銀の世界と極彩色
ふわふわ ふわふわ 降る雪に
きゃあきゃあ 響いた高い声
『今年も宜しくお願いします!』
「すっげぇ、全部白だ―――――っ!!」
「きゃ――――!!」
響き渡った二つの声とともに、紅と紫の子供――――元親と幸村が家屋から飛び出していく。
それを慌てて追いかけるのは、逆立った髪型の浅葱色の少年――――佐助だった。
彼が追いかけているのは緋色の子供で、その子は先刻まで屋内だからと上着を着ていなかった。
新年から相変わらず手のかかる子に、浅葱色の少年も相変わらず世話を焼く。
「幸! 薄着で外に出ないの!」
「きゃー!」
「きゃーじゃない! 霜焼けになるよ!」
言いながらはしゃいで落ち着こうとしない幸村を慣れた手付きで軽くいなすと、きちんと上着に袖を通させる。
小柄な幸村が着るには随分と大きなそれは、幸村の兄がわざわざ持たせてくれたものだ。
奥州は甲斐よりも寒いから、これくらいの防寒は必要だろう、と。
相変わらずな兄の弟溺愛ぶりに苦笑した事は、まだ佐助の記憶に新しいまま残っている。
幸村は最初は動き難そうにしていたが、それでも敬愛する兄から拝借したものだからだろうか。
白い生地に紅朱色で描かれた模様を眺めた後、嬉しそうに雪の上をくるくる回っている。
その傍らで、元親が雪の上に残る足跡を面白そうに見ては足を動かし、新しい足跡を作り出している。
「おっ、ここ雪深ぇ!」
「どこどこ?」
「幸は転ぶから駄目」
「佐助のけちー!」
楽しそうにずぼずぼと沈む自分の足を見て笑う元親。
南端程とまでは行かないが、比較的温暖な地に住む元親にとって、こんなにも真っ白な世界は初めてのものだった。
視界の端から端までが真っ白になり、踏み締めた雪の下にはまた雪がある。
踏んでも掘っても消えない白に、元親は無邪気になって広い庭を駆け回り始めた。
仔犬が喜ぶように駆け回る元親を、幸村が追いかけたがる。
見ているだけでも楽しそうな元親を羨ましそうに見ていた。
しかしそれを赦さないのは佐助で、め、と母が子供を叱るように止めている。
そうやって止める佐助の心情は、転んだら怪我をするとか(雪の上なのであまりないとは思うが)、
雪を頭から被ってしまったら風邪をひいてしまうとか、大概彼も幸村に対して過保護であった。
自身がそれに気付いていない理由としては、彼よりも幸村の父兄の方が幸村に対してとろとろに甘いからだと言えるだろう。
でなければ、今よりもずっと幼少の頃から続いている関係なので染み込んで抜けなくなってしまったからかも知れない。
そして幸村も幸村で、不満げに佐助を見上げているものの、それに無為に反発する事はなかった。
緋色の子供の第一反抗期は、まだまだ訪れてはいないらしい。
ぼす、と雪を踏む音がして幸村が振り返る。
今度外へ出てきたのは、蒼色の子供――――政宗だった。
きちんと防寒してはいるが、幸村や佐助と比べると軽装にも見える。
やはり生まれ育った地であるからか、奥州の冬というものには他の子供たちに比べると耐性がある。
顔の右半分を覆う包帯は見るものに痛々しさを感じさせるが、此処に集まった子供達は見かけ云々なんて気にしない。
時折不思議には思っても、大人たちのように同情の目を向けられることはない。
「政宗、政宗! 凄いね、真っ白!」
「だな。一晩でこんな積もると思わなかった」
奥州の寒波は昨日のうちにブチ当たって、子供達は昨日一日、屋内で過ごす以外になかった。
じっとしているのが好きではない幸村や元親は悶々としていたが、
寒波が過ぎればいいものが見れる、と政宗が言うから一所懸命我慢していた。
政宗が言った“いいもの”とは紛れもない、この白銀の世界だ。
北国生まれの政宗にしてみれば毎年の事であったが、幸村と元親には思った以上の良い贈り物になったらしい。
真っ白な世界の中で映える緋色。
政宗の瞳にはそれしか映っておらず、ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ幸村に、政宗も嬉しそうに笑う。
「でもなぁ幸村、ちゃんと上くらい着ていけよ」
「だって我慢できなかった」
「風邪ひいたらどうすんだよ」
「佐助が看てくれる」
政宗の言葉にきっぱりと言い切った幸村の顔は、絶対にそうしてくれると信頼の顔。
それを見た政宗は少し唇を尖らせたが、幸村はそれに気付かない。
幸村の全面の信頼を寄せられた佐助はといえば、先の台詞に呆れたように溜息を吐いた。
「莫迦言ってんじゃないの。俺そんなに暇ないよ」
「でもいつも看てくれる」
「……そりゃ、俺が看なかったら誰が看るの」
看てくれないのか、と視線を向けられた佐助は、頭を抑えながら呟いた。
淋しいことだが、幸村の兄や父は中々家にいられない。
常に傍にいられるのは佐助ぐらいで、幸村もそういう時は常以上に佐助から離れようとしない。
自然とお鉢は回ってくるのである。
暇はないと口に出して言った佐助であるが、なければ作ればいいだけの話だ、とも思っている。
修行となれば簡単な話ではないが、それが出来てしまう辺り、流石有望株と呼ばれる由縁だろう。
話に置いてけぼりになっていた政宗は、むーっと仏頂面で会話を続ける二人を見ている。
と、其処にふっと視界が影って顔を上げた。
其処にあったのは、真っ白な巨大な球。
「うぉぉぉぉぉぉっ!!!?」
「何……って、ほんとに何!!?」
引っ繰り返った政宗の声にいぶかしんで佐助が顔を上げれば、やはり同様の巨大な球。
それはごろごろと転がっていて、二人は幸村を引っ張りながらそれから逃げる。
「何何何!? なんな訳!!?」
「俺が知るかよ!」
「あんたのとこの誰かの悪戯じゃないの!?」
「違う、成実も綱元もこんな事しねぇ!」
やるなら問答無用で雪球を投げつけてくるぐらいだ、と政宗は続ける。
それもあまり褒められた話ではない気がするが。
幸村は何がなんだか判らないまま、目を白黒させて二人に引っ張られるまま走っている。
雪の上を転がっていく巨大な球は、更に大きさを増していく。
雪球が大きくなったものだから、当たり前と言えば当たり前の話だ。
このままごろごろと転がるそれの前を走っていれば、いつか潰されてしまう。
特に訳が判らず走っている幸村の足元は縺れ気味になっていて、けれど前を走る二人は梃子でも繋いだ手を離さないから、
幸村がこのまま転んでしまえば望むところでないとはいえ間違いなく二人も巻き込んで仕舞うことになるだろう。
ごろん、と一つ大きく球が転がる。
それと同時に、深みに脚を沈めてしまった幸村が二人を巻き込み、雪の上に転んでしまった。
潰される!
政宗と佐助が同時に思った。
が、いつまで経っても重みはやってこない。
「大丈夫かい?」
「まったく、この莫迦めが」
凛としっかりした声の後、聞こえてきたのは呆れたような冷たい声音。
反射的に頭を庇うように抱えていた政宗と佐助が顔を上げると、見下ろしているのは紺青色の少年。
続いた声の主は雪球の影になって半身が見えなかったが、深緑色の少年だった。
紺青色は半兵衛、深緑色は元就だ。
半兵衛は体が弱い為にむくむくと着膨れしており、今も寒そうに少し身を丸めている。
「政宗君と佐助君はこの程度平気だろうけど、幸村君まで巻き込まれたら可哀想だからね」
「そもそも、こやつが調子に乗らねば済んだ話だ」
どちらも幼い割に老成した喋り方をする。
半兵衛はこの場にいる子供達の中では年長だが、それでもまだ十歳を少し過ぎた程度だ。
てんでばらばらな子供達だが、こうして集まることに誰一人として否やは唱えない。
その大きな要因としては、未だに雪の上に顔面を埋めたままになっている緋色の子供が大きく占めている。
政宗が起き上がって巨大な雪球の反対側に回りこむと、こちらも雪の上に顔を埋めた元親がいた。
元就は子供にしては冷めている目でそれを見下ろしている。
元親の背中には足型の濡れた後がついており、恐らく元就が蹴飛ばしたのだろうと思われる。
元親の頑丈さは、子供たち全員がよく判っている。
だから特に心配する事もなく眺めていると、元親はぱっと顔を上げた。
その鼻先は赤く滲み、雪でかじかんでしまった事が伺えた。
「何しやがんだ、元就!」
「お前が調子に乗って幸村を追い回すからだ」
「してねぇよ、そんなこと」
「お前、前見えてねぇだろ」
あくまで自分に非はない筈だと反論する元親に、被害者である政宗は呆れた目を向ける。
「なんだってこんなにでかい雪球作ったんだよ!?」
「気が付いたらこんなになってた」
「莫迦か!」
最初は手のひらほどの大きさしかなかったであろう、巨大な雪球。
転がしていくうちに成長していくそれに、元親はすっかり楽しくなってしまったのだ。
周りの事なんて何も見えなくなってしまうほどに。
転がせば転がせるだけ大きくなる雪球に心を奪われた元親だったが、それも無理はない。
こんなにも大きな雪球を作ること自体が滅多になかったし、周りはまだまだ白銀ばかりが目に付いた。
とにかく大きくさせることに夢中になったのである。
毎年の事と雪を見慣れたものとして思っている政宗には、今の元親の気持ちは少々理解から遠い模様だ。
―――いや、それよりも今は、この巨大な雪球に潰されかけたという現実が此処にある。
「俺と幸村はお前に殺されるとこだったんだぞ!」
「え!? まじで!?」
「俺の事忘れてない?」
ひょっこり雪球の影から顔を出した佐助の顔は引き攣っている。
その後ろから手を引かれて顔を出したのは、雪に顔を埋めてかじかんだ鼻先を紅くした幸村だった。
「幸村! 悪い、大丈夫か!?」
「俺らにはなんにもなしかよ!」
佐助を押し退けて幸村に謝る元親に、政宗と佐助の声が重なった。
幸村は元親の言葉にこくんと頷くと、元親の肩に被さっている雪を手で払う。
「あ、ありがとな」
「幸村、この程度放って置けば良い」
「そうだね。元親君なら平気だよ」
「んだよ、邪魔すんなよ!」
割り込んだ元就と半兵衛に、元親が憤慨する。
元親と話していた筈なのに唐突に相手が変わり、幸村はきょとんとした顔で元就を半兵衛を見る。
幸村を取られて不満げな顔をする元親だったが、すぐに政宗と佐助から文句を浴びせられて言い返し始めた。
半兵衛がぽんぽんと幸村の頭を撫でると、幸村は大人しくそれを感受する。
触れていた手が離れれば今度は元就の手が伸びて、やはり幸村はそれを素直に受け止めていた。
冷えた空気の中でほんわりと笑む幸村が日向の仔猫に似ていて、二人は顔を合わせて小さく笑う。
それはお互いにしか判らないほどに、ささやかなものだったけれど。
幸村はこの中では一番年下だ。
いつもこうやって頭を撫でられて、子供達の間でも大切に慈しまれているのだ。
「さて、そこで騒いでる子たちは好きにさせるとして」
「我らは戻るとするか」
「なんでですか?」
くるりと踵を返した二人に、幸村が目を剥いて問う。
「雪、嫌いですか?」
「そういう訳ではない」
「そう。なんだけど、ちょっと堪えるんだ」
申し訳なさそうに眉尻を下げて堪えた半兵衛に、幸村がはっとする。
半兵衛は体が弱くて、この時期に奥州に来る事さえも懸念はあったのだ。
冷え切った空気は半兵衛にとって少々辛いものがある。
元就も普段は健康であるのだが、昨日聞いたばかりの事だが、国を出発するまで体調を崩していたのだ。
中々見ることの出来ない白銀世界は魅力的だが、病み上がりの身には負担がかかってしまう。
「そうですかぁ……」
しょぼん、と幸村が俯く。
犬の耳と尻尾があったら寝てしまっているだろう。
その仔犬のような可愛い仕草が、見ているものの保護欲や構いたい気持ちを煽ってくれるのである。
直ぐに屋内に引き上げようとしていた二人の足が止まった。
「幸村君が気にする事じゃないよ。ごめんね、こんな体で」
「半兵衛殿の所為じゃ……」
「我もすまぬな。お主は気にせず、遊ぶと良い」
「元就殿……」
慰める二人の優しい眼差しに、幸村は眉尻を下げてはいるものの、小さく笑う。
半兵衛と元就はそれを見てまた一つ笑み、くしゃくしゃと幸村の頭を撫でた。
雪球騒ぎで揉めている三人の存在はすっかり忘れたものとして、半兵衛と元就は幸村に手を振って屋内へ戻る。
それでも縁側すぐの場所で座っているのだが、幸村はなんとなくそれにも淋しさを覚えていた。
仕方がない事と言えば仕方がないのだが、幸村は今日と言う日をとても楽しみにしていたのだ。
一緒に外で遊べないと知った幸村の落胆は、やはりそれなりに大きなものだった。
少し沈む足元も、かじかんで痛くなって感覚が判らなくなるぐらい冷たい雪を掴む事も、
今の半兵衛と元就にとっては少し遠くにあるものなのだ。
折角、皆で遊べると思っていたのに。
今日のような日が二度と来ない訳ではないけれど、“今日”という日は今だけだ。
今日しか出来ない事はきっとある筈で、だからこそ今日も皆一緒に遊びたかった。
一番の思い出を、今作りたかったのだ。
肩を落としながら、幸村はまだ揉めている三人に目をやった。
政宗と元親に至っては手が出てしまうんじゃないかと思うほど、口喧嘩で済ますには段々苛烈になって来ている。
その横には、元親が作り上げた大きな雪球。
――――――――そうだ!
ぽん、と思い浮かんだ情景に、幸村はぱっと笑顔になった。
→