―――――抱いた疑惑をそのまま流してられるほど、 俺もお前も聞き分け良くはねぇだろう? 火薬の匂い。 焼ける匂い。 血の匂い。 骸の匂い。 気付けば染み込んで消えなくなったそれらに、いつしか嫌悪も忘れていた。 喪ったものは数知れなくて、だから余計にそれらに対しての感慨もいつしか薄れていくようになった。 それは消えた者達に対して酷い行為かも知れないが、事実そんな風になってしまったのだから仕方がない。 そもそも、一般的に言うまともな神経をしていては生きていけないのだから。 焼け焦げた足元に、今度は雨が落ちて染み込んで行くけれど、其処に次の命が咲くにはまだ時間がかかるだろう。 五年か、十年か、それとももっと先か――――それまでは判らないが、いつかはきっとこの焼け焦げた大地も見えなくなるのだ。 人が人と奪い合い、守る為と大義名分を振り翳して殺しあった軌跡さえも、いつか消える自分達と同じように。 そう。 いつか消えてなくなるのだ、この乱世の時代も。 「皮肉なもんだろ? なぁ、真田幸村よ」 杯を片手に月を見上げながら言えば、珍しく静かな傍らの男がこちらに目を遣ったのが気配で判った。 政宗の手元の酒は奥州でも上等の地酒であったが、幸村は此処に来てから一口も口をつけていない。 それは姿こそ見えぬものの、何処ぞで主の警護を続ける忍の存在があるからだろう。 同盟を組んだ時に誓いの杯と称してかなりの量を飲ませてから、あの煩い忍は未だ忘れていないらしかった。 “紅蓮の若武者”と世に名高い真田幸村が酒に弱いなど、誰が思うだろう。 しかもそれによる禁酒を己が忠義を誓う主ではなく、部下である忍から命じられている等と。 酒の消費は専ら政宗のもので、幸村は団子と茶を消費しているばかりだ。 お陰でそれなりに強い地酒のお陰で良い具合に酔いが回っている政宗に対し、幸村は至って素面だ。 少しだけそれが癪に障ったりするのだが、別段文句をつける気はないので、それについては閉口する。 そしてその酒の回り始めた頭で思ったことを、政宗はぽつりと呟いたのだ。 「……言葉の意味が解かり兼ねます、政宗殿」 ただ酒を――幸村は団子と茶を――飲んで月を見上げていた二人の間には、半刻程会話らしい会話はなかった。 それを政宗が唐突な形で打ち破ったものだから、幸村は眉根を寄せて問い返す。 政宗はくっと喉で笑うと、徳利から杯一杯に酒を流し込むと、一気に胃へと送り込んだ。 「そうか? 判り易いと思うけどな」 「…政宗殿の頭だけで理解されても、私には判りませぬ」 「変な話だな。戦の時は、俺の考えが判んのはお前だけだってのに」 「別にそんなつもりは御座らん」 にぃ、と人を食うような笑みを浮かべた政宗に、幸村は気分を害した、という顔でそっぽを向く。 「つれねぇな。俺らで最強タッグだろうが」 「………意味が判るように言って頂きたい」 政宗が使う異国語に、幸村は未だに慣れない。 こういう所も戦時と同じだと、政宗は思う。 同盟を組んでから何度か戦線を共にしたが、政宗はこれ以上のパートナーはいないと思っている。 背中を預けるのなら小十郎が最も信頼が置けるが、彼と目の前の少年とでは政宗の中で位置が違う。 進む為に後ろを振り向かずにいるのなら、小十郎がいい。 だが何も考えずに突き進むのなら、この暑苦しい子供のような男がいい。 その先に何があるのか、その先に何が待っているのか、考えるような暇もない速さで進むのなら、隣に在るのはこの男がいい。 研ぎ澄まされた刃を最大限に振り翳して目の前を塞ぐものを蹴散らしていくのなら、この男が一番いい。 事実、同じ戦場に立って見る度に、ああこいつは己と同質なのだと感じさせられる。 天下安泰という名文を掲げながら、敬愛する主の為と言いながら、結局のところ根元は生粋の戦馬鹿。 刃を交えている時が何よりも己の生きるべき道と疑いもしない。 だから、突き進む時、同じ速さで同じ熱を持って突き進む男の隣は酷く居心地がいい。 けれど、一度戦を離れれば此れだ。 世間知らずで初心で子供の、まるでまだ小さな子供の名残を残して。 だから、誘うのだ。 「じゃあ、判り易く言ってやるよ」 徳利の酒をまたなみなみと杯に注ぎ、片手に持ってもう片方の手は頬杖。 体ごと幸村の方へと向ければ、幸村は目線のみをこちらに寄越す。 この月見が終わった後は明日の軍議に備えて眠るだけだったから、どちらも夜着しか着ていないラフな格好だった。 政宗は闇に溶け込む燕尾色、逆に幸村は闇に映える鮮やかな緋色のもの。 その緋色の隙間に覗く、武士としては少々薄い胸板に政宗の視線が注がれる。 普段あれだけ破廉恥だのなんだと喚く割に、自分の事にはてんで疎いのだ、この紅蓮の鬼は。 襲ってやろうか、この鈍い男が思うのとは別の意味で。 過ぎった不埒な考えに身を任せるのも悪くはないだろう。 酒が回っているからそう思うのかも知れないが、意外と素面でも同じ事を思うかもしれない。 動機が不純か、単純な揶揄から来るものかは判らなかったが。 ただ動機がそれのどちらであるにせよ、押し倒した瞬間に自分の心の臓(若しくは頭)目掛けて苦無が飛んでくるのは間違いない。 杯の酒を舌で味わう程度に飲んで、床に置く。 「小十郎から言われたが、どうも俺とお前は似てるらしいな」 「……政宗殿程、無茶苦茶な性分では御座らんよ」 「そりゃお前に自覚がねぇだけさ。お前の忍に言わせて見ろよ、きっと大差ねえって言うぜ」 あの御付の忍は、実によく幸村の性質を理解している。 それこそ鈍い目の前の少年自身よりも。 それを口に出してはっきりと言う事は出来ないが、恐らく十人いれば九人は同じ事を思うだろうと政宗は勝手に考える。 「それで、だな。俺とお前は戦が好きだ。強い野郎と命の取り合いやってんのがな」 「私は、お館様ご上洛の為に」 「綺麗ごと並べんのは止めな。あんたは確かに莫迦で暑苦しいが、役に立つなら何も戦に立つだけが手段じゃねえのは判るだろ」 それでも、目の前の紅蓮の若武者は“鬼”の道を選んだ。 最も判り易い形で、最も苛烈な道を、この男は己の意思で選んだ。 幼い頃から傍仕えをしていたという忍は、この男が道を選んだことを正しいと思うか、誤りと思うか。 何れであっても進言する事はないだろう、気質や本質と言う者を考えれば自然と選ぶ道であったとも言えるから。 武士の家に生まれたと言えど育む環境は暖かいものであった筈だから、 この男が選んだ道は後天的な結果ではなく、最初からこの男が己の意思で選び取って掴まえていたものだったのだ、きっと。 それしか自分に出来ることがない、と疑いもなく選んだ理由。 それは、きっと。 「あんたが、やりあいたかったからだろう?」 命の遣り取り。 いつ消えるとも知れぬ生命の灯。 それが安寧な道の中で揺らぐこともなく消えるのを良しとしなかった。 どうせなら激しい風に叩かれて、全てを焼き尽くすほどに燃え上がって火種の一つも灰も残さずに消えるのがいい。 凪の世界だけで生きて行く事を、この男は良しとしなかった。 初めて見付けた時、この子供のような紅蓮の若武者がどんな瞳をしていたのか。 政宗は今でも鮮やかに思い出すことが出来る。 「餓えてるんだろ」 同じ速さで、同じ熱を持って、きっとそれらが二つ交じり合うのは禁忌だ。 平行線でいられるからこそ、その二つは二つ別々に存在していられる。 決して交わることのない平行線にいるからこそ。 だけれど、自分達は交わってしまった。 敵同士と言う平行線は他者の意思によって曲げられ、同盟と言う形で線は重なった。 餓えた動物がすることなんて決まっている。 己の生存の為に、其処に在るものが同胞と言えど貪り己は生き続ける。 食った同胞を一生腹の中に抱えて。 「――――――だってぇのに、俺達は天下泰平の為に闘ってやがる」 途端にトーンを落とした政宗の言葉に、幸村がびくりと肩を揺らした。 少し大きめの瞳に映り込んだ自分を、政宗は見付けた。 其処に映る自分の独眼は瞳孔が開き、まるで常軌を逸した荒ぶる竜のようにも見える。 それを前にした虎の子供は、このままじっとしていれば自分がどうなるのか本能で悟っていた。 けれどもそれに対しての対処法が未だ見つからず、故に迂闊に動くべきではないとじっと様子を伺っている。 ―――――……それが甘いのだと、きっとこの虎の子供が知った時には、既に手遅れだ。 「なぁ、矛盾してると思わねえか? 俺達ゃ、自分で自分の首を絞めてんだ。俺らの嫌いな“退屈”を作ろうとしてんだ」 天下の安寧を望まぬ訳ではない、人々が笑って暮らせる世をを願わない訳ではない。 だが目指すものと己が求めているものは、決して同じものにはならなかった。 「天下泰平ともなれば、俺達戦人は用済みだ。俺らみてぇな戦しか脳がねえろくでなしの居場所はなくなる」 平和な世なら戦はない、ならば刀も必要ない。 争いがないのならば、その火種と切っ掛けと煽り風になる武具は必要ない。 それを扱える者も、必要ない。 血にまみれて切り開いてきた道は過去という名の墓に葬られ、未来に語り継がれるのはごく一部のみ。 其処にさえ語られぬ数え切れない命が咲いて散っていった事さえ、いつか時代に埋もれて消えていく。 「民が笑って暮らせる代わりに、俺達の居場所はなくなるんだ」 「……人々が笑える世を、政宗殿は忌むと?」 「そうとは言ってねぇよ。いや、お前にそう聞こえるのならそうなのかもな」 戦など知らない方がいい、そう思う気持ちがない訳ではない。 この血生臭い奪い奪われることを繰り返す時代は、いつか終わらせなければならない。 けれど、反面。 燻る己の内部を、誰にも悟られてはいけない。 そのいつか来る穏やかな時代に、己が取り残されているだろう事を。 「穏やかな時代が嫌いってんじゃない。このまま世が荒れてりゃいいなんて思ってる訳でもない」 「ならば」 「だけどな」 ――――その時、幸村が何を言おうとしたのか、政宗は知らないし、知りたくもないと思った。 「この時代から切り離されて生きていけるほど、俺もお前も聞分け良くはねぇんだよ」 床に置いていた杯の酒を飲み干せば、それが最後の一飲みとなった。 幸村はいつの間にか団子を食べる手を止め、湯飲みの中身も空となっている。 幸村が団子を食べるのを止めたのがどれ程前になるのか、政宗には判らない。 冴え冴えとした独眼に移りこむのは、己と似て非なる緋色を持つ紅蓮の若武者のみ。 人一人分も開いていなかった向こう側にいる存在に手を伸ばせば、容易く手が届く。 一瞬身構えるのが判ったが、逃げようとしなかったのは武士としての意地とプライドの所為だろうか。 だからそういう事をしているから、いつかこの竜が食ってやろうという気になるのだと言うのに。 「幸村、お前どうしたい?」 「は?」 「今のこの世が終わったら、次はお前はどうしたい?」 この手に刃を握る意義が失われる日がいつか来る。 その時もしもまだ己が生を赦されていたら、次にこの手は何を握るのか。 問いかける政宗の独眼を受け止めながら、幸村は決まっている、という顔で。 「私は、お館様にお仕えする」 「そんでどうすんだ?」 「それ以外に私が望む事はない」 「……お傍にお仕えしてるだけで幸せ、って事か」 「無論」 政宗を見返す瞳の意思は、強い。 理屈で覆せるものではない確固としたものが其処には存在していた。 月明かりさえ反射して雅に光るその瞳と意志は、何処までも澄んで透明だ。 奥底まで覗き込んでみても、きっと其処に不純物が見つかることはないだろう。 でも、だからこそ。 「………ご立派な忠義だな、お前のは」 例えばそれが、何も知らない子供故の想いであるならどうだろう。 外を知らぬ故に、何も知らない故に他を望まないのであれば。 だが、どんなに可愛い子供に見えても虎は虎。 爪も伸び切らない、牙の鋭さも足りない仔猫に見えても、抱く獰猛さは虎と同質。 庇護下にいる間だけだ、大人しいのは。 外の世界を知ったなら、他の選択肢を知ったなら、その時はきっと。 「……政宗殿、酒臭いでござる」 「そりゃ飲んでるからな」 顔を近づければ、当たり前に政宗の吐息には酒の匂いが混じり、幸村は顔を顰めた。 不愉快げな幸村の言葉にくつくつと笑うと、政宗は空になった徳利を一度振り中身がないのを確認して、立ち上がる。 「酔っ払いの戯言とでも思ってりゃ良い」 「左様で」 こちらとしてもそれ以外には思っていない、とでも言うような短調な幸村の台詞。 事実此処まで酒臭さを漂わせて言えば当たり前か、と口元を手で覆って自分で酒気を再確認しつつ思う。 然程の量を飲んだつもりはなかったのだが。 月は南天を通り過ぎたようで、これ以上深酒をすれば明日に支障が出るだろう。 だから政宗が立ち上がったのを見ても、きっと眠るのだろうと幸村は思って何も言わなかった。 だがそれに反して政宗が足を向けたのは目の前の少し大きな中庭であった。 「眠らぬので?」 「ああ、目が冴えてる」 言いながら、問いかけた幸村の方も眠気など感じていないのだと政宗には判った。 本人は不思議なことに自覚がないらしいが、この幸村と言う男は実に判り易いのだ。 はっきりと開かれた瞳は睡魔に揺れている気配はなく、寧ろ神経が研ぎ澄まされているように見える。 その原因は酔いの戯言と称して連ねた政宗の言葉によるものもあるのかも知れない。 だとするならば、少なくとも僅かであれど政宗の戯言が幸村の琴線に触れたことになる。 興味がないのならば今頃にはとうに欠伸を漏らしている時分だ。 「月が眩しすぎるといけねぇな。朝の明るさと大差ない」 草鞋を履いてとんっと一度軽く地面を叩く。 足を着いた地面には夜に見受けられるのかと思うほどにくっきりとした影が落ちていた。 夜の空というものはもう少し暗いものではないのか、と月を見上げて胸中でつぶやく。 「私は、暗闇よりもこの方が好きです」 「お前の忍にしてみりゃ、明るすぎる夜は嫌う所じゃねえのか?」 「月見をするなら問題ありませぬ」 「俺が言ってるのは其処じゃねえんだがな。 結局食い気か」 ぐっと関節を伸ばして背を少し逸らすと、背中にくすくすと笑う声が聞こえた。 振り返って見てみれば、幸村はあどけない顔で楽しそうに笑っている。 ひょっとしてさっきの酒気だけで酔いが伝染ったんじゃないだろうな、とあり得ない事を考えた。 戦となれば鬼と呼ばれる男は、それ以外の場になると酷く無邪気で幼かった。 暑苦しいほど真っ直ぐで背中に武士を背負っている様だというのに、時折すとんとそれが抜け落ちる事がある。 何処かでギャップがあるのがいい、というのを聞いたのを思い出して苦笑する。 こういうギャップはありなのだろうか、と。 可愛い顔して獰猛を秘め、かと思ったら本当に無邪気。 人はそれがどちらが本当なのか見極めようと愚かな事をして、いずれどちらも本質であると気付くのだ。 幼い若者。 紅蓮の鬼。 その相反するものを抱いて壊れず己の一部として無事でいられるのは、きっとこの無邪気な部分が大きく占めているからだ。 「なんだ、酔ったか」 「飲んでいたのは政宗殿だけではありませんか」 「急に笑い出すからそう思ったんだよ。匂いだけで酔えるもんかね」 「酔ってないと言うのに」 「どうだか」 鼻で笑う政宗に、幸村は子供のようにむーっと剥れてみせる。 「酔っておるのは政宗殿だけです!」 「あーあー、判った判った」 前髪を掻き揚げながらどうでもいいというような仕草の政宗に、幸村が立ち上がる。 草履を引っ掛けるように履いてずかずかと歩み寄ると、予告もなく拳を振り上げて政宗の脳天目掛けて落とした。 しかし、ひょいっと政宗が半歩横に避けた事でそれは空を切るだけに終わる。 判り易い行動だと言うように口端を上げると、明るすぎる月のお陰でしっかりと見つかった。 二発目が繰り出されるが、これもまた判り易い軌道を描いての一発に政宗はひらりと避ける。 本気で殴るような気配もないから、きっとこれは虎の子がじゃれついているようなものなのだ。 けれど、やはり尽くかわされると腹が立ってくるらしい。 「政宗殿!!」 「おっと」 一発ぐらい殴らせろ、と癇癪を起こした子供のような顔。 だが政宗は数歩下がってそれを避けるばかりで、反撃もしなければ受け止めることもしない。 軽くあしらわれているのが感じられるから、益々幸村は気に入らなくて拳を出すのだ。 そう、今はそれだけでいい。 無邪気な虎の子供は、まだ外を知らないから。 今は戦時ではないのだから、じゃれあい程度で構わない。 だけれど、戦場に立てばその爪は研ぎ澄まされて目の前を塞ぐものを容赦なく切り捨てていくだろう。 己の中に燻る餓えに抗う術など結局はなくて、埋める為には刃を振り翳して突き進まなくてはならない。 飼い慣らされたように見えて、やはり動物の本能は決して失われる事はない。 表に出す必要がないから押さえ込まれているだけで、ふとした瞬間に枷が外れてしまえば後は本能に従うのみ。 誤魔化し切ることなんて結局は出来はしないのだ。 今はそれが当たり前で、いつかそれが打ち砕かれる日が来るのだと信じているから虎の子供は揺らがない。 自分の立っている場所がいつか崩れる場所だと、その下にあるのが生温さに覆われた“安寧”という名の地獄だと気付かない。 ―――――その場所が何よりも自分にとって必要不可欠なスリルだと、知らない。 だから、少しずつ。 少しずつ、教えてやろう。 そうして少しずつ、染めていこう。 そして、俺と同じ場所に堕ちればいい。 リハビリで書きました…… 久々更新なのに、なんか政宗が危ない人になってしまいました(滝汗) 幸村、一緒にいたらアカンよー!! でもたまにはいいな、ダーク系も。 タイトルは[願う未来は安らかな世界]、[臨んでいるのは今の日常]という意味で(意味書いても判り難い) |