胡蝶の夢


















時は、僕を待ってはくれない





それでも、僕には夢がある















その最中に、君はいる










































受け止めた先からびりびりとした衝撃が半兵衛の腕に伝わった。
すぐ眼前には鮮やかな紅が翻り、真っ直ぐな瞳が半兵衛の瞳を射抜かんとする。

なんと、鮮やか。
遠目でなく間近で見た初めてのその瞳は、離れたままで見るよりもずっと澄んでいる。
元服を済ませた歳である筈なのに大き目の瞳はまるで鏡のようで、半兵衛の顔をそのまま映し出していた。
同じように半兵衛の己の瞳にもこの姿が反射しているのかと思うと、俄かに喜びを覚える自分がいる。


切っ先をぶつけ合った剣と槍が金属音を立て、狭間には火花さえ散っている。
けれどそれらは半兵衛にとってなんの問題にもならず、幸村にとってはなんの意味も持たぬのだろう。





「話は最後まで聞くものだよ、幸村君」
「愚問と言っている! 貴様の言う事など、聞くつもりは毛頭ない!」
「ああ、確かに愚問であったね。何も判らない君にしてみれば」
「貴様!!」






力任せに押してきた槍を弾けば、幸村もすぐ後退する。
一間程の距離を開けると幸村は構えを正した。






「君にも判るように教えてあげるよ。何をするのが、最善の策なのか」






絶え間なく続く周囲の打ち合いの声など、まるで二人には聞こえていない。

幸村は神経の全てを尖らせ、その矛先を全て余す事無く半兵衛に向けている。
同じく半兵衛も己の感覚全てが幸村のみに向けられている事を自覚し、己らしくもないと小さく笑みを零した。
だが後ろからの遠矢でも向ければ、その者に自分は一切の容赦をせず消し去るだろうとも自覚する。


今は、目の前の此の存在だけでいい。
鮮やかな紅を見つめながら、半兵衛は思う。







「このままでは、この国は滅ぶ。いずれは他国に食い潰される。ただただ、目の前の敵を屠る事にのみ神経を尖らせたままではね。
僕ら―――僕と豊臣秀吉はそれを憂い、いずれは失われるであろうこの国の未来を想っている。
秀吉は国の新しい未来を作り、僕はその未来を目指すために最強の軍を作るのが目的だ」







判るかな? と子供に言い聞かせるように言って見れば、どうやら癪に障ったらしい。
地を蹴った虎の子供は真一文字に槍を薙ぎ、半兵衛は剣の腹でそれを受け止めた。
やはり振動が来る、見た目は半兵衛と同様に細く、背はそれよりも小さかったが、思いのほか力はあるらしい。
と、言っても、四国の長曾我部元親や奥州の伊達政宗よりは軽い一撃であったが。

睨みつけてくる瞳は冷静なようで、けれども火傷をしそうな程に熱い。
目の前の存在を討ち払う事に躊躇いはない、けれどもその奥底にあるのは何よりも滾る感情だった。


成る程、どうやら非情にはなれないらしい。
若さゆえの甘さを垣間見たようで、半兵衛はそう思った。

敵に対しては何よりも爪を立てるけれど、一度懐に入れた者を追い出すことは難しいようだ。
なら尚更、この手に捕まえさせてもらいたいものだ。






「話は終わっていないよ、幸村君」
「黙れ! 貴様の能書きなど聞く耳持たん!」
「能書きと来たか」






呆れたような、感心したような、半々の表情で小さな笑いが漏れてしまった。

馬鹿にされたと思ったのだろう。
幸村は一本の槍で半兵衛の剣を押したまま、もう一本を下から上へ向かって振り上げた。
半兵衛は押す槍を剣先を逸らす事で流し、振り上げられた槍は半身になる事でかわした。






「やれやれ…奥州の伊達の軍勢といい、どうも若い子は先が見えていないようだね」






他者からすれば半兵衛の方が老成しているように見えるのだろうが、半兵衛にはそんな事は関係ない。
目の前の虎の子供をなんと言って躾けてやろうかと、巡る思案はそればかりだった。





幸村は槍の切っ先を地面に引っ掛け、そのまま砂利を引っ掻きながら槍を勢いよく振り上げた。
ぢゃりぃんと砂利が弾ける音が聞こえた後、ごうっと熱い風が当たり一帯に巻き起こる。
風に煽られた砂埃に僅かに目を伏せてから、半兵衛は再び目の前の虎の子供に目を向けた。

周囲の兵達の声が響き渡る。
雄々しき声は紅備えの兵、慄く声は半兵衛の率いる兵のもの。

まるで力の象徴のように煌々と翻る紅蓮が、其処にはあった。
そう言えば彼は稀に見る発火体質を持っていたのだと、以前に報告で聞いた言葉を思い出した。
その時はあまり信じていなかったのだが、目の前にすれば嘘偽りとは言えぬ。
槍の切っ先から燃え上がった炎は刃を覆い、まだ幼さの残る顔を照らし出す。



炎を克服した動物ほど厄介なものはないのではないだろうか。
元来、動物の身体能力は人間のそれを遥かに上回り、
故に人間は身を守る為に道具を扱い、火や水と言った自然物を抑制する術を身につけた。
夜半に野の獣に食い殺されない様に、近付かせない為に動物が嫌う火を焚くようになった。

けれども、目の前の動物にそれは通用しないのだ。
何れは己が身を焦がし灰に帰すものであると知り、その上で自ら炎を纏う。



炎を抱いた、虎の子供。
その踊る肢体の、なんと鮮やか。








「この真田源二郎幸村の主は、お館様以外にあらず! それを曲げよと言うならば、今此処で切腹した方がまだ良し!」







親から預けられた縄張りを、誰にも侵食させる事など赦さない。
それをするぐらいならば命を絶った方が十分ましだと、虎の子供は言うのだ。






「貴殿の申し入れを聞く気はない!」
「そうか。けれど、だからと言って僕も此処まで来て何もせず帰る訳には行かない」
「ならば、来られよ! この幸村、容易く首を取らせはせぬぞ!!」






半兵衛の言葉をそれ以上待つ事もせず、幸村は地を蹴る。
一瞬一瞬近付く都度、燃える炎が半兵衛の身を焦がすような気がした。



幸村の間合いに入るよりも僅かに早く、半兵衛も地を蹴った。
懐に入られた幸村は一瞬目を見開いたが、止まることなく地面を蹴る。
半兵衛の振った剣は掠る事無く虚無を切り、幸村は半兵衛の頭上を飛び越えていた。
そのまま中空にいるままで幸村は槍を十字に構え、宙返りしながら振り下ろす。

半兵衛は前転してそれを避けると、振り向き様に剣を振った。
実寸では半兵衛の身長の半分もない剣は幾つかの関節に分裂し、細い糸で繋がれた刃が宙にいる幸村を狙った。





「くっ……!!」





避け切れないと踏んだ幸村は左腕を捨て、盾にした。
深く刺さった刃に幸村は呻いた声を上げたが、目の光が衰える事はない。

突き立てられた痛みに構う事無く、幸村は地を蹴った。
半兵衛はすぐさま対応しようと腕を引き刃をその腕から抜き去ったが、僅かに遅い。
寸分の迷いもなく突き出された槍は、半兵衛の肩を貫いた。



これで、相打ち。






「いいね…その目、その意志、その強さ。どれを取っても…!」






半兵衛は、高揚していく自分を自覚した。

此処まで戦に熱くなったのは、何時以来だろうか。
秀吉の隣に身を置いていても、こんなにも己が昂ぶった事はなかったのではないか。
真っ直ぐ射抜いてくる眼を欲しいと思ったことなど、かつて一度もなかった筈だ。








「ぬぅうおぉおぉぅっっ!!!」







まるで虎の雄叫び。
それは、獅子にも劣らぬ。




――――――欲しいと思う理由は、二つあった。

一つは国の未来の為、友である秀吉の為に作り上げる最強の軍の一人として。
これほどまでに雄々しい存在が一人いれば、それだけでどんなにか。
敵とみなした相手に躊躇いもなく立ち向かい、己の命を削らんとし、爪を牙を突き立てる。
野生の動物にも似た強暴さと、背に負うもの全てに誇りを抱く虎の如き意志。
それらがあれば最強の軍は更に上へ上へと目指す事が出来るだろう。

最強の軍を作れば、それを率いる上に立つ存在と言うものも不可欠になる。
最強故に扱いが難しくなるであろうその軍を、この虎の子供はいつか纏め上げる事が出来る気がする。


ならば、手に入れない理由はないのだ。





そして、もう一つの理由は。













「うぅぉぉぉおおおおおおっっっっ!!!!!」






















ただ、この腕に捕らえていたい。
この緋色を、永遠に。
























其処にはっきりとした明確な理由などなく、ただ腕がその身を欲していた。
手にしたその後にどうしようとか考えてはいないし、その時この緋色が何を思うかも半兵衛には関係ない。

ただ、欲しいと思う心がある。




半兵衛に、赦された時間と言うのはあと幾らもない。
ならばその間に欲しいと思ったものは全て手に入れて見せようではないか。
最強の軍も、この国の未来も、すべて。

そう、すべて。



この、全てを焦がして止まない緋色も。







「幸村君……やはり、君を失うには惜しい」
「気遣い無用! 某、いつでも討ち死にする覚悟は出来ている」
「それが惜しいと言うんだよ」







早い手数で打ち込んでくる槍を、半兵衛はその場から動く事無く流す。
幸村はそれに小さく舌打ちを漏らすと、連撃を中断させ、一歩深く半兵衛の懐に踏み込んだ。
小さな身体だというのに、思いの他それによって当てられた身には力が入っており、半兵衛は僅かに蹈鞴を踏む。
それを追って槍が向かってきたが、半兵衛は剣の柄でそれを受け止めた。

直ぐに退こうとした幸村の腕を、剣を持っていない半兵衛の手が掴んだ。
途端の事に瞠目した幸村の瞳は、思ったよりも近くにあった。









「僕は君を殺したくない……そう、死なせたくないんだ。こんな所で」








囁くような声音で言えば、かっと幸村の顔に血が上った。
未熟者だからまだ殺さない、そんな風に聞いて取ったのかもしれない。

これだから子供は、と半兵衛は表情に出さずに胸中のみで呟いた。
誰もそんな事は言っていないのに、どうにも回りくどい言葉では一向に伝わらない。
かと言って言いたいことをそのまま口にしても、きっとこの虎の子供には判らないのだろうけど。



なんと言えば何もかもが全てそのまま伝わるのだろうか。





腕を離せばすぐに幸村は離れて行き、二槍を構えた。
二槍の先に灯っていた炎は鎮火して言っていたが、幸村が槍を振えばそれはまた勢いを増した。


あの炎が消えた時、緋色が全てこの腕の中に手に入る。








「本当に、死なせたくはないんだよ、幸村君」
「戯言を!」








これ以上の問答は無用とばかりに、幸村は跳んだ。

半兵衛は姿勢を低くして構えると、上段に向かって一気に剣を突き上げた。
金属音のなる音がして、鞭のように伸びた剣は幸村へと向かっていく。
相手が思っている以上に伸びるのだ、この関節剣というものは。
届かないと一瞬油断していたのか、幸村の目があと僅かで届くという場所で瞠目した。
しかし直ぐにその表情は引き締められ、幸村は左に持っていた槍を手放した。

からんと槍が地面に落ちる音が聞こえるよりも先に、剣が幸村の脇腹を切り裂く。
痛みに幸村が顔を顰めたが、無様な呻き声が上がる事はなかった。


槍を手放した左手を、幸村は右手に持っていた槍へと添えた。
両手持ちになって力の増した槍は、幸村の体重を浮けて大上段から半兵衛目掛けて振り下ろされる。

しかし、それが半兵衛に届く事は終ぞなかった。



引き戻した関節剣が元の剣の姿に戻るまでを待たず、半兵衛は鞭の要領で剣を薙いだ。
真っ直ぐな軌道を描かずに歪んだ線を描いたその切っ先は、幸村の両腕を切り裂く。
腱までその刃が届いたのか、幸村が中空で姿勢を崩した。

崩した姿勢をそれ以上保つなど出来ず、幸村は槍を落として地面に落ちる。
両腕の前部から吹き出す血はかなりのもので、もう腕にまともな力は入らないだろう。






「勝負は見えた。降伏したまえ」






元の剣の姿に収まった関節剣を持った手を重力に従わせたまま、半兵衛は幸村の数歩前に立ち尽くして言った。

ぐぐ、と幸村の小さな身体が動く。
持ち上げられた頭を見つめていれば、やはり光を失わぬ瞳がこちらを見据えた。






「誰が…降伏、など……!」
「そのままにしていたまえ。そうすれば、君の腕が一生失われる事はないだろう」
「情けなどいらぬ!」
「それ以上動けば、君は一生戦には出られぬ体になるよ」






もう一度腕を切り裂けば、間違いなく幸村の筋肉の腱にまで刃は届くだろう。
両腕が使い物にならなくなってしまえば、この虎の若子も二度と戦には出られない。
戦の中で生きている者が、その戦で何も出来なくなってしまっては意味がない。

最強の軍を作る上で、それはかなりの痛手になるだろうと半兵衛は思った。








―――――けれど、その傍らで。


そうなってしまえばいいと望む自分も、いた。










「さぁ、僕には時間がない。生憎だが、考える暇を与えてやれるような余裕はないんだ……」









そう、何に置いても自分には時間がない。
己の中にいつしか巣食うようになった悪しきものは、今にも全てを食い破ろうとしている。
それを今に留めているのは半兵衛の意志の強さ故だが、それもいつまで持つか。
容易くそんなものに捧げてやる命はないけれど、時間がないのも変わらぬ事実。

その僅かに残された時間の中で見つけたものを、手に入れたいと我武者羅に手を伸ばすのは、滑稽だろうか。
幾つもの策を弄し、罠を張り巡らせ、追い込み、追い詰め、逃げ場などないように取り囲んで。
そうまでして虎の子供を腕の中に捕らえてやろうとする自分は、まるで欲しいものを強請る子供のようだ。




後幾らも残されていない、この時間。
全てを国の未来に、友に捧げるつもりだった。

けれど、こんな所で見つけてしまった。
ただ走り続けようとしていたのに、見つけてしまった。


国の未来へ、友と共に走り続けることを誓ったこの命を、捧げてやる事はきっとないのだろう。
それが己に課した生きる為に必要な枷であり、今までもその為に生き続けてきた。
夢の終わりがいつか来る事を知りながら、その夢を見続ける為に。

その夢の最中に、この緋色はあった。
他の何よりも鮮やかに力強く、前を見て。








「このまま朽ち果てるか」







それも悪くはない。
他の誰にでもなく、半兵衛によってこの緋色は此処で朽ち果てる。

奥州の伊達政宗でもなく、四国の長曾我部でもなく、尾張の織田信長でもなく。
増して、半兵衛の友である豊臣秀吉によるものでもなく。
半兵衛自身の手によって、この緋色は此処で朽ち果てる。


それもいい。
そしてこの緋色が、誰の手にも渡らないのならば。









「さもなくば―――――……」








それもいい。
それもいい、が。

それでは緋色は此処で消えてしまう。
あまりにも勿体無いではないか、それは。
呆気なさ過ぎて。


此処で消してしまうには、余りにもそれは惜しすぎる。



















「今此処から、僕と同じ夢を見るか」






































捧げる命など、ない

君に捧げられるほど、この命は強くはない





ならばそれ以外の全ては君に捧げよう













そして君は、僕の終わりのない夢になる






































半兵衛×幸村! やっちまったー!!
半兵衛の喋りがよく判らんよ…難しいよ、この人……
そんで関節剣の描写も難しい……

途中で佐助に乱入させようかとも思いましたが、結局なしになりました。

幸村、血まみれでボロボロです…
たまには負けで。
って、この手の話、まともに決着付けさせた事ないですが(爆)