たまさかに見し人








山野彩る山桜より


目を離させぬ思川より


都に劣らぬ朱雀より











………踊る紅蓮が綺麗だと思うことがあるなんて、一度だって思ったことはなかったんだ。









































地を蹴る一瞬の間に、少年の空気が明らかに変わったのが判った。









それまでまるで人懐こい子犬のようだった少年の目つきが、途端、奪うことを知る野生動物のように研ぎ澄まされた。
同一人物とは思えない程の豹変振りに少々目を剥いた慶次だったが、それに気を取られている暇などない。

真っ直ぐに突進してきた二本の刃を朱槍で受け止めると、そのまま其処に踏ん張った。
甥と伯父だと言うのに、何処かでやはり繋がっているのか、慶次は利家と同じで力に自信があった。
少年は見た限りでは然程筋肉がなく、どちらかと言えば華奢であるように見え、慶次はそうする事に躊躇わなかった。
だが、朱槍を握った手に一瞬走った痺れは、決して気の所為ではない。



受け止めた二槍を弾き返せば、少年は地を蹴って後方に飛ぶ。
すぐさま慶次はそれを追い駆けた。



上段から叩きつけるように朱槍を振り下ろす。
少年は一本の槍でそれを受け止め、もう一本を持ったままの手を受け止めた槍に添える。
ぎぎ……と覆いかぶさる重みに少年が歯を食いしばる。

突進力はかなりのものだったが、力に置いては慶次の方が勝っているようだ。
だが、だからと言って少年が此処で打ち負ける訳もない。






「ぬんっ!!」






慶次の押す力に負けんと、少年も踏ん張る。
徐々にだが押し返そうとする力に、慶次も益々圧力をかけた。


少年が僅かに身を低く取ると、槍に添えていた手を離し、もう一本の槍を強く握る。
突き出された槍の刃を慶次はかわし、少年の腹を蹴り飛ばした。
思ったよりも随分軽かった反動に少し面食らったが、かといって手加減する気にはならない。
飛ばされた少年は背中から地面に落ち、地を刷り上げたが、起き上がった時にはそれによる痛みの顔など何処にもない。

あまりにも少年が無邪気に手合わせしようなどと言うから、慶次は少しばかり相手を見くびっていたことを知った。
この戦国乱世、誰がどんな風体でどれほどの強さを備えているかなど、見た目ばかりでは判らないものだ。



持て余した膂力を発散させたくて此処まで来たが、こんな所でこんな少年に出逢うとは。
やはり陣で大人しくしていなくて良かった、そんな事まで考えた。





「っらぁ!!」
「むっ……!」





距離を詰めて長刀を横一閃に薙ぐ。
少年は屈んでそれを避けると、下段から上段を狙って槍を振り払う。
返す刀でその刃を受け止めるた時には、少年は次の姿勢に入っていた。

二槍を休む間もなく連撃で繰り出してくる。
全部は捌ききれなかったから、途中で身を引いた。
二、三歩下がった慶次を負って、少年が地を蹴る。


どうやら、素早さ、機動力に置いては少年の方が分があるらしい。
一つ一つの手は慶次にしてみれば軽かったが、それを補う手数の多さ。

見下ろす少年の表情は本当に子供のようにも見えて、まるで戦を楽しんでいるようにも見える。
木の上の忍は相変わらず見ているだけで、手出ししようとはしていなかった。
もしもこの少年の命が今危うくなったりしたら、その時は慶次を狙って刃が飛んでくるだろうけど。





「流石、東国最強軍って感じだな!」
「―――武田の力、此れだけではないぞ!」





鬩ぎあっていた二人だったが、少年の方が後方へと跳んだ。
また突進してくるつもりのようだ。

後を追わずに身構える姿勢になると、少年が地に脚を着いた直後、それを踏み台にして真っ直ぐ突き進む。
こうして真正面から敵に突っ込んでくるのは、余程自分の力に自信があるか、自惚れか、馬鹿か。
さてどれだろうと思いながら、少年の首を狙って朱槍を構えた。



しかし、直後に慶次は一瞬怯んだ。
情けないことと、後々思うほどに。













桜の中で燃えた、紅蓮。
慶次は確かに、それに意識を奪われたのだ。














我に返った時には殆ど懐に入られて、無様にも反応が遅れてしまった。
胸板に叩きつけられた拳の衝撃に加え、まるで飲み込もうとするように揺らめく緋色の炎。
踏ん張ることも忘れていた所為で衝撃を流しきれずに、慶次は後方へ押され、体制を崩す。

呆然としていたのは其処までで、少年が槍を構えると同時に、慶次も朱槍を握りなおした。
薙ぎ払わんと寸分の躊躇もなく払われた槍の刃を、慶次は朱槍の柄で受け止める。



ちりちりと焼かれた上半身が熱さで痛んだが、耐えられないほどではない。






「すげぇな、あんた…!」
「くっ!」





しくじった、と言いたそうに舌打ちが漏らされる。







「旦那! 無茶すんじゃねえよ!」
「煩い、佐助! 口出しするな!」







呆れたような、怒ったような忍の声。
黙れと言う少年の声音は、まるで拗ねた子供のよう。


本当に変な奴だ。
戦場で迷子になるような場違いな少年は、慶次を前にして手合わせしろと言って。
それに応えればまるで子供のように喜び、なのに刃を交えた瞬間に全ての空気が研ぎ澄まされる。

この男は、戦場で生きる者だと、慶次は思った。



















































一体何合打ち合ったか。
消耗戦になりつつあるのは判っていたが、慶次も少年も一歩も引かない。
そもそも、この少年に退却と言う言葉があるのかさえ怪しい。

だがその打ち合う音を掻き消すように、法螺貝の音が鼓膜に届く。
それまで木の上で何をするでもなく眺めていた忍が立ち上がり、遠くへ目を向けている。


恐らく、戦が終わったのだ。
結果がどうなっているのかは、まだ慶次の知るところではない。

しかしそろそろ陣へ戻らなければ、あの伯父夫婦が帰ってくる。
やっぱり彼女に怒られるのだけはどうにも苦手だから、慶次はそろそろ頃合だと見た。
……少々、勿体無い気もしたけれど。







「隙有り!」






慶次が退却することを考えていたとは、まさか思っていないらしい。
少年は慶次の視線が僅かに逸れた瞬間に、槍を薙いだ。

が、それは慶次に掠る事もなかった。

慶次は屈んで、眼前にある少年の足を蹴り払う。
あまりにあっさり、少年は転んでしまった。
転び方がなんとも幼くて、慶次は思わず噴出す。




「お生憎、早々首はやらねぇさ」




尻餅をついたようで呻いて起き上がる少年を見下ろしながら、慶次は朱槍を肩に担ぐ。
暴れている間に何処かに隠れていた小猿がききっと鳴きながら駆け寄り、いつもの定位置に納まる。





「……首は、取らぬのか」
「別に。俺は御首が取りたくて陣を出てきた訳じゃねえしな」





手柄を立てる立てないと言う事は、陣を飛び出してきた時の慶次の頭の中にはなかった。
有り余った力を発散させて、何処まで自分の力が通用するかを試したかっただけ。

あまりに自由奔放な慶次の言葉に、少年はきょとんとした表情を浮かべている。





「まぁ、それに……あんたの闘るのは楽しかった。此処であんたの首取ったら、もう二度と闘れない。それは、つまんねぇ」






好きなものを取っておくような性分でもないけれど、さっさと取り上げてしまっては勿体無い。
旨い酒でもたった一度で飲み干してしまっては、何が旨いのかさえ判らない。

まさかこれが少年の全ての力でもないだろう。
そして、これが少年の限界でもないだろう。
それはきっと、慶次自身も同じことだと思う。





「……あんたの紅は綺麗だった。俺は、もっとそいつが見たい」





一瞬全ての意識を持って行かれた、あの紅蓮。
舞い踊る淡い色の桜の中で、あまりにもはっきりとした色。

桜を見るのは好きだし、それを肴に酒を飲むのも好きだ。
けれどあの一瞬だけだったけれど、それらが色褪せて見えた。
目の前に迫る紅蓮だけで、視界も頭も一杯になった。










「それとも、あんたは嫌かい?」










座り込んだまま見上げてくる少年に手を差し出しながら、言った。



真っ直ぐ見上げる少年の瞳は大きくて、打ち合い始める前と同じ色に戻っている。
まだ元服したか否かの年頃、無邪気な色が消えない光。
両手に持ったままの無骨な二槍が、その表情には少々不釣合いに思えた。


差し出された手に少年の視線が落ちて、戸惑うようにじっと手のひらを見つめられる。
それに笑って、掴め、と言うように突き出すと、そろそろと少年の手が慶次のそれと重ねられた。

重ねた手を捕まえるように握ると、慶次はよっと声を出して少年の体を引っ張り起こす。
少年は抗う事無くそれに従って、慶次の目の前に真っ直ぐ立った。


打ち合っている時も思ったが、この少年は小さい。
慶次は大柄な方であるが、それを差し引いても少年の背は低い方ではないかと思う。
相手の旋毛が見えてしまう程ではないけれど、少し視線を落とすようになった。
間近で見た瞳は、やはり丸くて大きい。

明るい色の髪は、癖っ毛なのか跳ねている。
前から見れば普通の短い髪なのに、後ろは尻尾のように伸ばされ、項で括られていた。





「…某も、楽しい一時でござった」
「そいつは良かった」





引っ張り起こす時に掴んだ手はそのままになっていて、何故だか離す気になれない。
前田の家臣と稽古してこんな場面になっても、そんな思いになったことは一度もなかったのに。

そして何より不思議なのは、この手を握っていると、なんだか暖かくなれること。



見上げる瞳に、ずっと映っていたいと思うこと。






「――――旦那、帰るよ!」
「うむ」






後方からの忍の声に、少年は悠然と頷いて返事をした。
そして手を離せば、繋がった場所にあった温もりがなくなって行く。

何故だか、急に心の中が冷えたような気がした。


















「待て!」





















その言葉を発したのは、殆ど自分の理性の意思とは関係なかった。

気付いた時には呼び止めていて、少年はきょとんとして振り返る。
長い尻尾のような髪が、ふわふわ流れて揺れていた。


意志とは関係なく呼び止めてしまった訳だから、何か用事があった訳でもない。
それでも律儀に立ち止まって待っている少年に、何故か慶次は自分が焦っていることに気付いた。

焦っているくせに、あの瞳がこちらを見ていると思うと、また暖かくなってくる。
打ち合っている時に彼と何度も目を合わせて、間近で顔を見た時は、こんな風にならなかったのに。
…だけれど、目が合うたびに何処かで高揚していた自分がいたのも確かだった。






桜の花弁が舞う中で、少年はただ立ち尽くしている。
淡い可憐な花弁の中に、強い意志を持つ紅蓮を伴って。











「―――――あんたの名前、聞いてない」











苦し紛れを誤魔化すように口を突いて出たのは、そんな言葉で。
けれども少年はしばしきょとんとした顔を見せた後、ああ、と気付いたように笑う。

そういや言ってなかったね、珍しい、と忍が呟いたのが聞こえた。








「それは、失礼した」








名乗らなかったことに、これもまた律儀に侘びを述べる。













「某、武田に仕える真田家が次男、真田源二郎幸村と申す」














さなだ。
真田。

その名を、聞いていない訳がなかった。


武田に仕える紅蓮の鬼だ。


思いも寄らぬ名を聞いて、慶次は目を剥いた。
確かに二槍の腕前はかなりのものだったが、如何せん、あまりにも幼く見えたのだ。
だって“紅蓮の鬼”と言ったら日の本一の兵と、あちらこちらで噂されている。
姿形の噂は中々聞かなかった慶次だが、それでもまさか、こんな幼い少年が“鬼”だなんて想像もつかない。

歳が同じ頃合だとは聞いていたけれど、見た目がそれを裏切る。
童子とまでは言わないが、戦に出るには早いものに見えた。




だけれど、あの紅蓮は嘘偽りなど何もない。








「……そうか。幸村…ね」
「其方は、なんと?」
「前田家当主利家が甥、前田慶次だ。ま、姉川の誇る桜のついでにでも覚えてくれよ」








ついでに、と良いながら、覚えていて欲しいと思う自分がいる。
確認するように慶次殿、と呼ばれた時、自分の鼓動が高鳴ったのが判った。



後ろで急かす忍の声に、少年―――幸村は慌てたように慶次へ背中を向けて走り出した。
今にも転んでしまうんじゃないかと言う走り方に、慶次はまたしても噴出してしまった。
あんな走り方をしていたら、足払いだけで転んでしまうのも無理ないか、と。

忍はいつの間にか慶次の視界から姿を消したが、それでも幸村の傍らにいるのだろう。
真っ直ぐに桜並木の道を駆けて行く少年の後姿は、絶対の信頼を寄せているように見えた。












































肩に乗せている小猿が鳴いたのが聞こえた。
あやすように指先で小猿の頭を撫でてやれば、小猿は嬉しそうに擦り寄ってくる。




早く帰らなければ、またまつに何を言われるか判らない。
いや、戦が終わったばかりなら、叔父の空腹を満たす事で手一杯ではなかろうか。
それなら戻るのは今のうちだ、陣を覗かれる前に戻っておけば良いのだから。

……なのに何故か、慶次の足は其処から一歩も動こうとしない。
足が疲れて動かない訳でないし、何かを警戒している訳でもない。
朱槍は肩に担いだままで、慶次は心身ともに穏やかな面持ちで、ただ其処に立ち尽くしている。
誰かが探しに来れば直ぐに戻れるだろうけれど、誰も此処に来る気配はしなかった。





風が吹くと、桜の花弁が舞い踊る。
それを初めて綺麗だと思ったのは、いつだっただろう。



きっとこの世で、この光景より綺麗な風景なんてないのだと、いつの間にか思うようになっていた。
叔父の妻は桜がよく似合う女性で、この並木道の中で夫婦歩いている所を何度か見たことがある。
二人の表情はいつも穏やかで幸せに満ちていて、いつも綺麗な桜が祝福するように流れていく。
もしも自分に、利家のように愛する人が出来たなら、同じようにこの道を歩いてみたいと思ったものだ。

一緒に歩くのなら、まつのように桜の似合う女が良い。
それはずっと二人を見て育った慶次の心に染み付いた、一種の憧憬の風景だった。








桜の似合う人。
桜の中で、笑う人。

桜の中で鮮やかな色を持つ、人。















「……そう来たか」
















何故この場から動けないのか、動かないのか。

舞い踊る花弁をぼんやり眺めながら思い出した昔話。
その中でするりと行き着いてしまった答えに、慶次は笑ってしまった。



駆け抜けていった後姿は、まるで子犬のようだった。
なのに、その後姿がいつまで瞼の裏に焼きついて消えない。

だから彼の瞳に自分の姿があると思った時、あんなにも嬉しさなんて覚えてしまったのだ。
握った手のひらから伝わる子供のような高い体温を手放したくなかった。
自分の居場所へと帰っていく背中を、本能のままに呼び止めた。








駆け抜けていった、後姿。















いつかそれが、振り向いてくれたら良い。










































初書きにしてフライング、慶次×幸村!
慶次は傾奇者と名高い、戦国時代に置いて自由な人だったんですね(調べてみた…)
なので自由奔放に、このサイトの幸村とは別の意味で無邪気な感じにしてみました。

なんか爽やかだなぁ。
発売して喋りが判ったら、この小説どうしよう(汗)


戦場で迷子になるってどうなんだ、幸村(爆)。
この話の佐助、途中で勝手に動き出しました……完全にオカンモード。

慶次はどうやら、幸村に一目惚れみたい、という事で。



“たまさかに見し人” 偶然に出会った人。




前文の桜 ↓

染井吉野(ソメイヨシノ)
花は中輪、一重咲きで淡紅色。開花期は4月上旬。
日本各地に植えられている代表的な桜。江戸時代末期に江戸染井村(現在の東京都豊島区)から「吉野桜」として売り出された

八重部彼岸(ヤエベヒガン)
花は中輪、八重咲きで淡紅色。開花期は4月上中旬。
小彼岸系の余り大きくならない桜

極楽寺桜(ゴクラクジザクラ)
花は大輪、菊咲きで淡紅色。開花期は5月上旬。
兵庫県芦屋市の山中で極楽寺太一が発見した、カスミザクラ系の美しい菊咲きの品種

山桜(ヤマザクラ)
花は中輪、一重咲きで白〜淡紅色。開花期は4月上中旬。
古来より親しまれてきた代表的な野生の桜

思川(オモイガワ)
花は中輪、半八重咲きで淡紅色。開花期は4月上中旬
栃木県小山市の修道院にあった桜の実生から生まれた桜で市内を流れる思川に因んでこの名がつけられた

朱雀(シュジャク)
花は大輪、半八重咲きで淡紫紅色。開花期は4月中旬。
昔、京都の朱雀にあったのでこの名がつけられたといわれる桜で、朱雀(スザク)とも呼ばれる