空の在処
































……望んだ空は






まだ何処かに在りますか

































「……旦那、そろそろ……」









聞こえた声に、振り返らない。




眼前には幾つもの屍が積み重なっており、血なまぐさい匂いが耐えない。
その中には自分がよく知る顔もあり、そうでないものもあり、全く知らないものもあった。

己の紅蓮でこれらを燃してやる事は、やはり欺瞞であろうか。
けれども、こんな場所に野晒しと言うのも余りに哀れだ。
産めてやった所で、墓標もないし、添えてやる花もないし、まして時間もないのだけれど。



手を合わしたら、浄土へ皆行けるのだろうか。
それはあまりにも不確定な事。

出来る事なら、皆安楽の地に行って欲しいものだけど、それは未だ生にしがみ付く己の知る所ではないのだろう。













織田軍との合戦に敗れた。



東軍最強と謳われた武田軍騎馬隊――――……
指揮していたのは自分であったと言うのに、一人残らず逝ってしまった。

対して自分はと言えば、懐刀である忍に助けられ、生きながらえている。



敗北を知った時、何故己だけを助けたのかと忍を責めた。
忍はしばらくの間、激情にかられた主の言葉を聞いていた。
表情のない顔で……けれど、幸村が思い浮かぶ限りの言葉を叫んだ後で。





生きてくれと、言われた。
せめて、同胞の弔いが終わるまでは、と。






甲斐の虎は、その生を閉じた。
武田の騎馬隊は死んだ。
真田隊も逝った。

残ったのは、自分と忍だけ。
















屍の中に佇んで、一体何を思うのか。
正直、何か感慨が沸いている訳ではなかった。
ただ、覚えていたかったのだ。

自分を慕ってくれた人がいたという事。
同じ道を選び、共に歩む事を喜んでくれた人がいたという事。
……何処までも、いつまでもついて行くと誓った人が、いたという事。



奪った者が、いるという事。








「……旦那」








彼の人は、最後に何を思っただろう。
志半ばで倒れなければならなかった、この現実を。
見せてくれると言った天下を見せれないまま終わった、己の生涯を。



大きな人だった。
だから。

ちっぽけな、未だ虎の子でしかいられない自分に、あの人の代行など務まらない。
それでも、それでも――――――――――――――………









「行くぞ、佐助」
「了解」







佐助は、いつものように姿を晦ませはしなかった。
忍として、人目につくままでいるのは有らぬ事だろう。

けれども、もう隠密である必要はないのだ。


それにしても、相変わらず表情を変えない男だ。
忍云々ではなくて、彼は元々表情筋を滅多に動かさない。
それでも幸村の前では、他者を相手にするよりも表情を変えるのだと知っている。

そしてこの忍が、本当は戦や血を流す事を忌んでいる事も知っている。

だから、もう少し表情を変えてもいいだろうに。
これから一つの仕事を終えたら、解放されるのだから。
物心ついた頃から束縛してきた、その因果の鎖から断ち切られるのだから。
それとも、どういう表情をすればいいか判らないから、いつも通りの表情なのか。




そして。
自分はと言えば。


淋しいような。
嬉しいような。
……正直、よく判らないけど。
















向かう先は、全てを奪った魔王の下。

























































轟々と燃える、豪奢な寺。
それが本能寺と言う名だと聞いたのは、いつだったか。

全てを奪った魔王は、此処にいるのだ。







佐助と二人で、織田の陣地を正面突破して行った。
飛び交う矢が突き刺さり、弾丸に撃ち抜かれ、それでも止まらなかった。
立てられた矢は叩き折り、切り裂いてきた刀は打ち砕き、持ち主諸共地に伏した。

紅蓮の鬼を、親を殺された手負いの虎の子を、止められる者などいなかった。
唯一の抑止の役目を担う影は、並んでその刃を突き立てた。





「雑兵に用はない!!」
「退かねぇと、無駄死にするぜ!!」






道を塞ごうとする兵士を、片っ端から薙いで行く。





「旦那! 道は俺が作るから、あんたは先に行け!」






言うが早いか、引寄の術で前方の兵士を右から左へ強引に移す。
幸村は地を蹴り、一気に其処を駆け抜けた。

合間に突き出された槍が肩に突き刺さっても、足を止める事はない。



直線上で横に並んだ兵が弓を引き絞った。
指示と同時に放たれたそれを、幸村は槍で叩き落した。






不思議だった。
何よりも死に近い場所に立って、それでもまだ己は死なない。
常人ならば見えない筈の音速さえも、今ははっきり感じ取れる。

土壇場で爆発的な力を出す者がいる。
果たして、それが己であるのかは判らない。
けれども、これは、確かにそういうものに属するのだろう。




死に際で生まれた力ではなくて。

きっと、死に際にいるからこそ生まれた力なのだろう。






「用があるのは、織田信長のみ! 死にたくなければ、邪魔をするな!!」







いつもなら、向かってくる敵にさえ、止めを刺すことがある。
それを佐助は甘いのだと言って、何度も叱責した。

だって命が消えてしまうのは悲しいじゃないか。
自分だって、戦で父と兄を失った。
死なずに済むなら、いつか帰れるのなら、その方がいいじゃないか。




でも、今は少しも躊躇しない。







「くそ…何をしている、相手はたった二人だぞ!!」

「二人だけでも、あんたらじゃ相手にならねぇんだよ」






いつの間にか幸村に追いついていた佐助が、爆薬付きの苦無を投げつけた。
それが地面に突き刺さると、幸村は槍の切っ先を地面を擦り合わせて走る。
起きた摩擦熱により、爆薬の導火線に火が点いた。

気付いた兵士が逃げ道を探す時には、もう遅い。
二人は既に陣を抜け、導火線は残り僅か。



爆音が聞こえて、佐助が隣に降りた。

前方を塞ぐ兵を幸村が退かせ、後ろから追ってくる者を佐助が仕留めた。
背後を護るのは、忍の役目。
主である自分は、前を見ていなければならない。







こんな風に並んで走るのは、何年振りだろう。
幼い頃はいつだって、隣にいるのが当たり前だったのに。



そうだ、庇護下で保たれていた細い糸が切れた時、隣に在るのは赦されなくなったのだ。
幼き日の自分はそれをよく理解できなくて、先に距離を置いた佐助を何度も追い駆けた。
隣が急に空っぽになってしまったのが怖くて、地盤が緩んで、崩れてしまいそうで。
無我夢中で、いつも隣で手を引いてくれた彼に、もう一度掴んでくれと手を伸ばした。

あれからどれ程の月日が流れたのだろうか。
あの頃よりも、自分は少しは強くなれたのか。
誰かの庇護を求める必要のない程に。


隣に在る事を赦されなくなった日、置いていかれてしまった影に、今は追い付けているだろうか。
佐助が走る速さを緩めなくても、あの頃よりも傍を走れているだろうか。









「油断してると怪我するぜ、旦那」
「そんな間抜けはしない」








すぐ隣で声が聞こえるのも、久しぶりだ。
いつだって傍にいてくれたけど、あの日を境に、距離はそのままで遠くなった。
けれども、今はとても近い……ひょっとしたら、幼い頃よりも、ずっと。









「旦那」









この呼ばれ方にも、随分慣れた。









「大将の天下は、見れなかったけどさ」









道を塞ぐものを蹴散らし、後続を断ち。
いつの間にか兵は恐れ戦き、道を開けている。

手負いの虎は、手が付けられない。
人間の手では、最早どうにもならないのだ。



















「見せてくれよ、あんたの天下」






































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