ぱっと見た時の印象よりは ……触れると、意外と柔らけぇんだ 「………政宗殿?」 何を、と問うてくる言葉を丸切り無視した形になりながら、政宗は幸村の長い後ろ髪に触れた。 幸村の髪は、前と上部は短くざんぎりになっているのに、後ろだけが動物の尾のように長い。 項よりも少し高い位置で括られているのが常で、動き回るとそれこそ尻尾のように跳ね回る。 少し頭が揺れるだけでそれは忙しなく動き、まるでこっちへおいでと誘うよう。 勿論、それを幸村本人に言った事はない。 言えばこの可愛い恋人は拗ねた顔をしてしまうだろうし、そうすると二、三日はまともな会話を赦してくれない。 攻め手であるのにそれ一つに臆病になっている自分を情けないと思うことは数あれど、 それでも絶対に嫌われたくないものだから仕方がないのだ。 「政宗殿、何を……政宗殿?」 政宗は今、幸村と向かい合う形で座っていた。 自分の胸に幸村の頭を押し付けて、抱き込んだままで。 幸村は時折息苦しそうにもぞもぞと身動ぎするものの、其処から抜け出そうとはしなかった。 だから政宗もそれに甘えて幸村を腕の中に閉じ込めたままにして、そのまま何をするでもなく、半刻を過ごしていた。 一人でいたら、若しくは傍にいるのが幸村でなければただ退屈を持て余すだけであった半刻と言う時間は、 何故かいつも幸村が傍にいるというだけで悠久の流れも心地良くなるのだから至極不思議なものだ。 またそうやって幸村が赦すから、政宗の甘えも止まらない。 腕の中に幸村を閉じ込めたまま、政宗はふるふると震えていた幸村の後ろ髪を捕まえた。 「政宗殿…?」 繰り返し名を呼んでくるのに応える事はしない。 聞こえているのだが、今はただ沈黙を守った。 喋ればこの心地良い時間が終わるのだと、頭の隅で思っていたからだと思う。 けれどずっと返事もなし反応もせずでは幸村が拗ねてしまうから、その頃になったら返事をしようと決めた。 それはでは、このまま。 幸村の髪は、意外と柔らかい。 正面から見るだけでは、短い所為か、少し硬い髪質をしているように見える。 けれど触れてみれば、意外とこれがふわふわとした感触をしている。 短い上部は癖になっているのか所々ぴんぴんと跳ねていて、それが余計に幸村の幼さを助長させて見せる。 以前に何度かその癖を直してみようと手櫛を梳いてみたけれど、努力虚しく、今もこの髪はぴんぴんと跳ねている。 そんな中で長く伸ばした尻尾のような後ろ髪は、割と真っ直ぐに流れていた。 やっぱりよく見ると、所々跳ねているところを見つけてしまうのだけど。 長い後ろ髪を纏めて結っている髪紐は、なんとも味気ないものだ。 糸にも近い細いもので、それは幼い頃から使っているものだと何時だったか聞いた気がする。 もう少し見目のいいものもあるだろうと思ったのだが、こういう所が幸村らしい。 自分の見た目というものに、まったく無頓着であるのだ、この男は。 対して政宗はと言えば、その当り大きく幸村と違うだろうと自分でも思う。 それなりに見た目がいい事は自覚していたし――――右目がこうでなければ、だけど。 まぁ、どれも。 戦に立つ者には、不要なものであったりするのだけれど。 (……それでも) 髪の毛の先へと指を滑らせ、政宗は一房を掬い上げた。 指の隙間を開いてみれば、それはさらさらと流れ落ちていく。 (それでも) 戦場に行けば、この鮮やかで綺麗な髪も、泥に埃に、地に汚れるのだろう。 けれどこの髪は、戦場には戦場に相応しい姿に装いを替えるだけに過ぎない。 政宗も何度となくそれを見ているし、それに魅せられたのも真実であった。 この、緩やかな刻の流れの中では、ただ静かに、柔らかに。 反して激しく轟く戦場の最中では雄々しい鬣の如く。 どちらもそれは真の姿で、其処に在る幸村の全てだと政宗は知っている。 相反するものを、この魂は抱いていた。 日常ではまるで猫の子供のような虎の子供の爪は、決して目の前の存在を傷付ける事はしない。 噛み付いたとてそれは甘噛みで、ほんの少しの反抗心から僅かな痛みは生むけれど、それ以上はなかった。 戦場以外でその爪は無用だと知っているから。 だから、政宗はそれに甘える。 それに甘えて、こうやって触れる。 此処は戦場ではなく、傷つける必要など一つもない。 だから虎の子供は自分が傷付けられる事がなければ、爪を立てられる事はない。 だから。 それに甘えて、触れて。 其処にある温もりが、この戦国の世で甘さと言う弱さを生むものだと判っていても。 (……俺は、お前が好きだから) この柔らかい髪がもたらしてくれる、柔らかい時間が、好きで。 此れがあるから帰って来ようと思うようになったのは、一体何時からだっただろう。 戦場と違う色を見せてくれるこの髪に触れたくなったのは、一体いつからだっただろう。 捕まえたこの柔らかな尻尾を、離したくないと思うようになったのは。 いつまでも髪に触れていても引っ掻かれなくなったのは、何時頃からだったか。 最初は引っ張ったりして揶揄していたのもあって、すぐに引っ掻いてきたのに。 やはり繰り返されると、人も動物もその物事に対する危機感と言うものは徐々に緩んでいくものなのだろうか。 今こうやって緩やかな刻を過ごす事に、なんの疑問も抱かないように。 (……けど、壊したくねぇんだ) この、緩やかで暖かい、刻を。 このまま一勝続けばいいとさえ思う。 こうしている時だけは、本当に戦も国も天下もどうでも良かった。 今この時だけは。 そう思うと、余計にこの時間が続いて欲しいと思う。 ただ互いの存在だけを感じる事が出来る、この時間が。 ――――――なのに、やっぱりいつか時間は終わりになるもので。 「政宗殿、苦しいです……」 腕の中に閉じ込めていた存在がそう言って、本当に苦しそうに唸り始めたものだから。 政宗は見られていないからこそ漏らす寂しげな笑みを浮かべて、そっと掬い上げていた髪から手を離す。 それと同時に、政宗は幸村の後頭部を押さえるように添えていた手も解放した。 ぷは、と息苦しさからの解放に声を上げると、幸村はぷるぷると頭を振った。 そうすると長い後ろ髪がそれについて揺れて、また小動物を思わせる。 「Sorry……」 「いえ…別に、構わぬといえば構わぬのですが…」 幸村は、スキンシップが好きだ。 抱き締められているのも好き。 だけれどそれをよく子供扱いの種にされるから、指摘されると顔を真っ赤にして怒る。 そういう所も全部含めて、政宗は幸村が好きだった。 「ただ、あの…」 「あん?」 「……先刻、片倉殿の声が聞こえたような気が……」 「………小十郎だぁ?」 あの野郎。 それを言うのだけは、なんとか飲み込む事が出来た。 政宗が思っていたよりも早く、この緩やかな刻は終わりを迎えていたらしい。 それに気付かない程に、政宗はこの緩やかな刻に身を沈めていたようだ。 最近、そんな時間が増えた。 他者から見れば心此処に在らずという状態で、一国を統治するものとして当然ある執務すら侭ならない。 これがあまりに続いたら、小十郎だけでなく、きっと成実からも文句の嵐になるのだろう。 …そういう事を考えたくなかったから、あの悠久の中に身を沈めていたのに。 そういう煩わしいもの全部なくして目の前の存在の事だけ考えていたかったから、他は全部頭から追い出していたのに。 その時間を与えてくれる存在から急かされたのでは、もうどうにも抗えない。 「すみませぬ…その、私が来てしまったばかりに……」 「No…お前の所為じゃねえ、俺の怠慢だ」 「そのような。政宗殿は、いつも民の事を考えておられるではありませんか」 「……まぁな。じゃねえと、俺が欲しいもんも手に入らねぇ」 「民が笑って暮らせる世―――で、御座いますな」 「………ああ」 返答に少し間があったことを、幸村は追求してこなかった。 ……違うと。 言ってはいけない。 思ってはいけない。 民が笑って暮らせる世。 望んでいないといったら、それは真っ赤な嘘だ。 確かにそれを望んでいるし、それを掴む為に自分は天へ昇ろうとしている。 けれど、やはりこんな時にそれを言われてしまうと、ふと気を抜けば否定の言葉が口を突いて出そうだった。 それを言えばきっと幸村に嫌われるだろうから言わないし、自分でも自ら目指す道を踏み外すつもりはないけど。 でも、それより望んでいるものがある。 「……幸村ぁ」 名を呼べば、その時出た自分の声が思う以上に甘ったれたものだった事に少しだけ呆れた。 間延びした声を出せばそんな風に聞こえて当たり前だ。 その声は一国一城の主が出すものとは思えない。 けれど、幸村はそれを咎めはしなかった。 「はい」 笑みさえ浮かべて、応える。 先刻、政宗は幸村の呼ぶ声に答えなかった。 少しぐらいその意趣返しがあっても良さそうなものなのに、幸村はいつもそれをしない。 怒りが長続きしない性質であるからなのか、拗ねた顔は直ぐに見せてくれるくせに。 政宗から呼ぶと、幸村はいつも笑って応える。 「……Maria」 ぼんやりとそれを見上げていたら、そんな言葉が突いて出た。 しっかり聞き届けた幸村は、きょとんとした表情で政宗を見つめ返す。 「…政宗殿?」 最初の頃は聞きなれない異国語にいちいち過剰な反応を見せてくれた。 けれども流石にもう慣れてきたようで、政宗が日常的に使う幾つかの単語はもう覚えてくれた。 自ら使うことはないけれど、政宗の言う事を説明なしでも理解してくれるようになった。 けれど、それでもまだ耳に馴染まない異国語には意味が判らないという表情をして返す。 今の単語も、それと同じ。 「…政宗殿、今のは?」 「んー……や…なんでもねぇ」 「なんでもって……あの、政宗殿…」 さっきは幸村の顔を、自分の胸に押し付けていた。 今度は逆の立場になって、政宗の方が幸村の胸に頭を押し付ける。 ぽすん、と軽い音を立てて倒れこんで来た政宗に、幸村が少し慌てた空気を纏う。 気分を悪くしたのですか、と問うてくるのが幼子のようでなんだか可笑しかった。 くつくつと喉で笑うと、それが僅かな振動になって伝わったらしい。 遊ばないで下され、と言われてしまった。 左目の視界の端に、ゆらゆら揺れる尻尾があった。 政宗は幸村の胸に頭を押し付けたままで、幸村の後ろへと手を伸ばす。 右腕で幸村の背中を抱き込んで、左手でまたゆらゆら揺れる尻尾を捕まえる。 柔らかい感触が指の先から伝わった。 「……柔らけぇ……」 「は?」 「お前、やっぱ柔らけぇな」 「…政宗殿…?」 指先から伝わる感触に意識を奪われている事を自覚した。 他の事は何も頭の中に残っていない。 今日此れからの執務も、後で確実に振ってくる小十郎の小言も、何処かで殺意撒き散らしてる忍のことも、何も。 今度は追い出すどころではなくて霞になって消えて行っている様な気がした。 今日は、もう駄目だ。 何もしたくない。 このままがいい。 「……政宗殿、は……」 幸村が少し戸惑いがちに口を開いて、一度短く嘆息した。 それからぽんぽん、と頭を撫でる手があって、政宗はそれを感じながら目を閉じた。 「政宗殿は、時々、幼い童子のようでござるな」 お前に言われたくないぞ。 それも、どうにか飲み込んだ。 政宗の背に幸村の腕が回されて、政宗は、抱き締めているのに、抱き締められているような錯覚を覚えた。 先刻去ってしまったとばかり思っていた緩やかな時間が、またやって来た。 やっぱり今日は何もしたくない、このまま緩やかな刻に身を浸していたい。 小言は後で聞くから今日は赦せ、とこの場にいない傍仕えの者達に胸中だけで呟いた。 政宗は、ずるずると頭を下へ下へと下ろす。 そのまま上体も倒れていくから、幸村は自分まで後ろに向かって落ちそうになって、慌てて手を突いて上体を支えた。 政宗はそんな幸村に構わずに状態を擡げ、正座した幸村の膝上に頭を落とす。 「そりゃ、あれだ…お前が…」 「はい?」 「……うん……」 「……政宗殿?」 言葉を続ける事を放棄して、政宗は途中で口を噤んだ。 先を促すように幸村が名前を呼んだけれど、政宗はそれ以上言うのは止めた。 だって本当に子供のようじゃないか。 (……俺の、Maria) 俺の。 俺だけの。 今この時だけは、間違いなく、俺だけの。 普段は結構堅物で。 ぱっと見、他の事なんか見えてなさそうなぐらいで。 だけどその懐は、暖かくて、柔らかくて。 それを知るのは、俺だけで。 それを表すみたいに、この髪は柔らかくて。 そんなお前は、俺だけのMariaだから。 お前の前だけ、俺は子供になるんだよ。 面倒だから今日は寝る 片倉殿が呼んでおられましたよ どうせいつもの小言だよ あ、ほら……政宗殿、起きてください やだ、寝る 政宗殿 寝る… 政宗殿… … ……… おやすみなさい、政宗殿 最初は“髪”でなんか書けないかなーと思っただけの話でした… 急に書きたくなった甘えっこ伊達… 筆頭だって誰かに甘えたいときもあるよ(多分) 幸村は一見“武士”を背中にしょってるような子で、いまいち堅物そうなんだけど、 実際はそれほどでもないんだよ、って感じで。 色々一直線すぎて暴走するだけで。 私、幸村に夢見てる? 雲無心にして岫を出ず (くもむしんにしてしゅうをいず) 「岫」は山の洞穴。自然に従い、何物にも束縛されず、悠々と心静かに生活すること。 |