紅が、舞う。

それが炎なのか、血の華なのか、最早判らなかった。









幸村の全身の傷から、血が溢れ出て地面に落ちている。
纏う炎は天を焦がし、尚も唸り声を上げている。

いつもならば此処で歓声の一つも上がるのに、武田軍はしんとして静かだった。
誰かが舌打ちしたけれど、幸村には聞こえていない。
今の幸村には、武田の男達が自分を見て何を思っているかなど判らないのだろう。

判らなくていい。
判れば、きっと彼は動けなくなるから。



だが、見ていられないのも確かだった。
見える場所に、傷の無い所は一つとしてなかった。

肌蹴られた胸元から、派手に出血してそれが川のように流れを作っている。
纏う服が真紅の色をしている所為でどれ程の出血があるのか、正確なものは傍目には判らなかった。
しかし素人目に見ても、立っているだけで精一杯の状態なのだとは判った。


誰か止めろ、と小さく言ったが、一人として動く事は出来なかった。












「いつまでそうやって足掻くのだ?」
「煩い…煩い煩い煩いっっ!!!」





ごうごうと燃える炎が、幸村を包み込む。

幸村は、沸点に達すると周りが見えなくなる。
それは時として戦局を覆す事もあるのだが――――――今だけは、それはなかった。


激情に流されたまま大振りの技を使えば、その分硬直が長引き、隙を作ってしまう。



「そろそろ……終わりにしても良かろう」



言って、信長はショットガンを幸村に向けた。
幸村は即座にその場から跳ぼうとしたが、貫かれた脚が悲鳴を上げた。
小さな呻き声を上げた直後、閃光が幸村の右肩を貫いた。

一瞬、腕が焼き消えたような感覚に陥り、幸村は叫び声を上げる。

閃光が消えた後は、腕は残っていたものの、火傷の後がくっきりと残っていた。
服は焼けてなくなり、小手も何処かに飛ばされたか、瞬間的な熱で溶けてしまったのか。
剥き出しになった右腕の皮膚は焼け爛れていた。
それでも、幸村は二槍を手放そうとはしない。





肩で荒い呼吸を繰り返しながら、幸村はふらついて地面に倒れた。









「旦那!!」



「来るな!!!」









少し離れた木の上から成り行きを見守っていた佐助が、乗っていた枝を蹴ろうとした。
だが幸村の高目の声がそれを制する。

凛とした声に、佐助は動きを止めた。
その唇は歪められ、下唇を噛んでいる所為で一筋の紅が流れて落ちる。



幸村は左手を地面に突いて、ゆっくりと起き上がろうとする。
貫かれた肩が痛みを主張して、幸村の顔が苦悶の色に変わる。


ずきずきと鬱陶しい痛み。
火傷を負ったのは、いつ振りだろうか。
炎はいつも自分の傍にあったし、服は信玄が特注で耐火の強いものを作ってくれた。
感情の起伏の激しい幸村が、御する事を忘れた時の為に―――過保護と誰かが言っていた気がするけれど、
幸村には主の心遣いが恥ずかしくも嬉しくて、紅の衣をよく気に入っていた。
戦場ではいつも身につけていたものだから、炎で傷を負ったのは本当に久しぶりだった。

皮膚の焼けた匂いは、己の炎に焼かれた敵軍の中でよく嗅いだ。
けれど、痛みが伴うのは随分久しい事だった。



だが、お陰で頭が冷えた。



なんの酔狂か知らないが、今が好機であろうに、信長は幸村を眺めているだけだ。
起き上がって距離を詰めて、眉間に刃を突き立てばいい。
それぐらいの力は残っている筈だし、左足で踏み込めばなんとか―――――










「…っぅあ………!」










あと少しで踏み出せる所で、幸村はまた地に伏した。

上体を支えていた腕から、途端に力が抜けた。
思ったよりも出血が酷かったのだろうか。






ずきずきと痛む躯。

此処では終われないと叫ぶ心。







地を踏む音がして、幸村は伏したままで顔を上げた。

直ぐ傍に、織田信長が立っている。
殺される、と思った。







しかし。













「気に入った」














にぃ、と口端を上げ、愉快そうに告げられた言葉。





「……なん……だ、と……」
「その忠義心、強さ、申し分ない」



















傘下に入れば、生かしてやろう。




























低い声は、静まり返った戦場によく響いた。









それは、織田信長を主君として仕えよと言う事。
武田の天下統一を諦めよと言う事。

主を……―――――武田信玄の意志を、捨てよと言う事。
































「…巫戯、蹴る…な…………






我が主君は、武田信玄、お館様ただ一人のみ―――――――――!!!!!!」






























地に伏したままで張り上げた声は、まるで咆哮か、でなければ慟哭。



おぉおおぉお、と武田軍から鴇の声が上がる。






皆、同じなのだ。
主君として崇めるのは、ただ一人だけでいい。
他の誰かに仕えて、武田を捨ててまで天下を見たくは無い。

見たいのは、武田の天下。
武田信玄の、天下なのだ。





信長の右腕がゆっくりと振り上げられる。
刀だ。

このまま振り下ろされれば、確実に首が飛ぶだろう。
槍を振り上げて受け止めることも出来なければ、躯を転がして避ける事も出来ない。
戦場で命を落とす事もあろうとは思っていたが、やはり志半ばとは悔やまれるものだ。
せめて武田が止まらぬ事を願うしかあるまい。





このまま逝けば、お館様にまた怒られるだろうか。







ぼんやりと、そんな事を考える。

慢心するなと、よく言われた。
その都度、あの鉄拳を喰らったものだった。


………あの痛みを、まだはっきりと覚えている。

そしてその後、名を呼ぶ声も。





黄泉で逢えたら、またあの声が聞けるだろうか。
また手合わせが出来るだろうか。

そうだ、父と母にも逢えるだろうか。
正直、もう殆ど顔も思い出せないのだけれど。
触れられた時の温もりは、霞になっているけれど、まだちゃんと覚えている。
幼い自分に触れた大きな掌と、白くて綺麗な肌の暖かさを、ちゃんと。



















「終わりにしてやろう」























終わり。

もう少し、先に行きたかったかも知れない。
やっぱり、武田の天下は見たかった。


黄泉の国から見えたらいい。
信玄の隣にいられたら、もっと。
高い場所からなら、見えるだろうか。






「幸村殿!!」

「幸村殿を守れ!!!」







守らなくて、いい。
そう思った。

左腕は上がらないし、右腕も酷い有様だ。
闘える状態になるまで、かなりの時間を要するだろう。
足手まといは、嫌だ。
終わりになった方が、武田の重荷にならなくて済む。
























刃が降りてくる様が、酷くゆっくりに見えた。























しかし。











「旦那ァ!!!!!!」




















思った衝撃も暗転も、なかった。