隠したものが 消えてなくなってくれたらいいのに 近日中に起こるだろうと予想されていた、東国最強騎馬軍を持つ武田軍と、 近年騒がれ始めた伴天連から渡ってきた武器を取り扱う織田軍との激突。 どちらが勝っても可笑しくなかったし、どちらが負けても可笑しくないと思う。 力を着け、大きく出始めた織田軍であったが、武田の名は名実共に轟いている。 近代兵器を取り入れたとは言え、武田軍の騎馬隊は脅威であった。 対して武田軍からしても、織田の持ち出した銃は未知の武器にも似ている。 古来からの戦闘方法である、足軽が先陣を切り、騎馬隊が本陣へ突き進む手法を取る武田軍に取って、 遠方からの射撃はこれまでになかった戦法で、真正面から突っ切っては的になるだけだった。 さてどうなるか、と伊達政宗はこの合戦を傍観する姿勢を取っていた。 どちらが勝っても、構わず仕掛ける気で。 織田が勝てば、六大天魔王の実力を己の目で確かめる事が出来る。 武田が勝てば、今まで何度となくぶつかり合い、それでも決着が着かず仕舞いとなっていた者との勝負が出来る。 結果がどう出るにせよ、政宗の姿勢の方向性は変わらなかった。 けれども、それとは別にして。 己の中に渦巻いたのは、奇妙なざわめきだった。 今まで無視していた感情が、押し殺していた感情が声を上げ始めている。 ある訳がない、あってはならないと目を背けていた真実が見えてくる。 一度、ほんの瞬きの間ではあったが、完全に過ぎった時には、もう遅かった。 あの紅い紅蓮。 あの、真っ直ぐに見詰める瞳。 肉を裂き、其処から入り込み、焼き尽くす炎。 東国最強の赤備えの中で、一際自己主張をする鮮やかな紅。 武田が負ければ、恐らくあれも消える運命であろう。 万が一に生き永らえたとて、あれ自身が、その現実を認めようとはしないだろう。 たった一つのものに執着が激しい事、意固地である事、気に入らない事はいつまでたっても認めない事。 幼い子供のようなその感情の起伏線を、何故か政宗はすっかり把握してしまっている。 最初はただ、強い奴と闘り合いたかっただけ、その筈だったのに。 “宿敵”と書いて“とも”と読む。 それだけで留まらなかったのは、何故だろう。 自分もあの者も、れきとした男だというのに。 ざわり、と構えた陣の周りの木々が音を立てた。 風が吹いただろうか。 否、凪であった筈だ。 奇妙な事が起こるものだ。 「……なんの虫の知らせかね」 呟いた直後、陣内が騒がしくなった。 「殿!」 駆け寄ってきたのは小十郎だった。 「なんだ」 「侵入者です!」 「それぐらい追っ払えよ」 「…ですが…!」 小十郎は若干顔色を青くしており、当惑している様子だった。 この男にしては、随分と珍しい事だ。 どうやら、ただ事ではないらしい。 右手を腰の刀唾に当てながら、小十郎の横を通り過ぎる。 陣内のざわめきは中心部から聞こえてくる。 其処まで行けば、何か判るだろう。 けれども、其処に辿り着くよりも先に、嗅ぎ慣れた匂いが鼻をついた。 血の匂い。 間違う筈がない。 そして、見た者は。 「おせーよ…てめぇ……」 人を小馬鹿にしたような笑みで、それでも睨み付ける様に視線を向けた相手。 あの紅蓮と対峙すると、あとは押しの一手となる直前に割り込んできた男。 いつも紅蓮の傍にいて、それを主と呼ぶ忍。 「……なんか用か、武田の忍が」 「用がなけりゃ、こんな所にこんな状態で来るかよ」 それは確かに。 忍、猿飛佐助は満身創痍であった。 目に見える場所だけではない、服も血が滲み、赤黒く染まっている。 流れ落ちる紅は玉になって地面に落ち、点々と染みを作り上げていた。 武田軍は現在、織田軍と交戦中であると聞いた。 ならば当然、あの紅蓮の男もその最中にいる筈だ。 この忍は、奴に仕えていたのではなかったか。 であるなば何故、主を置いて、こんな場所にいるのか。 これほどの血を流して。 「……先に調べてて良かったぜ。あんたが此処にいるって」 「…さっさと用件を言えよ。死ぬぞ、お前」 「……へ…死ぬか死なないかは、俺が決めるよ」 それより。 「真田の旦那を……助けてくれ」 告げられた名に、驚きはしなかったけど。 続けられた言葉に、政宗は己の耳を疑った。 「……What? そりゃ敵軍の大将に言う台詞じゃねぇんじゃねえか?」 「……俺だって、お前になんか頼みたくねぇよ。…けど、あんたしかいないんだ」 言って見詰める、佐助の目が。 責めるようなものであったのは、理由は一つではないような気がした。 敵軍に頼らなければならない、屈辱。 けれどそれよりも、もっと単純で明確な理由が見え隠れする。 「あんたが真田の旦那に持ってる想いを、俺は知ってる」 ……痛いところを、突かれた気がした。 刃を交える度に、熱を互いにぶつける度に。 知らぬ間に湧き上がっていた感情は、気付けば氾濫した川のように、好き勝手に暴れ始めて、 堤防なんてものはとっくに決壊しているのだから、溢れた水は何処までも流れて行ってしまう。 そうしてまた水を足されて、また溢れて、その繰り返し。 気付けば戦時以外にも逢瀬を交わすようになり、いつしか彼も政宗の存在を受け入れた。 奥州くんだりに出て来るのは骨がいったが、それでも政宗は逢瀬を止めようとはしなかった。 ……………あの日までは。 逢瀬を繰り返していくうち、彼は少しずつ喋る事が少なくなっていった。 最初は煩いぐらいに自分の敬愛する主君について語っていたのに、それもなくなった。 次は夏の日の太陽みたいな笑顔が消えて、困ったように眉尻を下げる事が多くなった。 それから間もなくしてそれも見えなくなって、後は抜け落ちたような表情があっただけ。 それでも政宗は、手土産持参で奥州から甲斐まで行った。 時折手合わせをしながら、暇が開くと菓子を持って茶をする。 忍に見付かっては煩いから、その逢瀬は厳かなものであったと思う。 満足だった。 戦時で出逢った者は全て切り捨てるものだとばかり思っていたけれど、彼だけは違った。 連れ帰りたい。 奥州の地へ。 共に、在りたい。 彼がそれを受け入れないであろう事は判っていた。 けれど、諦める事は出来なかった。 だからあの日―――――もう、甲斐に来るなと言われた日…“政宗”から“独眼竜”と呼び名を変えた日。 自惚れではない、確かに感じた彼の真実を、政宗は見逃すことは出来なかった。 今を機とせず、いつとするのか。 来いと、言った。 けれど、拒まれた。 きっと、彼は気付いていない。 泣きそうな―――泣いていた、ことに。 「……Ha……」 浮かんだ嘲りの笑みは、一体誰に向けられたものだったのだろう。 「悪い条件じゃないと思うぜ……」 言って佐助は、その場に膝をつく。 長くはないだろう。 今まだ生きているのが不思議な位だ。 気力だけで意識を繋いでいるのだろう。 「あいつが俺について来るとは思えねぇな」 だって、別れたのだから。 あの日を最後に。 特に、何か関係があった訳ではないけれど。 細い頼りない糸だけで繋がれていただけだったけれど。 あの瞬間を境に、その糸は断ち切られたのだ。 ……彼自身の意思で。 「……今度は、ちゃんとあんたの所に行くよ」 俺が保障する、なんて。 小さく笑って言った忍の言葉は、なんとも可笑しいものである筈なのに。 思い出した泣き顔に、 ああ、やっぱり戻れやしないのだと、判った。 続→ |