どんなに許せない相手でも
時として、きっと
人は、何よりも残酷に優しくなれる
独眼竜という二つ名を持つ男に、甲斐武田を侵略された。
必死になって防衛しようとしたけれど、出来なかった。
あの日の出来事は、まだ幸村の中で鮮やかな記憶として残っている。
あの時、一体どれ程の人間が悔しいと唇を噛んだ事だろう。
それは自分達、武田軍が侵略した場所も同じだったと思う。
けれどあの頃は、戦を早く終わらせる為だと、仕方の無い犠牲なのだと思っていた。
だから負けたと知った日、こんなにも悔しいものだったと初めて知ったのだ。
更に屈辱なのは、それだけではなかった。
多くの者が血を流し、そして死んだと言うのに、自分はまだ生きている。
いや、生かされているのだという事実が、幸村を苛んでいた。
いっそ殺してくれれば良かったのに、何故、なんの気紛れなのだろうか。
戦場で負けを知った時、幸村は傍にいた佐助から離れた。
常に傍を離れようとしない彼は心配していたけれど、幸村は聞かなかった。
幽鬼のように、血の匂いの立ち込める戦場をふらふらと彷徨った。
負け戦が初めてだったという訳ではなかったけれど、衝撃は重く苦しいものだった。
地面に横たわる横顔に幾つか見知ったものを見つけて、泣けない自分を不思議だと思った。
気付けば、癖なのだろうか、幸村は己の本陣があった場所へと辿り着いていた。
其処には防衛線を張った時に見た面影は、跡形も残っていなかった。
敵兵がいないのは、あまり不自然だとは思わなかった。
勝敗がはっきりと決まった以上、滞在は必要ないと思ったのだろう。
数多の骸を積み上げたままで、この戦場を去っていったのだ。
その本陣の跡の真ん中に、爆発が起きたような跡があった。
真ん中だけがその衝撃を免れたように平らになっていたけれど、何も残されていなかった。
僅かに見つけたのは赤黒くなった地面だけで、それ以外は、何も。
どうして、守れなかった自分が生きているのだろう。
あの方の天下統一だけを夢見て、あの方の為だけに槍を振るっていたのに。
あの方の前に立ちはだかる者は全て薙ぎ払う筈だったのに。
守るべきものがなくなったのに、どうして己はまだ生きているのだろう。
妙に冷えて、冷静になった脳みそが邪魔だと思った。
狂わせてくれたならいっそ楽になるのに、芯は麻痺してしまったようだった。
現状を冷静に受け止めようとしている頭と、受け入れられない心が相反してぶつかっていた。
叱って下され、お館様。
私が未熟であったばっかりに。
持っていた槍の一本を、地面に落とした。
気に入っていた槍だったのに、あの方から貰い受けたものだったのに。
終わりにしたいと、思った。
終わってしまったのだから、もう、何もかも。
その時、遠くで銃声が聞こえて。
ほぼ同時に。
「旦那ァ!!!!」
呼ぶ声が聞こえて、振り返れば。
主に背を向けて、立ち尽くした佐助の姿が目の前にあって。
続け様に、何発もの火薬の破裂音が鼓膜に届いた。
吹き上がる鮮血が、幸村の顔にも飛び散った。
ゆっくり倒れてくるその大きな背中に、幸村はのろのろと手を伸ばした。
何故だか全ての動きが遅く見えて、佐助らしくないな、などとぼんやりと考えて。
腕の中に沈んだ体は紅に染め上げられていた。
半開きになった瞳には、既に光が見えなかった。
それの意味するところはよく知っていたし、冷えた頭ですぐに理解する事が出来た。
ああ、また生きてる。
いつもいつも、自分の背中を守ってくれた忍。
おおよそ良い主ではなかっただろう自分に、いつもついてきてくれた忍。
甘いものが食べたいと我侭を言うと、呆れた顔をしながら、好きな菓子を買って来てくれた忍。
なのに、お前も俺を置いて行くんだ。
ああ、また生かされてる。
どうして、庇ったりなんてしたんだ。
終わりにしたかったのに。
お前一人ならきっと、もっと生きて行けたのに。
最後の最後まで、主らしくない主を守るだなんて。
死ぬも生きるも仕事の中なら仕方が無い、なんて少し冷めた事をよく言っていた気がするけれど。
その癖、いつも幸村に向けられた相貌は優しくて、暖かいものだった。
人が好いにも程がある。
終わりにしよう。
もう、全部終わりにしよう。
槍を手にした、その時に。
「命粗末にするのは、クールじゃねぇな」
槍を掴んで、阻んだ人物。
見上げた先には、一度見たら忘れない独眼竜。
伊達政宗。
「………殺せ」
自然と、そんな言葉が口をついて出た。
負けても、己は甲斐武田に仕える真田幸村だ。
この男の軍の兵を、何人も斬って紅蓮で焼き殺した男だ。
生きていても不安の種になるだけだ……きっと殺してくれる。
けれど。
「俺ぁ、慈善行事で殺しやってる訳じゃねぇ」
力の入っていなかった手から、槍が離れて行く。
槍は少し離れた場所に放られて、もう一本も蹴飛ばされた。
男の手は、腰の刀には一向に伸びなかった。
自分が奪い取ればいいのだろうけど、そんな気力も既に無い。
「……なら、放って置いてくれ」
此処で勝手に野垂れ死ぬから。
同胞の亡骸がある場所で。
此処で勝手に死んでいくから。
「つまんねぇ反応だな。もっと噛み付いて来るかと思ってたんだが」
ああ、してやりたいさ。
喉元に噛み付いて、皮膚を食い破って、そのまま殺してやりたいさ。
けれど、もう動く気さえ起こらないのだ。
「なぁ、お前らの大将殺ったのは、俺だぜ」
挑発しているのだろう。
しかし幸村は、そうか、と呟いただけだった。
それぐらいの事は容易に想像が付く事だ。
あの方が雑兵程度に負ける筈がない。
相手がこの男であると言うのなら、悔しくても納得がいった。
何度か手を合わせたことがあるから、この男の強さは自分がよく知っている。
悔しいけれど、判った。
「主の仇とか、言わねぇのか?」
いつもの自分なら言ったのだろう。
全てを失っていなければ、きっと。
仇を取っても、帰って来るものはない。
目の前で今逝ってしまった忍も、よく話をした兵士達も、あの方も。
もう帰って来ないのだ。
「重症だな………」
政宗の視線が、幸村から骸となった忍に向けられる。
あちこちに作られたばかりの弾痕が痛々しかった。
「隠してやるぐらい、しろよ」
呆れたような声。
隠せるものなんて持ってない。
そう言うと、そりゃ確かに、と独眼竜は肩を竦めた。
「楽しかったんだがなぁ、お前とやり合うの」
突然切り出した話。
幸村の視線は、腕の中で眠る佐助へと向けられる。
「いいとこになると、いつもそいつが邪魔しに来た。何処どこから仕掛けられたとかなんとかで」
その度勝負の決着はつかなかった。
けれど変わりに、“次”の約束を強引に取り付けていた。
先延ばし先延ばしにされる決着。
それでも、刃を交えている時は熱に酔わされ、それは決して不快ではなく。
何処かで終わってしまう事の方が、淋しい気がしていた。
だから佐助が割り行って来るときは、ほんの少しだけ嬉しかったのだ。
全力でぶつかり合った後の僅かな隙間を拭って仲裁に入る、彼の心遣いが。
「今日もお前とやり合いたかったんだが……織田のおっさんが幅利かして来てるから、ゆっくりしてられなくてな」
言い訳、ではない。
独り言のようにも聞こえた。
「早くケリつけて……奥州に戻らなきゃなんねぇ。
お前とやり合うと楽しくてつい時間忘れちまうから、素通りしてお前の大将の所に行った。
強かったぜ、流石は武田の虎だ……――――竜には、敵わなかったみてぇだがな」
ま、俺も危なかったけどな。
慰みのつもりか、それとも嘲りなのだろうか。
軽い口調なので、幸村には判別がつかなかった。
佐助だったら、きっと判るのに。
「片ぁつけて……他の奴らはもう引き上げた。まぁ……無粋な奴が一人、残ってたようだけどな」
武田の総大将は討ち取られたけれど、その右腕が生きているとなれば、脅威と思うだろう。
不安の種は植える前に潰しておいた方がいいと思うのは、当然の事。
軍の筆頭が退けと言っても、納得出来ない者も多くいただろう。
「もういねぇだろ、気配もしないし。戦場(此処)にいるのは、もう俺とお前だけだ」
戦泥棒もまだ来ないだろう、と。
空気にそぐわない単語が聞こえた。
「片がついたら、お前とやり合おうと思ってた。今度こそ決着着けてやろうと思ってよ」
でも。
「ひでぇ面してんな」
目の前にしゃがんだ政宗が、幸村の顎を捉えて上向かせた。
政宗の独眼に、幸村の顔が映りこむ。
まるで幽鬼のように、生気の抜けてしまった顔。
ぼんやりとした瞳にいつもの紅蓮はない。
くしゃ、と政宗の手が頭を撫ぜた。
それはよく、佐助がやっていた行為。
幼い頃からずっと一緒にいた、彼の。
幸村がささいな我侭を言った時、佐助は呆れながら了承してくれた。
それから幸村の頭を撫でて、子供扱いするのだ。
いつもはそれを跳ね除けて、子供扱いするなと声を荒げているのに。
思えば、もうそんな事も出来ないのだ。
そう思ったら、途端に目の奥が痛くなって、なのに何も出てこない自分が不思議だった。
けれどさっきもそうだったから……きっともう、麻痺してしまっているのだろう。
「………………殺せ」
「嫌だね」
間髪入れずに返ってきた言葉は、そんなものだった。
「お前は、人質だ。連れて帰って、俺が飼う」
名門、甲斐武田の右腕だ。
周辺諸国への牽制にもなる。
利用しない手はない。
「っ殺せ!!!」
終わりにしろ。
全部終わらせろ。
どうせ生き延びても、もう仕える人はいないのだ。
いつも傍にいてくれる人も、いない。
手を伸ばせば届く距離にあった筈なのに、もう其処には、躯があるだけで。
「嫌だっつってんだろう」
真正面から見据えてくる独眼を、怖いとは思わなかった。
ぎゅ、と腕の中の躯を強く抱き締める。
「飼わなくても……殺せばお前の名が挙がる。それで十分、牽制になるだろう」
「……お前が死にたがりとは知らなかったぜ」
ああ、知らなかっただろう。
こんなに弱い男が武田の総大将の右腕だなんて、知らなかっただろう。
幻滅した、と言う表情を見せる政宗。
両の腕が腰に差した六本の刀へと伸びる。
わざわざ六爪流で送ってくれるとは、勿体無い事を。
けれ<ど。
突然、強い力で頭部を殴られた。
予想だにしていなかった事に、幸村は受身も取れずに地面に倒れる。
ぐらぐらと痛む頭を堪えながら目を開ければ、其処にあったのは刀の切っ先。
「死にたがりを望みどおりにしてやる程、俺ぁ優しくねぇんだよ」
お前は奥州に連れて行く。
飼い慣らしてやる。
一生。
人は、きっと
残酷に優しくなれる
成否など、かなぐり捨てて
続→