終わりにしよう この生温い水に浸かっている現状を 終わりにしよう 最近、逢瀬の回数ばかりが増えて行く。 刃を交える事もせず、他愛もない話をする事も減り、ただ逢うだけの繰り返し。 このまま続けるにはあまりにも切なくて、切り捨てるにはあまりにも優しい時間。 抱き締めてくれる腕(かいな)はしっかりと力が篭められているけれど、きっと振り解く事も出来るだろう。 見詰める切れ長の瞳は優しくて、目を逸らしても怒る事はないだろう。 それでも、手を離す事は出来ないのだ。 どちらが、この逢瀬を始めたのだろう。 自分ではない。 確か、相手の方だったと思う。 忍の目を盗んで、週に一度の頻度で甲斐に、如いては真田家の館へ出入りする男。 最初は警戒していたのだが、単騎で来ている上、腰の刀に手を伸ばす事もなく、何より敵意が欠片もなかった。 油断を誘っているのだろうかと思っていたが、仕舞いには遠くから手土産まで持参してくる始末。 あまりにもそれが長く続くものだから、最早日常の一部となって。 気付いた時には既に遅く、彼が来るのを指折り待つようになっていた。 いつから、こんな風になったのだろう。 こんな風に。 並んで歩くように。 …なったのだろう。 「……ぼんやりしてんじゃねぇよ」 明後日の方向を向いて呆けた瞳をしていた幸村の額を、政宗が軽く小突いた。 政宗は甲冑を着込み、腰にいつもの刀を差しているが、兜だけは着けていない。 以前何故だと聞いた見たら、お前の顔が見え難くなるから、と言われた。 あの時、何故顔が熱くなったのか、幸村にはまだ判らない。 「……何を考えていた?」 「…言わねばならぬのか?」 そんな返事が不満だったのだろうか。 切れ長の瞳に剣呑な色が見え隠れする。 口を真一文字に噤むのは、この男が不機嫌になった時の癖だ。 彼がそれを知っているのかは判らない。 けれど幸村は、いつの間にかそんな事を覚えてしまっていた。 このまま黙っていても、政宗は無理に言及しようとはしないだろう。 不機嫌なままで黙り込み、しばしの時間が経ったら勝手に何事か話を切り出すのだ。 自分はそれに適当に受け答えする程度になるのが、いつもの事。 いつもの事。 そう、いつもの事なのだ。 この男は、奥州筆頭の独眼竜で。 自分は、この甲斐武田に仕える真田家の次男。 本来ならば、きっと。 戦以外で、出逢う事はない筈なのに。 不意に、政宗の腕が伸びてきた。 触れてはならない。 触れさせてはならない。 警鈴は煩く鳴り響くのに、身体は一向に動かない。 動かない? 否。 動きたくない。 「ムードを考えろよ」 判らない異国語。 頼むから、使ってくれるな。 それの意味を知りたくなってしまう。 知ったらきっと、戻れない。 自分が在るべき場所に。 「最近、あまり喋らなくなったな。俺と逢うのに飽きたか?」 変な質問だと言う事は、きっとこの男も判っているのだろう。 頬に触れた手は、小手の所為で生肌のように暖かくなく、金属的な冷たさだけが伝わってくる。 それでいい。 この男の掌の温度など、知らなくていい。 「飽きるとか飽きないとか…そんな問題ではないと…思うのだが」 「じゃあ土産が不満か? 酒は確か、飲めないんだろ」 「……それも違う」 わざと話を逸らしているのか、本気なのか。 きっとどちらもあって、半々なのだろう。 「思春期の少年少女は複雑だねぇ」 誰が少年だ。 一つしか違わない癖に。 けれど、政宗は幸村よりも色んなものを知っている。 一国を治める者であるからか、はたまた個人的な興味からなのか。 政宗は異国の言葉も知っているし、伴天連の技術等も絶賛している。 対して己は、武田の治めるこの大地しか知らない。 話には聞いていても、この足で立ち、この目で見たものはごく限られるものだけだ。 ……自分は、あまりにもちっぽけな存在だ。 「…………政宗殿」 虎の子は、爪も牙も持っている。 けれど、親のおらぬ所では生きていけない。 自分は、きっと虎の子だ。 このままではきっと、飲み込まれてしまう。 竜に。 「もう、此処には来ないで頂きたい……いや」 虎の子であっても。 親の役には立ちたい。 自分は野生の虎のように、独りで生きていく事は出来ない。 だからせめて、親の足手まといにはならないように。 何よりも猛々しくあらねばならないのだ。 「二度と此処には来るな―――――――――独眼竜殿」 耳鳴りがする。 なんの所為だろう。 視界が歪んでいくのは。 足元が揺れるのは。 握った拳が震えるのは。 何故なのだろう。 なんの所為なのだろう。 「………幸村」 知らなくていい。 気付かなくていい。 きっと、知ってはいけない。 自分は、虎の子だ。 竜にはならない。 竜の喉に喰らいつく、虎の子だ。 自分がちっぽけな存在だと、判っていても。 尖った牙と爪を向ける相手は、間違うことは無い。 「いつまでも、こんな日々を続ける訳には行かぬ」 「幸村」 名を呼ばれると同時に掴まれた肩が、痛い。 その痛みは彼が強い力で掴んでいるからであって、他の何でもない。 「そなたは伊達軍の総大将。私はお館様に仕える者。何れ衝突は避けられぬ」 その時、まだこんな逢瀬を続けていたら。 きっと、どんな結果になったとしても。 裏切ったような気がするから。 「本気で言ってんのか、お前」 「私が戯言を言っていると?」 「……本心じゃねぇだろ。お前は判り易いんだ」 肩から離れた手が、今度は幸村の腕を掴む。 「震えてんのは、なんでだ」 「知らぬ」 「俺から離れたくねぇんだろ」 「違う」 「目ぇ見て言え」 知らず自分が視線を逸らしていた事に気付く。 人は疚しい事があると、自ずと視線を外す。 自分はそれが人一倍顕著に出るのだと、忍が言っていた。 此処で目の前の男を見てはっきりと言えば、戯言などではないと取るのか。 ……どちらであっても、きっとこの男は認めないのだろう。 「望んでるんだろ」 「何を」 「逃げたいんだろ」 「何から」 「俺からの関係じゃない」 「だったら」 「此処から、逃げたいんだろ」 此処から。 狭い箱庭から。 限られた世界から。 庇護の下から。 ようやく腕が動いて、政宗の手を振り解く。 政宗はしばらくそのままの姿勢でいたが、腕を下ろすと、目を細めた。 「ついて来りゃあいい」 「私はお館様の傍にいる」 「お前は望むように生きろ」 「これが私の望む事だ」 「……何処まで自分を騙す気だ」 忌々しげに呟かれた言葉は、幸村に向けられたものではなかった。 幸村の向こう側の、絶対的な存在。 幸村の中を占める、大きな存在。 「幸村」 両腕を掴まれて。 抗う間もなく、手近な木に押さえ付けられた。 一瞬、呼吸が止まった。 「俺と来い」 殆ど命令だ。 射抜く独眼は、竜の呼び名に相応しい。 それでも、幸村が屈する事はない。 屈してはいけないのだ。 我が主君の天下の為に。 「お主は、違う」 何が、とは言わない。 政宗も聞かなかった。 腕が離れた。 痛みが残る。 「なら、解放してやるよ お前自身の、その鎖から」 背中を向けた、その男の姿が。 歪んでいくのは、何故だろうか。 続→「解放」 気付いているのに、気付いていない振りをする。 でなければ、次に逢った時に立てなくなるから。 想いは悲鳴を上げているのに、幸村はそれから目を逸らす。 政宗は幸村の気持ちが判っているから、幸村の気持ちは判るけど苛々する。 想いのままに真っ直ぐ行けたら、いいのに。 |