優しさの奥にあるのは、残酷だと
知っている、つもりだ
拘束されている訳でもない。
拷問を受けている訳でもない。
ただ、生かされている。
「Oh……結構似合うじゃねぇか」
仕切りの幕を退けて入ってきた男は、楽しそうに笑う。
幸村の格好は、戦場で見るものと随分変わっていた。
紅い鉢巻も取り去り、いつも結われていた長い髪は流されている。
「悪いな、女モンしか見付からなかった」
「……………」
悪いな、といいながら、政宗の表情はそれを裏切っている。
幸村はついと視線を外すと、格子窓から見える空を見上げた。
「簪、綺麗だぜ」
幸村が首を振ると、しゃらんと小さな金属音が聞こえた。
無造作につけられている金色の簪がゆらゆらと揺れる。
くしゃりと大きな手が幸村の頭を撫でた。
どうやらこの男は、こういう触れ合いが好きらしい。
「殿、揶揄ってはいけませんわ」
「んな事ぁしてねぇよ。実際綺麗じゃねーか」
くすくすと笑う侍女達に、そっぽを向いた幸村の顔を向けさせる。
特に抵抗は見られず、幸村もその幼い顔立ちを侍女たちへと向けた。
きゃぁ、と黄色い声が上がる。
政宗とは一つ二つ下らしいが、顔立ちは政宗よりもずっと幼いものだった。
けれども整った顔立ちは、女人には人気があるだろう。
可愛いと小さな声で囁きだした侍女達に、甲斐でもこうだったのだろうと予想はすぐについた。
ちらりと政宗の視線が幸村へと向けられる。
幸村は何処か冷めた、ぼんやりとした瞳をしていた。
かつて戦の中で見た紅蓮の煌きは、其処には見られない。
あの日から、それはもう二度と見れないものだと思って諦めた。
其処まで追い込んだのは自分なのだから、当たり前の事なんだと。
「お化粧もした方が宜しいですか?」
「其処までしなくていいさ。こいつはこー見えたってれっきとした男なんだからよ」
すっかり興が乗ってしまったらしい侍女の言葉に、政宗は笑う。
大体、化粧など施さなくても、幸村は綺麗であった。
幼い中性的な顔立ちは、少々華美な女物の着物でも見劣りしない。
それは残念、と侍女たちは笑って退散としたらしい。
退室していく侍女たちを、政宗は幸村を腕の中に閉じ込めたままで見送った。
腕の中にすっぽりと納まった幸村は、想像していたよりもずっと細くて小柄だった。
健康的に日焼けした肌は、不思議と肌理細やかで滑らかである。
流れた明るい色の髪が、政宗の首元を時折くすぐった。
顎を捉えて、上向かせる。
ぼんやりとした瞳が、政宗を捉えた。
「いい玩具にされちまったなぁ。妙な事されなかったか?」
返事がないと判っていながら、政宗は問うた。
予想の通り、答えはない。
囲う腕を振り払う事もしないのは、抵抗するだけ無駄だと諦めているのだろう。
「まぁこれだけ着込んだ方がいいだろうな、お前は。早々に躯壊されても困るし。
此処の気候は結構寒いんだ、北国だからな……冬になったら雪も降るぜ、甲斐じゃ見れなかったんじゃないか?」
くしゃくしゃと明るい髪を掻き撫ぜてやる。
ぼんやりと見上げて来る瞳が、ついと外された。
どうやら嫌われたらしい、当たり前の事だとは思うけれど。
「簪、外すなよ」
言って、幸村の頭で揺れる簪に唇を寄せた。
軽く接吻すると、しゃらんと小さな音を立てる。
今自分が何をされているのか、きっと幸村は判っていないのだろう。
判っていれば顔を真っ赤にして―――そうでなくても、何かしら反応を示すだろうと思うのだ。
己と大して歳の違わぬ若者が、女人と話をするだけで真っ赤になる程初心なのだ。
本来なら女の服を着せられるだけで騒ぐだろうし、簪に接吻なんて以ての外だ。
あの大袈裟な反応も見てみたかったのだけど。
ここ数日で、幸村は随分痩せたと思う。
今までの紅い衣と違って、ゆったりとした女物の単を着せているから、余計にそう見えるのかも知れない。
けれども着替えさせる時にふと見た体は、己の記憶にあるものとは随分異なっていた。
動き易さを重視しているのか、幸村は前の肌蹴た赤い衣を身に纏っていた。
其処から見える胸板や腹筋は、小柄な体の割にはしっかりと発達していたと思う。
だが着替えた時に見た体は酷く頼りなくて、少し力を入れれば折れてしまいそうだった。
今腕の中に閉じ込めてから、更にそれを認識させられる。
たった数日、碌に動こうとしないだけで、人間の体はこんなにも衰えを見せるのか。
半分は幸村の精神状態が引き起こしているのだとも思えた。
人質だと、逆らう事は出来ないと理解しているのだろうか。
食事を取れと言えば取るし、命令した事は全てきちんと聞いている。
本位ではないだろうに、文句の一つも言わない―――言う気力もないのだろうけど。
奥州に連れてくる間に何度か自害しようとしたが、政宗が止めると抵抗しなかった。
自傷行為でも引き起こすかも知れないと医者に言われたが、そんな様子は今の所見られない。
傍に傷をつけられそうな器物も置いていないからだと思うが、その気になれば、
この無気力な若者は、己の爪で喉の皮膚を破る事も、腕に喰らいついて千切る事も出来るだろう。
帯を天井の梁に括り付けるのは少々骨が折れるけれど、それだって頭が回らない筈がない。
一生、飼い慣らすと言った。
それの意味を、何処まで理解しているだろう。
「冷え込んできたな……」
月が昇ると、奥州の気温は急激に下がる。
この時期は、そういうものだ。
慣れている筈の自分も、今日ばかりは少し寒いと思った。
己がそうであるのだから、幸村はもっと寒いと思うだろう。
女物のごつい単を着込んではいるけれど、足元からの冷え込みは結構辛いものである。
誰かに湯たんぽでも持って来させるか、と政宗は考えた。
しかしちらりと当人を伺い見てみれば、膝を抱えて蹲っているだけだった。
時折震えるのが判るから、文句を言わないでも、寒いと感じているのだろう。
政宗は小さく嘆息すると、蹲る幸村に歩み寄った。
「おい、もう寝ろ。風邪ひくぞ」
今年の風邪はタチが悪いらしい、と続ける。
視線はこちらに向けられなかった。
だが焦れて腕を引っ張ると、緩慢な動作で立ち上がる。
「本当に大人しいな。大人し過ぎるぐらいだ」
「……喚いて欲しいのか?」
奥州に来て初めて、幸村が口を利いた。
掠れ気味の声だったけれど、高い音は空気を裂いて、よく通った。
戦場でよく聞いた覇気はなかったけれど、少しだけ安心する。
口が利けなくなったかと、少し思っていたから。
「別に、どっちでもいいさ。お前がしたいようにすればいい」
そう言うと、飼い慣らすと言ったくせに、と侮蔑の視線が向けられた。
「俺はお前を飼い慣らすとは言ったが、別に囚人や奴隷みてぇな事はする気はねぇよ」
言わなくとも、それぐらいの察しはついているだろうと思う。
人質だからと奴隷のように扱うのなら、連れて来てすぐに牢にぶち込んでいる。
わざわざ侍女達に着替えさせたりはしないし、環境のいい己の部屋に連れ込んだりしない。
拷問なんて以ての外だった。
てっきりそんな扱いを考えていたのだろう幸村は、当惑していたのだ。
飼い慣らす―――政宗の好きに扱われる、と連想するのは当たり前だろう。
幸村が政宗に対してどんなイメージを持っていたか知らないが、予想だにしない扱いにどうしていいか判らないのだ。
人質にしては優遇過ぎるし、食事もきちんとしたものだし、閉じ込められている訳でもない。
拘束もされていないし、きっと逃げようとすれば逃げられるのだろう。
軟禁、と言うにも軽すぎる扱いである。
「……馬鹿にしているのか」
殺す価値もない、痛めつける価値もない。
そう思ったのだろうか、幸村の声に剣呑な色が混じる。
政宗はそれを見ても肩を竦めただけだった。
別に馬鹿になんてしていない。
殺したくないのは確かだし、この扱いも政宗が自分で勝手にした事だ。
女物の単を纏ってよく似合うなんて言ったけれど、あれも正直な感想なのだ。
殺さないのは、殺したくないから。
その奥底にある自分の感情を、政宗は今は無視する事にした。
「そんなに睨むなよ。生かしてやってんのに」
言うと、ギ、と鋭い視線が向けられた。
光を半分失っている瞳だったが、戦場の面影が僅かに蘇る。
「誰が頼んだ」
「頼まれてねぇなあ」
幸村は、殺せ、と言った。
政宗は、殺さない、と言った。
それだけの事だ。
「いいじゃねぇか。命粗末にするよりは」
布団の上に腰を下ろし、幸村を腕の中に閉じ込めた。
「お館様が亡くなった今、俺の命は俺のものだ。俺がどうしようと、勝手だ」
「まぁ正論だな。俺が口出ししていい事じゃない」
「なら」
「だが」
尚も何か言おうとした幸村を、政宗は低い声で制した。
顎を捉えて上向かせる。
うっすらと、目尻に透明な雫が浮かんでいた。
そんなに悔しいか。
生き延びた事が。
お前を庇って、死んだ奴もいるのに。
お前の生を願って、死んだ奴もいるのに。
それでもお前は、死を望むか。
「お前はもう、俺のもんだ」
まるで、生きてる事が間違いのように。
戦の中で逝けなかった事が罪のように。
そんなにお前は嫌なのか。
あの時、幸村を庇ったのだろう忍の男は。
どうして、何も言ってやらなかったのだろう。
いつも傍にいて、何事かと口を挟んできたくせに。
どうして一番肝心な言葉を、一つも言ってやらなかったのだろう。
「お前は此処で、生きるんだ」
目尻に溜まっていた雫が、零れた。
生も死も
存えることも途切れることも
どちらも罪であるというのなら
一番残酷な方法を
一番優しい腕に抱いて
政宗→幸村。
信玄と佐助死なせちゃった……
幸村は礎がなくなったら、一気に総崩れになりそう…