自分が出ない訳には行くまい。

六本の脇差を差して、別に刀を手に持つ。



陣の明かりの炎が、煌々と揺らめいている。
陣内は慌しくはあるものの、特に負傷兵は見当たらない。
伝令らしき者も傍に来る様子はないし、ならば熊でも出たのだろうか。
熊より猪だったらいいのに、そしたら今晩は馳走になるのにな、と暢気な事を考えた。

そう言えば、鍋をしばらく食べていない。
たまにはゆっくり腰を据えて、腹一杯の飯を食いたいものだ。

時折山賊やらも襲ってくるので、奥州を離れてからのんびり出来た試しがない。
天下を狙っているのだからそうも言っていられないのだろうが、故郷が遠いのは少々淋しいものだろうか。
故郷に残した者が特にいる訳ではないが、そろそろあの風景を見てみたいと思う。
雪が降るにはまだ早いが、寒波もぶつかって来る頃だろうか。
冬支度はちゃんとしなけりゃな、と現状と関係のない事をつらつらと考える。




今日はやけに色々な事を考える。

ナイーブ、とはこういった時の事を言うのだろうか。





「政宗様!」
「おう、どうした?」



やっと情報がやって来た。

駆け寄ってきた男は、憔悴―――と言うよりも、困惑の色をその瞳に浮かべていた。
あまり話をした記憶はないのだが、この男はこんな顔を浮かべる人間だっただろうか。
どちらかと言えば、そうではなかったように思う。



「熊か何かでも出たか?」
「いえ、そうではありませんが」
「どっかの炉が倒れて怪我でもしたか」
「それもありません……ちょっと、こちらへ」



言って男が案内しようとしているのは、幔幕の外側だった。

見張りの兵士が政宗を見て、姿勢を正す。
何かを警戒しているような、緊張の面持ちをしている。



「あれを…………」



男が指差したのは、丈の高い草っ原だった。
何か塊のようなものがある。


「なんだい、ありゃぁ」


空は星も月もあるのだが、草が邪魔でよく見えない。
生き物だとしたら、ぴくりとも動かないのは、こちらを警戒して身を固めているのだろうか。
それとも息遣いすら聞こえてこないから、とうに死んでいるのかも知れない。


「獣じゃねぇのか」
「誰か明かりを」
「……いつからああしてる?」
「確認を取りましたら、見つけて然程時間は経っていないようです」
「見回り交代はついさっきの筈だな。じゃあその時からか……?」
「この暗がりですからな……ああ、その松明貸せ」



途端に、周囲が明るく照らされる。



「それ貸せ、俺が見てくる」
「お気をつけて」



奪うように松明を引っ手繰ると、男は落ち着いた声で政宗を送り出した。
政宗の強さを知っているからこそ、得体の知れないものに近付くのも止めないのだろう。
例えば妖でも出たとしても、政宗は退くことなどしないだろう。

あまり過剰に信用されるのも、少々困りものか。
奥州筆頭と呼ばれるのだから、これぐらいは仕方のない事か。


明かりを持って、政宗は出来るだけ足音と気配を消して、動かない塊に近付く。
生きている獣であるなら、炎を見た時点で逃げ出す筈だ。
その様子がないとなれば、既に死んだ獣か。





かつん、と。
何かが、政宗の足元で音を立てた。

油断していた為に一瞬身を固くしたが、直ぐに復帰して、足元を照らす。


其処にあったのは。





「槍………?」





紅の柄の槍。
見覚えがあった。

ゆっくりと持ち上げると、槍の矛は三又に分かれていた。
随分と使い古されているようで、所々に刃毀れの後がある。
しかし丹精に手入れされているようで、気紛れに政宗が指を当てると、触れた部分に綺麗に朱が走った。
よくよく見れば紅がこびり付いていたが、まだ錆びてはいない、磨けば落ちるだろう。




「この槍は……」




紅い槍。
まさかと思い、辺りを見回せば、やはりあった。
同じように、まるで対となるような槍。


それから。











「……真田……幸村!!!」












































部下の視線を感じるのは、気の所為ではないだろう。
こちらとしても、彼らの気持ちが判らないでもない。
もしも自分が彼らと同じ立場であるなら、似たような事をしたと思うから。

だが幔幕一枚の向こう側から聞き耳を立てあられるというのも、良い気分のするものではない。
怒鳴って散らしてやろうかと思ったが、目の前の情景にそえも躊躇われた。



茣蓙の上に敷いた布団の中で、静かに横たわっている青年。
そっと口元に手をかざすと、微かに呼吸が感じられる。

最初に来ていた色鮮やかな紅の衣は、別の紅に染め上げられ、挙句濡れていたので無理やり脱がせた。
部下から適当に身長の合いそうな者を見つけて、代えの服を借りて、なんとか着させる事が出来た。
意識がない躯は、細身の割に意外と重く、慣れていないのもあってかなり手間取った。
その服の下は、白い包帯で覆われている。

服を脱がせる以前から剥き出しだった右腕の火傷には驚かされた。
暗がりではよく判らなかったのだが、幸村の躯は満身創痍だった。
傷の無い場所を探す方が骨が折れると思うほどに。


右腕の殆どは火傷で覆われ、左肩には銃痕、右足と脇腹にも同じように。
幸いなのは、銃痕が残っているだけで弾が体内にはないという事だろうか。
だがそれを差し引いても、全身の刀傷が目に付いた。 目印のように巻かれていた赤い鉢巻にも血がついていて、こめかみに出血後があった。

傷の殆どから既に血は止まっていたが、それは塞がったというよりも、化膿して固まっていたのが多かった。
医学知識も豊富な薬師に見せてみれば、生きているのが不思議なほどだと言われた。



「武田の武将が……こんな所で、何してんだか」



近くに武田軍がいたという話は聞いていない。
そういう類の話なら、すぐに情報が回って来るはずだ。

濡れていると言う事は、川にでも落ちて流されて来たのだろうか。
そんな間の抜けた事をする人物ではなかったと思うのだが。



「政宗様、宜しいですか」
「あん?」



聞こえた声に不機嫌気味に返事をすれば、幔幕を捲って一人の男が入ってきた。
先刻、幸村の事を伝えに来た男だった。


「その者、どうされるのですか?」


男は、怪訝そうに眉根を顰めていた。

幸村の名は、政宗と対等に渡り合った事も相俟って、伊達軍ではよく知られていた。
炎を纏った、武田信玄の若き右腕――――竜と渡り合った男、と。


武田信玄への忠誠ぶりも、よく耳に聞く。
そんな男が、何故伊達領で傷だらけで倒れていたのか。

理由も気になるだろうが、男が気になるのは、幸村の今後の処置についてだろう。
満身創痍で自慢の槍を持てる状態ではないとは言え、幸村は武田軍一の武将だ。
信玄が既に亡いとは言え、放って置ける立場の者ではない。
全身が傷だらけなのを見て、矢も立てず救護班を呼んで傷の処置を施したが、
目覚めて彼が恩義に報いて伊達軍につくとか、そういった事は考えられない。
ついてくれるのならばこれ以上ない戦力となってくれるのだが、幸村の忠義心を考えれば、それはない。


「……どうする、か……」
「先程情報が入りましたが……武田は織田により、敗戦したそうです」
「……じゃ、こいつの帰る場所はなくなった訳だな」


あったらこうする、なければこうする、という訳ではないけれど、選択肢が一つなくなった。
拾った敵将を、拘束もなにもなく帰してやるなんて、変な話だとは思うけれど。


「まぁ、拾っちまったモンは面倒みねぇとな。武士の情けだ」
「こやつの手に掛かったものは多くおります、皆が納得するかどうか」
「それを言ったら、俺だってこいつの身内を切り捨てたぜ。そんな事言ってちゃキリがない。クールに行こうぜ?」
「……それは、そうですが」


頭では判っていても、というのはよくある事だ。


「じゃ、こいつの面倒は俺が見るとするか」
「政宗様…!」
「拾ったのは俺だからな。どうせ眼が覚めたところで、しばらく動けないだろうよ。問題ねぇさ」


他の連中には、自分が言って聞かせればいい。
文句があるなら、かかって来いとでも言って。














満点の、星の下。












少しずつ、歯車が軋み始めていた。