雨の音、君の声
君の速さは僕に似ている
歯止めのきかなくなる空が怖くなって
僕は何時まで頑張れば良いの?
……二人なら、終わらせることができる
最後に交わした言葉が喧嘩だったのは、ひょっとしたら幸いだったのかも知れない。
嫌いになった訳じゃない。
あの言葉が互いに本音だったなんて、欠片も思っていない。
ただどちらも意固地な部分があるから、もう引き下がれない所まで来たから。
譲れない事があって、許せない事があって、その中であの言葉が最後の最後で出てきたのは、本当に良かったのかも知れない。
変に未練が残ってしまうような、センチメタルで乙女のような心は持ち合わせていない。
相手はどうだか知らないけれど、それでも何時かこうなる事ぐらいは判っていたのだ、お互いに。
判っていながら関係を続けていて、覚悟していなかったなんて、それは甘い戯言だ。
ゆらゆらと暗闇の中で揺れる炎を見ていたら彼を思い出す。
いつからそんな風になってしまったのか、政宗にも最早判らない。
立ち上がって篭手を嵌めたまま、その炎にゆっくりと手を近付ける。
守られたままでも伝わってくる炎の熱は、なんだか酷く物足りないように感じた。
無理もない、だって自分はもっと紅く煌く、熱い炎を知っているのだから。
こんな場所で暗がりを照らすしか役目を与えられずにいる炎とは訳が違うのだ。
天を焦がす程に燃え上がり、全てをまるで包み込むようにして覆い隠す、紅蓮の炎と比べてしまう方が筋違いだ。
あの炎はこの世に一つしかなく、そしてこの世があと幾年続いたとて、再び生まれ出でる事はないだろう。
その炎が、その炎のままで輪廻を巡りこの世に舞い戻ってこない限り。
「……殿?」
聞こえた声に振り返って、其処にいるのが小十郎だと確認し、政宗はようやく炎から手を離した。
熱に当てられていた篭手はすっかり熱くなっており、恐らくその下にある自分の腕も赤くなっているのだろう。
じっと見つめる小十郎が何か言いたそうな顔をしているのが判った。
長年政宗に仕えているからか、それとも、然程に政宗が判り易い態度を取っていたのかは判らない。
だが小十郎に対して、政宗は何も隠しているつもりはなかった。
小十郎は何度か口を開閉させるが、其処から音が漏れてくる事はなかった。
なんと言えば良いのか、何を言って良いのか判らないのだろう。
「……なんでもねえよ」
「…殿……」
熱の篭った右腕を振りながら、政宗は淡々とした表情で呟いた。
小十郎は眉根を顰めたが、結局何も言わずにいる。
何故、小十郎の方が泣きそうな顔をしているのだろうか。
何を彼がそんなにも悔やんでいるのだろうか。
普通、そういう顔をするのは政宗の方ではないのか。
けれども政宗はとっくに割り切って考えていた事だし、覚悟だってとうの昔に済ませていた。
政宗の心は不思議に波音一つ立てることはなく、炎を見たところで、以前のように動悸がするような事もなかった。
研ぎ澄まされた刃のように、限界まで引き絞られ放たれるの待つ弓矢のように、政宗の糸はピンと張られ揺らぐ事はない。
小十郎とてそれを判らない訳ではないのだろうが、やはりこの男には別の心配事でもあるのだろうか。
はぁっ、と小十郎が詰めていた息を吐く。
「……伝令です。武田軍がこちらに向かっています」
「OK。そんじゃ、こっちも出るとするか」
「………殿」
「あ?」
伝令を済ませてさっさと持ち場に戻るかと思えば、そうではなかった。
小十郎は普段は優しげな面持ちである目を吊り上げて、政宗を見ている。
……いや、これは睨みつけていると言った方が正しいか。
「本当に、宜しいのですか?」
……今更だ、そんな台詞は。
天下を目指す中で、捨てられないものも捨てる覚悟はしている。
例えばそれが目の前の旧知の男であるとしても、政宗は振り返らずに進む道を選ぶだろう。
破天荒な自分に付いてきてくれた従者達の屍を全て踏み越えて、政宗は天下を目指す。
………それが例え、恋慕を抱いた相手であっても。
「小十郎」
「は……」
「そいつは、愚問だ」
「……はい……」
嫌だと言うなら、政宗はとっくにこの本陣を抜け出て、あの場所へ行っている。
それをしないのは既に腹を括り、全てを受け入れているからだ。
「あいつも判ってるぜ。結局これは、俺たちにとっては宿命みたいなもんだってな」
避けられる道はなかったのかと問われれば、判らない。
だけれど避けられる道を選ぼうとしなかったのは事実で、この現実から逃れる気はなかった。
大体、最後は喧嘩したしなぁ、と政宗は暗い雲に覆われた空を見る。
この分だと今日は大雨になりそうだな、と政宗は呟いた。
小十郎もそれは判っているようで、はい、と短く返事をしただけだ。
喧嘩をした事は小十郎にも愚痴のように話したし、多分成実の耳にも入っているのだろう。
それでいて何も言わない成実は、きっと政宗の心も全て判っているのだろう。
小十郎と成実が徹底的に違うのは、こうして政宗に今一度、まるで確かめるように問うか否か、だ。
どちらも政宗は面倒だなどと思った事はない、幼い頃はどうしても小十郎の方が口煩く見えたりしたけれど。
「さて……ぼやぼやしてると先手を打たれちまうからなぁ。何せ東国最強軍とやり合うんだ」
白い幔幕を一枚捲って外に出れば、既に出陣体勢に入っている部下たちがいる。
前衛に成実、鬼庭、そして政宗の隣を通り抜けた小十郎が並び、その後ろにずらりと並んだ兵と、翻る軍旗。
「Are you redy,guys!?」
オォォォォォォォォォォォォッッッッッ!!!!!!!
鳴り響いた鬨の声は、ビリビリと空気を震撼させる。
きっと判っている。
この戦が、政宗にとって何より華やかなものになると。
「派手に行くぜ! Make it the best party(最高の宴にしろよ)!!」
「あ………」
ぽつり、と降り出した雨に最初に気付いたのは幸村だった。
降りそうな天気だとは思っていたが、何もこんな時に降り始めなくても良いだろうに。
今幸村のいる山越えの下りの中腹は、少々急な坂道になっていた。
もう少し下に行けば緩やかになるのだが、急いで下りるわけにも行かない。
道の傍は更に急斜面になっていて、下手をしたら馬諸共落ちてしまうのだ。
だから出来れば急ぎたい道を、幸村はゆっくりと馬の足を進めていたのである。
「降り出しましたな、真田殿」
「山県殿……」
すぐ後ろを進んでいた山県の言葉に、幸村は肩越しに振り返った。
しかしいつまでも余所見をしている訳には行かないので、直ぐに視線は前方へと戻した。
それと同時に、すとん、と幸村のすぐ背後で誰かが飛び降りる音がした。
僅かに馬が驚いたように嘶くが、この馬は随分と長く共にいるから、流石に慣れている。
ブルル、と首を振って気を取り直すと、何もなかったかのように再び平然と歩き出した。
こんな風に無遠慮に下りてくる人物は、たった一人しかいない。
「なんでも嵐になるらしいぜ、旦那」
「嵐か……確かに、そんな空だな」
「激しくなると雷も鳴りそうだ」
「……雷……」
佐助の言葉を小さな声で反芻する幸村。
「ああ。向こうに着く頃には大雨だろうな……旦那、冷やすなよ」
「子供扱いするな」
拗ねたように頬を膨らませて言う幸村に、佐助は苦笑する。
けれどもその笑った顔は、何処か淋しげなものを孕んでいるようにも見えた。
しかしそれが判るのは幸村一人で、その幸村は前を見ているから、背後にいる佐助の顔など到底判る筈もない。
“雷”。
それを聞いて幸村が何を思ったか。
まるで自分の炎を弾くように、それさえ伝ってくる稲光。
それはどんな鎧で身を隠そうとも逃げる事は出来ず、何処までも追いかけてくるのだ。
一度大地に落ちれば絶対的な威力を持ち、捉えたものを逃すことを許さない。
以前はそれを見て鼓動が逸ったものだったが、何故か今は不思議と落ち着いている自分がいる。
稲光を見ただけでまるで穿たれたように感じていたのに、まるでその日々は遠い昔のことのように思えた。
今でも捉えたままで離さないのは変わっていないと思うのだけど、どうしてか自分の心は小波一つない。
短い時間で激しくなって行く雨は、きっとこのまま止む事はないのだろう。
これから荒れる大地を全て綺麗に洗い流してしまわない限り、きっと。
「……旦那」
「なんだ」
幸村の直ぐ背後で馬の上に落ち着いた佐助。
呼ばれて、幸村は振り返らないままで聞こえている事を応えた。
「いいのかい、あんた」
呟かれた佐助の言葉が示すものがなんであったのか、今は鈍い鈍いとよく言われる幸村にも判った。
佐助の言葉が聞こえたのは、どうやら幸村だけのようだ。
激しくなる雨音に掻き消されて、幸村の前後を進軍する兵達には届かない。
けれど聞こえていようがいまいが、今の幸村にはどちらでも良かった。
だって、覚悟は出来ている。
「お前が聞くのか、佐助」
前を見据えたままだったけれど、それでも佐助には十分声は届いている。
…きっとどんな場面であっても、佐助は幸村の声を聞き逃す事はないだろう。
「嫌なら、私は此処にいない」
「……そうか?」
「ああ」
「…そうだね」
音に聞こえた紅蓮の鬼とは言え、幸村とてまだ十八だ。
我慢出来ない事は幾つもあるし、増して幸村はそれを押し隠せるほどの器量はまだ備わっていない。
何処か子供のような部分が抜けない幸村は、こうと決めたらまっしぐらになる性質だ。
だのに幸村が落ち着いた表情で此処にいると言う事は、それが全ての答えになる。
覚悟は最初から決まっていたのだ。
あれに対して恋慕を抱いた瞬間から、この瞬間のことを考えなかった事はない。
若さゆえか甘い考えがまだ消えない幸村であるが、其処まで幼い訳ではないのだ。
自分が何を目指しているか判っているし、あれが何を目指しているのかも知っている。
だからいつかこうなる事になると忘れた事はなかった。
何度も逢って、沢山の話をしたけれど、どちらもこの話題を切り出した事はなかった。
どちらもきっと判っていると思っていたから、わざわざ確かめるように話題に上らせる必要はなかったのだ。
実際、今こうして自分は此処にいるし、あれも、この先でいつものように陣を構えているのだろう。
佐助が何を思って今、幸村にこの事を今更のように問うたのか、幸村にはよく判らない。
だけれど決して幸村の心が揺らいでいるとは思っていない。
……多分、いつもの癖だ。
いつも口煩く、まるで子供を相手にするようにしている事の。
「佐助」
「うん?」
前を見たままで名前を呼んだ。
小さく、返事が聞こえる。
降りしきる雨から逃れようとも思わない。
遠くで雷鳴が轟いたのが聞こえたような気がした。
「見届けてくれ」
「……何処まで?」
何を、
何処で、
見届けろと言うのか。
佐助は問わなかった。
「最後まで」
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