置いていけない
依存したのは
果たしてどっちが先立っただろう
離れるなんて出来やしないと
目を開けた瞬間に入り込んできたのは、傍らで揺らめく行灯の灯りだった。
暗闇の中にいた記憶などないのに、どうしてかその灯りがやけに目に痛かった。
堅苦しい篭手などつけていない手で目元を覆って、その指の隙間からじっと前を見る。
と言ってもどうやら自分は横になっているようだから、上を見ている事になるのだが。
眼球の痛みが引いた頃にはそれなりに視界も見えるようになった。
そして指の隙間から見えるようになった先には、幼い頃から随分と慣れ親しんだ天井。
板の一つがずれているのは、よくあそこから自分が出入りするからだ。
ああいう場所は一つではなく、他の部屋にもある。
使っているのは主に仕える少数精鋭の忍達で、たまに仕事以外であれを使うこともあったりする。
それなりに意識がまともになって来たのを自覚して、佐助はゆっくりと起き上がった。
幼い頃から鍛錬によって鍛えられた身体は、自ずと俊敏な動作を求めようとしてしまう。
しかし、今日ばかりは気分も身体もそんな気にはなれなかったのだ。
のろのろと起き上がっていく内に、身体のあちこちが悲鳴を上げた。
特に酷かったのは脇腹だ、何もしなくてもじんじんとした地味な痛みがあり、動くと激痛が奔る。
何故そんなにも痛みがするのか、いぶかしみながら佐助は視線を落とす。
が、それの正体を確かめるよりも先に、部屋の障子戸が開かれた。
「……さすけ」
まるで確かめるかのように呼ばれた名前。
声の方へと振り返れば、走ってこの部屋まで来たのだろうか。
僅かに肩を上下させて呼吸して、まともに整えられていない着流しの裾。
ゆったりとした着流しの袂の合わせから、痛々しい白い巻き布が覗いた。
真田幸村だ。
無二とない、佐助の主。
「おはよ、旦那」
痛むのをどうにか誤魔化しながら、片手を上げてそう言った。
瞬間、主の瞳に浮かび上がった、透明な雫。
「この……うつけ者――――――っっっ!!!!」
既に声変わりも済ませ、元服していると言うのに、何故か幸村の声は未だ高めの域を抜け出さない。
だから大きな声を出されれば、やはりどうしても耳に響いてくるものである。
腹の底から出した声は、いつであったか、幼い頃にわんわん泣いていた姿を思い起こさせる。
立ち尽くしていた障子戸の場所から、幸村は猪宜しく突進してきた。
勢いを殺さぬままに飛び付かれて、一瞬呼吸を失う佐助である。
おまけに衝撃が脇腹は勿論、全身に伝達するものだからたまったものじゃない。
けれど此処でそれを表に出しては行けない。
幸村が顔を上げる前に歯を食いしばってそれを耐え流し、一つ呼吸する。
全く、いつになっても元気一杯な子供のようだと思いながら。
だって元服も済ませて年甲斐もなくこんな突進をする相手を、佐助は彼しか知らないのだ。
目一杯突進して、まるで其処に存在することを確かめるように、幸村は佐助の胸に顔を埋める。
ぐりぐりと押し付けてくるその頭を撫でてやれば、塗ったばかりなのか、傷薬の匂いが鼻腔をくすぐった。
「この、うつけ者が! それでもこの幸村に仕える真田隊の忍頭か!」
まん丸な瞳の目尻を上げて、幸村は佐助を見上げながら言った。
それでも撫でる手を振り払おうとしないから、主らしい威厳なんて其処にはない。
やっと見付けた親から離れまいと甘える仔犬のようだと、佐助は心の中で呟く。
「はいはい、ごめんって。無茶したね」
「其の上、どれだけ眠ったら気が済むのだ! 今日で四日目だったのだぞ!」
「あらま。俺ってばそんなに寝てたわけ?」
耳元で高い声で喚かれるのは少々辛いものが有るのだが、佐助は決してそれを煩わしいとは思わなかった。
だって幸村の声は、いつ何処で聞いたって、心地良さを誘うのだ。
泣き顔だけはどうしても苦手だったりするのだけれど。
子供が駄々をこねるように喚く主の、明るい色の髪をゆったりと撫でる。
泣き止ます為にそうしたのだが、今回ばかりは逆効果だったらしい。
益々緩んだ涙腺は、幸村の心をそのまま映し出すように、ぽろぽろと溢れ零れ落ちてしまう。
緊張の意図が切れてしまったのだろうか。
「あれから一度も起きなかったのだぞ、幾ら揺すっても声も上げないし、それに、」
「はいはい。はい、ちょっと落ち着こうぜ?」
涙と一緒に出て来る文句に、佐助は苦笑する。
こうだから、どうしても放って置けなかったんだ。
結局泣いたりするから。
「ったく、少し長く寝てただけでしょうが」
「四日も意識が戻らずに、何が少しだ! 時間の感覚まで狂ったか、お前は!」
噛みつく勢いで言う幸村だが、佐助にはそれは効かない。
子供が癇癪を起こしたようなものだし、佐助にとっては随分見慣れたものなのだ。
だって幼い頃から、もう何度となく見てきた表情なのだから。
物心つく以前から一人が嫌いで、一人寝だって未だに慣れていなかったりする。
光のない暗闇と言うのがどうにも苦手で、傍に誰かがいないといつまで経っても落ち着かない。
大よそ日の本一の兵だなんて呼ばれているとは思えないそれも、幼い頃に比べれば少しは収まったと思う。
……こういう、ふとした瞬間に顔を出してしまわなければ、だけど。
まるで捕まえたものを放さないとでも言うように、幸村は佐助の着物を握り締めている。
怖い夢を見ただとか、一人で寝るのは嫌だとか言う時に、こうやって縋り付く。
こうなっては絶対に離れないから、佐助は落ち着くまで待ってやるばかりだ。
でも、確かに寝過ぎたな。
正直、四日も目覚めなかったのは自分でも驚いた。
その間にこの幼い主が佐助を呼ばなかったとは思えない。
いつだってその声を聞いたら目覚める筈なのに、四日間も意識を手放したままだったなんて。
いつも呼んだらすぐに姿を見せる佐助がいなくて、この主は一体どれだけ不安になったのだろう。
戦に出るようになっても、未だに失う事を割り切れない、この幼い主は。
「あーもう、旦那ぁ、あんまり頭押し付けんなよ」
「お前が悪い!」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる幸村。
少々言い難いのだが、痛んでいる身体のあちこちが悲鳴を上げている。
幸村がそれを判っているのかは知らないが、とにかく幸村は詫びるつもりはないらしい。
まぁ、不安にさせてしまった自分が悪いのだと思ってしまう佐助の負けは、最初から決まっているのだ。
「それよりさ、旦那は大丈夫だったわけ? 俺よか傷酷かっただろ」
「……あの戦で、お前より重傷だった者など一人もおらぬ」
「うっそ。旦那の方が酷かったじゃん」
「私の傷はこれだけだっ!!」
言って幸村は、来ていた着流しの上半身を脱いだ。
唐突な事に少々目を剥いた佐助であったが、じっと見つめる濡れた瞳に、それも直ぐに引っ込んだ。
今まで着物に隠されていた身体が露になる。
腹部を覆い隠す包帯は、其処だけではなく両肩にも巻かれている。
右手も左腕も包帯に覆われて、肌が露出している部位の方が少ないぐらいだ。
それでも幸村は、自分の傷は大した事はないのだと言い張る。
何処が、と佐助は思った。
如何考えても佐助よりも傷の範囲は広いし、きっと次の戦には出られない。
よくよく見れば着物に隠されずにいる右足も包帯が巻かれているし、左も足の甲に間に合わせなのか、布があった。
対して佐助の方はと言えば、多分一つ一つの傷の深さは、幸村よりも重いだろう。
けれども動けない程ではないし、痛み止めでも塗って置けば問題ない。
あと三日でも眠れば動けるようになるだろう。
だけど、敢えてそれは言わない。
「………そっか」
頬に赤みが差しているのは、やっぱり自分の所為なのだろうか。
まろい頬に手を当てて、佐助は小さく笑んだ。
「良かったよ」
「……うつけが。ちっとも良くない」
「なんでよ。俺は、旦那が生きててくれて、それでもう良いんだよ」
「だからお前はうつけだと言うのだ」
いつも無茶する旦那に言われたくねぇなぁ。
思わず言いそうになった言葉を飲み込んで、佐助は幸村の目尻に溜まっている涙を拭う。
ぐす、と押さない子供のように愚図ったのが聞こえた。
「お前はそれで良くても……私は、生きた心地なんてしなかった」
己の頬に触れている佐助の手。
それに、幸村はそっと自分の手を重ねた。
幼き頃から忍として鍛えられた佐助の手は節があり、対して幸村はと言えばまだまだ小柄な方だ。
他の者に比べて小兵であると言える幸村は、戦衣を脱いでしまうと、余計に小さく見えてしまう。
そして佐助にしてみれば、幼い日の子供の顔を重なってしまうから、また。
「幾ら呼んでも起きないし、揺さぶっても何も言わぬし。才蔵は…気にするなと言うたが……それでも……」
拭ったばかりの目尻に、また溢れる透明な雫。
眠る前に聞いた言葉を、覚えている。
置いていかないと言った幸村を。
あの時、佐助に幸村の顔は見えなかった。
顔を上げるような余力は佐助になかったから、前を見据えて歩く幸村の表情など伺えなかったのだ。
怒っていたのか、それとも子供のように泣きそうな顔だったのか……あの時だけは、少し量り兼ねる。
「お前を置いて行かぬと言った。お前を置いて生き延びたとて、私は何も嬉しくない」
失う事に不慣れだから、いつまで経ってもこんな事を言っている。
この戦国乱世に置いて、それはただの甘っちょろい戯言なのに。
まして佐助は戦忍。
何処で命を落としたとしても不思議ではない。
そして、そのまま闇に消えたとて何も可笑しなことではないのだ。
…幸村のように忍の身を案じる事の方が間違っている。
だけど、心地良いから。
縋り付く幸村の温もりは、嫌いじゃない。
「だいたい………」
ぎゅう、と佐助の着物を握る手が、少しだけ震えた。
幸村の頬に添えた佐助の手のひらに、熱いものが零れ落ちる。
「約束したのは、佐助の方であろう」
まだ、柵(しがらみ)の判らなかった頃だ。
自分たちに架せられた繋がりの重みを知らなかった頃。
幸村の父も、兄もいて、佐助とは手を繋ぐ距離だったのが当たり前だった頃。
幸村は幼いながらに多感で、感受性が豊かだった。
些細な事に笑う事もあれば、他人にとってなんでもない事で傷付き涙する。
特にそれは佐助の前で顕著に現れていた。
佐助にとって幸村のそんな一面は、既に見慣れたものだった。
拾った猫に引っかかれただの、兄と稽古の時に初めて兄に競り勝っただの。
悔しそうに泣いたり、心から嬉しそうに笑ったり、くるくる変わる表情は本当に見ていて忙しかった。
顔が疲れたりしないのかと思った事だってある。
……そんな幸村の兄が死ぬ前日だったか。
もしかしたら今思えば、あれは一つの予知夢とでも呼ばれるものだったのだろうか。
父が死ぬ直前にも同じように泣き出した事を考えれば、やはり。
いつものように二人で寝ていた。
幸村は一度眠ると、中々目覚めない子供だった。
それなのにあの日は、丑の刻を過ぎた頃に突然飛び起きたのである。
鍛錬されてか気配に敏感だった佐助が起きてみれば、幸村は泣きながら抱きついて来た。
怖い夢を見たのかと問えば、幸村は真っ直ぐに佐助を見つめて言ったのだ。
佐助は、いなくならないよな。
突然の言葉に少々驚いた佐助だったが、すぐに笑んで、幸村の頭を撫でてやった。
誰かが消えていく夢を見た、と幸村は言った。
それが誰であったかは判らなかったのだけれど、ひょっとしたら佐助だったかも、と。
……結局、あの時夢に見たのは、大好きな兄だったのだけれど。
あまりに不安がって幸村が泣きじゃくるから、佐助はあの時約束した。
真の忍であるのなら、きっと主と交わしてはならない約束を。
「……覚えてんの」
眦を綻ばせて言えば、幸村は当たり前だと言った。
普段は物覚えが悪いくせに。
幸村はこんな所で、ずっと昔の事は覚えていたりする。
「…忘れたとは言わさぬからな」
「……判ってるよ」
忘れる訳がない。
だって、幸村と交わした約束だ。
忘れろなんて言う方が、到底無理な話だ。
ならば、と幸村は佐助を見つめる。
「覚えているのなら、今一度約束しろ」
頬に添えたままの、佐助の手。
其処に零れていく透明な雫は、不思議と熱を持っている。
全く、この子の涙は、いつになっても苦手だ。
置いていかない。
何があっても、何処にいても。
置いていかない。
だから。
独りぼっちにしないで。
何があっても一人になんてしない。
それが戦であっても、日常であっても。
一人になんてしないから、だから一緒に約束して。
………今更だ。
もうとっくに、離れられなくなっている。
放って置くなんて、出来る訳がない。
一人になんか、しない。
“置いていかない”で書いた二人の続きです。
無事に帰りついた後の二人の話が呼んでみたいと、ご感想がありましたので。
どんどん幸村の設定が増えて行く気がする今日この頃(汗)。