星の数え方を教えてくれたのは ………君だった 「む?」 もごもごと団子を咀嚼しながら、幸村は空を見上げた。 今日は新月で、闇夜には星光がよく映える。 特に空気の澄んだのが幸いして、尚更星の光は多く、地上にその恩恵を降り注いでいた。 山の向こうにも雲はなく、信濃の夜空はよく晴れ渡り、何処までも見渡せそうだった。 鮮やかに輝く星の瞬きに、幸村は気分良く団子を飲み込んだ。 「良い夜だな」 「何処がよ」 気配も物音もなく、声だけが振って来るのにも随分と慣れた。 幼少期からそんな生活が続いているのだから、今更と言えば今更の話だ。 気配も音も立てぬのが忍であると学び覚えたのが何歳の頃であったのか、幸村自信にもいまいち判然としない。 佐助の忍修行が激しくなればなる程、佐助は隠れるのが上手くなり、遊びの最中にその気配が途切れる事も珍しくなかった。 が、幸村は余程の事でなければ、佐助の気配が途端に消えることに不安を覚えることはなかった。 気配がなくても呼べば答えたし、それが知らぬ間に当たり前となり、染み付いていた結果だ。 幼少期に比べて、この屋敷に定在する忍は増え、今では“真田隊”とまで言わしめる程である。 うち半分は忍の領分であるから、いながらにしていない、なんてのも何時もの事だ。 幸村にとって忍と言う者は、あまりにも身近にあったものだった。 だから佐助が、今自分が漏らした言葉に反発するような声を漏らした理由も、理解しているつもりである。 「忍と言う者は難儀だな。こんな良い夜も嫌うものか」 「嫌うっつーか、苦手っつーか……光は忍にとって相反するもんだからね」 特に満月の夜を佐助は嫌う。 月は夜闇に隠れた道を照らすと同時に、その闇に紛れた者を燻り出す。 だから忍は、総じて月夜を好まぬものであった。 昼日中の光ならば、それ相応に合わせた紛れ方がある。 しかし闇の中、束の間に差し込む光と言うものは厄介なのだ。 幸村は、それを常々勿体無いと思っていた。 「星見もたまにはいいぞ。団子が美味くなる」 「あんたはそればっかだよね……」 「風情というものだ」 「……色気も情緒もない風情だな……」 呆れた風で呟く佐助に、幸村はむぅ、と口を尖らせる。 月見の時には団子を食べるのだから、星見で団子を食べることの何が可笑しいのか。 花見だって団子も食べれば酒も飲むし、冬は静々と降る雪を眺めながら鍋を食べるのだから、何も可笑しい事などないだろうに。 言った所で佐助ははいはいと適当に合わせるだけだろうから言わなかったが、内心結構悔しい幸村である。 佐助が言っているのは何も団子に限った所ではないのだが、幸村は其処まで発想が回らなかった。 序にまだ手に持っている団子の方が幸村にとっては余程大事な事項であった。 串に刺さった二つの団子を、ぱくりと一口で食んだ。 「今夜は良い星見日和だ」 「……言われて見れば、そうかもな。いつもより星が多い」 雲もなく、吹き抜けていく風は柔らかで、空気も心地良い冷たさを含んでいる。 「こんな夜は、星を数えて寝るのがいい」 空を見上げて、右手で空を指差しちらほらと動かして、左手は指折り何かを数えている。 そんな不思議な行動をしている幼子を見つけ、佐助は首を傾げていた。 空を見上げる幼子に倣って同様に空を見上げてみたが、特に変わったものは見られない。 しかし幼子は夢中になっているようで、佐助が自分を見ていることにも気付いていないらしい。 何かと佐助の名を呼んでは遊べ構えと言う子供にしては、珍しい光景だった。 昨日は父と一緒に寝た子供だが、その時に何か教わったのだろうか。 稀代の謀略者と呼びなわされる子供の父親は、時折へんてこなことを愛息子に教えている事がある。 へんてこ、というのはあくまで佐助の私観であるので、彼等が何を思って教えているのか、佐助には判然としない。 それならもっと役に立つ――例えば槍の持ち方とか、無手の型とか――を教えてやれば良いものを。 その方がよっぽど子供の為になるのに、ど思うのだ。 だが知らぬことを教わるのは子供にとってとても面白い事らしく、とにかく子供はなんでも知りたがった。 それが他者から見てどうでも良い知識だと言われるものでも、子供も子供の父も構わなかった。 ――――さて。 今度は何を教わったのだろうと思いながら、佐助は判りやすく足音を立てて近付いた。 忍としての修行の中で、足音や気配、呼吸を殺すことは最早癖のようになっていた。 赤子の頃から傍にいるからか、幼子はそれについて不思議な様子を覚えることはあっても、違和感は感じないらしい。 子供にとっても佐助の癖は最早当然のものとして認識されていた。 だから珍しく足音を立てて近付けば、いつもきょとんとした顔で此方を振り向くのである。 ………今回も、同じように振り返った。 「佐助」 振り返って佐助の顔を見ると、確認するように名前を呼ぶ。 いつもそうだ。 佐助、佐助、と子供は佐助の名を呼ぶ。 佐助もいつしか、それが心地良くなっていた。 「何やってんの、幸」 土を踏む度に音を立てて近付けば、幼子――――幸村はじっと傍に来るのを待っていた。 空を指差していた右手は地面に向かって下ろされていたが、左手は指折り数える形のままだ。 一体何を数えていたのかと、佐助は幸村の隣に立って空を仰ぎ見る。 が、見える世界は先程見上げた時と同じもの。 此処から何かいたのが見えたんじゃないのか、と佐助は頭を掻いた。 てっきり、夜行性の虫か鳥でもいるのかと思っていたのだが。 「なんか見てるみたいだったけど」 「見てた。数えてたんだ」 「何を?」 問いかけながらぺたりと幸村の頬に手を当てると、いつもの子供体温は其処にはない。 常時体温が高いので、今の体温は普通の大人と同じ程度となっているが、常日頃を思えば驚くものだった。 一体いつからこうして此処に立っていたのか、佐助は呆れ半分の顔になりながら幸村の頭を撫でる。 撫でられて幸村は少しの間猫のように目を細めていたが、直ぐに質問の問い掛けを思い出したらしい。 撫でる手をそのまま甘受しながら、幸村は先程と同じように空を見上げる。 「星を数えてた」 ―――――その言葉に、意味が判らなくて佐助は間の抜けた顔を晒していた。 すっかり夜空の世界に浸っている幸村は、それに気付く事はなかったけれど。 「父上がな、星の数を数えてみろと言っていた」 「……昌幸様が…?」 ……また何を考えているのだ、あの人は。 佐助が幸村の父、真田昌幸に奉公に出されてから、既に六年が経つ。 が、未だにあの人物の考えることと言ったら読めないのだ。 流石は稀代の謀略者―――と思うことも在るのだが、以外に夢見る性質でもあるらしい。 どうもそういう現実から少しは慣れた場所にある思考は、幼い割に現実主義の佐助には理解できない範疇だった。 それよりももっと判らないのは、幸村の兄であり、昌幸の長子である信幸の方だ。 彼は単純に自分の考えや内面を見せると言う事が滅多になく、それは佐助に対しても父に対しても同じなのだ。 唯一、幼い弟に対してはとろけきった甘い顔で接しているのだが、それ以外の前ではどうにも読めない人物だ。 ―――――でもやっぱり、一番よく判らないのはこの子供だ。 あの親にして、この子あり。 この一家は本当に判らない。 佐助は目を窄め、しゃがんで幸村の話を聞く姿勢になりながらそう思った。 幸村の方は佐助のそんな胸のうちなど知る由もなく、空を見上げたままで無邪気に話す。 「星を数えているとな、すぐに時間が過ぎるのだそうだ。周りに何もなくても、星さえあれば退屈しないと」 今日みたいな星空は、特に退屈しないらしい。 幸村のその言葉を聞きながら、そりゃそうだろうと佐助は声に出さずに呟いた。 先程は何も変わったものなどないと思った夜空だが、今日は常より星の数が多かった。 満天の星空、という奴だ。 成る程、と佐助は合点が行った。 先程まで幸村が空を見上げ、指差し指折りしていたのは、星を数えていたからだったのだ。 この余すところない満点の空に散りばめられた無数の星々を、一つ一つ、指差し指折り数えていた。 幾つ数えても終わらぬその作業に夢中になって、佐助が己を見ていることにも気付かなかった。 「父上もな、よく星を数えるそうだ。面白いらしいぞ」 「……ふぅん……」 「だから私も数えてた!」 「…面白い?」 北を示す星がどれであるのか、佐助には判る。 北極星と、それを導く北斗七星がどれなのか、佐助は覚えていた。 だが、星の数を数えるなんて事はした経験がない。 幾ら数えたって終わりのないものを数えたりして、なんの意味があるのか判らない。 一々実用性を求めるから、そう思うのかも知れない。 それを子供は、あっさりと打ち壊す。 「面白いぞ! だから佐助もやってみろ!」 ――――――あまりに無邪気な、その笑顔で。 当たり前の事のように、幸村は無邪気に笑ってまた星空を見上げる。 誰も手の届かない場所で輝く宝石達は、真っ直ぐ見上げる子供をただ黙って見つめているようだった。 忍の習性でなんとはなしに厭う光だが、子供が見上げるそれを何故だかこの時だけは嫌いになれなかった。 佐助が最初に見つけた時のように、幸村は空を見上げ、指差し指折り数えている。 何処まで数えたのか判らなくなったのだろう、指折りの途中だった左手は一旦解かれ、一から始まっていた。 「さっきも数えていたんだが、佐助が声をかけたから判らなくなったんだ。三十を越した所だったと思うんだが、何処だったか…」 あと、何処を数えたかも判らなくなった、と幸村は空を見上げたままで言った。 そりゃ御免ね、とおざなりな謝罪をすれば、うむ、と短い返事。 いつも些細な事でヘソを曲げるのだが、今は特に気にしていないらしい。 自分の世界を彩る遠い宝石の数を数えるのに夢中になっていた。 そんな幸村の隣にしゃがんだままで、佐助も幸村同様に空を仰ぎ見る。 今日は月がないから、余計に星の光が鮮やかで、空気が澄んでいるお陰でその姿がはっきりと確認できる。 常ならばきっと見落としてしまいそうな小さな弱い光も、この時ばかりはよく見えた。 幾つか数えてから、幸村の手が彷徨った。 どうやら、また判らなくなったらしい。 止めるかなと思った佐助だったが、幸村はまた一から数え始める。 「……幾ら数えても、終わらないだろ」 「ああ」 「多過ぎて…疲れないか?」 「いいや」 「だって切りないだろ」 「そうだな」 佐助の問いかけに帰ってくる言葉は、この子供にしては珍しく単調で短いものだった。 いよいよ、星の光に心を奪われているらしい。 何が面白いのか、佐助には未だに判らない。 子供の考えていることは判らない――自分もまだ子供に分類される歳であるとは棚に上げた――。 大人になってもそんな事を考える子供の父親の事も、やっぱり判らない。 一応護衛――と云う名の子守であろうと近頃は思う――を仰せ付かっている以上、子供を放って館に戻るのは赦されない。 父や兄が咎める事は早々ないだろうが、それでも音に聞こえた真田の次男である。 だからこそ忍である佐助を護衛の任として傍に置いたのだろうし、佐助もその重要性を承知しているつもりだ。 ……って云うか、このまま放っといたら風邪ひくじゃん。 そっちの方が大変だ、などと考えてから、佐助は漏れそうになった盛大な溜め息を必死で堪えた。 未だに無邪気に星を数えている子供の邪魔をしたくなくて。 自分もいよいよ、子守が板について来たらしい。 (とは言え……そろそろ屋敷に戻さなきゃな…) 大人に比べてまだ弱い免疫力しか持たない子供を、長時間夜風に当たらせたくはない。 この子供は人一倍丈夫だから然程の心配は不要だろうが、何せ父と兄の過保護さと言ったらないのだ。 奔放に遊ばせ、槍の修行だって激しいものなのに、屋布に帰ると途端に蕩けた顔になるのだから。 最初は呆れた顔でそれを眺めていた佐助だったが、流石に六年ともなるとそれが伝染って来るようだ。 「幸、そろそろ―――――……」 「あ―――――っ!!」 戻ろう、と指折り数えていた左の手首を掴むと、幸村が声を上げた。 子供の甲高い声が鼓膜を派手に揺らし、佐助は頭痛を覚えて顔を顰める。 が、やっぱり子供はそんな事には構わない。 「折角五十まで数えたのに! 佐助の所為で判らなくなった!」 「あー……悪かったよ、それは…でも、そろそろ帰らないと風邪ひくよ?」 「まだ数え終わってない!」 「家の中からでも星は数えられるだろ」 星数えに夢中になった幸村には悪いが、佐助にとっては幸村の体調管理の方が余程大事であった。 強引と思いつつも、佐助は小柄な幸村を抱き上げ、そのまま屋敷へと足を向ける。 「いーやーだー! 此処で数える! 此処の方が沢山ある!」 「何処で見たって一緒でしょ」 「一緒じゃない! だから此処で数える!」 じたばたと腕の中で暴れる子供に溜め息を吐きながら、佐助の足は屋敷へと向かう。 いい子だから言う事聞いて、と言っても幸村は聞かなかった。 離せ下ろせと暴れる幸村だったが、此方は佐助も譲らない。 無理矢理にでも離させようと幸村は佐助の腕を掴んだが、子供と言えど鍛えた佐助の腕はびくともしない。 大体、言葉通りに手を離したら、幸村は背中から地面に落ちてしまうだろう。 屋敷の手前まで来ると、暴れるのは無意味と諦めたらしい。 が、縁側に下ろしてやれば不満とありありと描かれた顔が佐助の前にあった。 明日になれば、今日の事などきっと忘れてしまうだろう。 けれど今日一日の最後に見たのがこんな拗ねた顔なのだと思うと、なんとなく佐助の気は消沈していた。 なんと言ったら、機嫌を治してくれるだろうか。 星数えは家の中でも出来るというのに、一向に納得した様子ではないし。 今更前言を撤回して再び外に出す気もなかった。 ぷくーと膨れた頬が丸々として、なんだか可笑しかった。 思ってから、おっと笑ったら余計に拗ねる、と佐助は零れかけた笑みを噛み殺す。 それから。 「今度は、俺も一緒に数えるから」 「―――――――佐助?」 呼ぶ声に意識が現実に浮上したのが判った。 どうやら、らしくもなく思い出に耽っていたらしい。 嘗ての子供の方へと見遣れば、団子串を咥えたままできょとんとした顔で此方を見ている。 緊張感の欠片もない表情は、ずっと昔からちっとも変わっていなかった。 今更ながらにそれを再認識したような気分になって、佐助は知らず笑みが漏れていた。 「なんだ、何か面白いものでも見つけたか?」 言いながら、幸村は空へと目を向けた。 其処にはやはり、満天の星が夜空を余すところなく照らしている。 「……別に」 「笑っただろう、今」 「旦那の気の所為じゃない?」 「…そうか…?」 納得行かない様子で首を傾げる主に、佐助はまた小さく笑う。 仕種がどうにも幼い。 小柄とは言えあの頃に比べて十分背は伸びたし、元服だってとうに済ませたというのに、 更に戦では無鉄砲と紙一重の果敢振りを見せ、今や虎の若子とまで呼ばれている人物だと言うのに――――、 こうして日常の中で見せる顔は、佐助が幼い頃から見てきたものと何も変わらない。 未だに星を数えるなんて言うのも、それを感じさせる。 けれども、それを教えたのが今の主よりも二周り以上歳を取った頃合の彼の父であった事を思うと、納得もする。 あの親にして、この子あり、だ。 団子を全て食べ終えた幸村は、首を傾げつつもそれ以上問わない事にしたらしい。 佐助に話す気がないことを判っているのだろう。 「んじゃ、団子食べたんなら旦那はご就寝だね」 「ん?」 空になった皿を見遣って言うと、幸村はまたきょとんとして振り向く。 「眠くないぞ」 「子供は寝る時間だよ」 「誰が子供だ!」 眉尻を上げて怒る幸村だったが、佐助は相変わらず平静としている。 幸村が怒ったところで宥め方を心得ているから、何も気構えする必要がないのである。 幸村は機嫌を損ねた犬のように唸りながら、咥えたままだった串に歯を立てる。 癇癪を起こした子供のような幸村に、佐助はまた笑みが漏れそうになって、今度はどうにか堪えた。 「はいはい、冗談だよ。でも、そろそろ寝た方がいいんじゃない?」 「む……うーむ……」 咥えていた歯を放して更に戻し、幸村は縁側に座ったままで空を仰ぐ。 相変わらずよく晴れた空は満点の星に彩られ、吹き抜ける風は心地良い。 何をするでもないのだから、このまま寝ても構わない筈だった。 けれども幸村は其処から動く気にはなれず、じっと空を見上げたままで動きを止めていた。 自身の世界が星だけに埋め尽くされているのが、なんだか無性に面白かったのだ。 そんな幸村を傍らで見つめていた佐助は、やっぱりこうなるか、と小さく呟いた。 空を仰ぎ見る幸村にその呟きが届くことはなく、もしかしたら佐助が其処にいる事さえ忘れているのかも知れない。 ただ一心に空を、星を見つめる瞳が幼くて無邪気で、いつかの風景と重なって見える。 「また星の数、数えるのかい?」 数えても数えても、数え切れない満天の星。 指差し指折り数えて、判らなくなって何度も何度も最初から数えなおし。 それを飽きずに繰り返していた幼子と、それを見つめていた昔の自分。 「……そうだな」 一つ、二つ。 三つ、四つ。 五つ、六つと数えてみても。 一つ、二つ。 三つ、四つ。 五つ、六つと繰り返し。 指差し指折り数えた日々は、今でもまだ此処に残っている。 「お前と一緒に数えるのなら、今度は数え終わるかな」 一つ、二つ。 三つ、四つ。 五つ、六つと唄い続けよう。 終わらない星の数え唄。 タイトルだけ先に考えた話です。 幼少期でなんか書きたかったのです。 今までの幼少期っつーとなんとなくシリアスめが多かったので、今回はほのぼので。 昌幸パパ、めるへんちっくな人になってしまった……(滝汗) 幼少期の話、通してなんか書きたいかも。 |