置いていかない















何があっても






いつになっても














この手を離さないと先に決めたのは、果たしてどちらだっただろう


































「……この…うつけ者が……!」







喉からひねり出すような声。
それは直ぐ耳元から聞こえてきて、それと一緒に荒い息遣いも鼓膜に届く。
ぜいぜいというそれが煩くて、佐助は僅かに眉を顰めた。
顰めたけれど、そうさせる原因を作ったのは自分であって、思えば己に文句を言う権限はないのだ。
自分たちの間柄の事を考えれば、そういう行為そのものが赦されるものではないのだが、其処までは考えなかった。


血反吐を吐くような、と言う言葉のそのものだ。
今、佐助の耳元から聞こえてくるものは、全て。

それなのに本人の胸のうちも無視して、そんな声音すらも良いなと思ってしまうのだから、最早末期だ。
いや、こういうのはずっとずっと続いている症状だから、末期と言うまでもないのかも知れない。
何せ普通にしていて出る症状だから、今ではそれで正常なんだと思ってしまうこともしばしばだ。




つらつらと関係ない事を考えて。
うっ、と言う声と同時に背負い直されて、身体のあちこちが軋んで悲鳴を上げた。







「正面から、敵陣に突っ込む、忍がおるか……!」







その台詞、そっくりそのまま、あんたに返すよ。

いつもいつも、後先の事を考えないで敵陣に突っ込んでいるのは何処の誰だというのか。
無茶してくれるな、矢が刺さったくらいで死ぬものか、毒でも塗ってあったらどうすんの。
そういう会話をしたのは、それ程前の事ではない。

そんな彼が、佐助に対して説教している。
いつもと逆だ。







「その上…あんな………」







がくりと視界が酷く揺れた。
一瞬前よりも地面が近くなって、紅い手が地面に立っているのを見た。

膝から力が抜けて、それでも地面と仲良しになる事は無かったらしい。
背負った己を落とさなかった事にだろうか、安堵の息が漏れたのが聞こえた。







「く……っ……!」







きっともう己の体重を支えるような力も残っていないのだろう。
自分を下ろしていけば良いものを、どうしてこの幼い主は効率良く物事を選ぶことが出来ないのだろうか。







「とにかく…私は、怒っているのだからな……」







足を震わせているのが判る。
けれどそれを無視して、立ち上がる。
踏鞴を踏んだけれど、再び落ちるような事はしなかった。




……細い身体だ。
鍛えてはいるのだけれど、それでもまだ足りない。
筋肉がつき難い体質なのか、自分の細い腕を見て眉を顰めていたのはいつの事だっただろう。
佐助も細身に見られる方だが、筋肉はしっかりついており、どうやら着痩せする方らしい。
そんな佐助と自分とを比べながら、拗ねていたのはつい先日の話であったか。

これが主の信玄公と並ぶと、余計に細く小さく見えてしまう。
更に子供のようにうろちょろとして、無邪気に笑って見せるものだから、主の威厳なんて何処へやら。
他者に言わせればまだまだ若いから渋みがないのだろうと笑う所だが、きっと何年経ったって変わりはしない。

この分だと、身体を鍛えて、仮に信玄公のようになったとしても、あまり代わり映えしないのではないだろうか。
……そう思うのは、佐助が変わらぬ事を望んでいるからかも知れない。




佐助を抱えて、前へ前へ進む彼。
もう顔を上げるような気力も無いから、どんな顔をしているのかは見られない。

戦前の憮然とした、真面目な顔をしているのだろうか。
それとも、こんな情けない姿を晒す忍に呆れて怒っているだろうか。
でなければ、初めての負け戦の逃亡に悔しさを滲ませているだろうか。


本当は駆けて行きたいのだろうに。
己が敬愛する、師のもとへ、主のもとへ。
影など捨てて、駆けて行けば良いだろうに。

まったく、どうしてこの主はこんなにも子供なのだろうか。
意識の向くことばかりを先に回して、先にしなければならない事を後回しにして。
そんなのだから、いつも佐助がこっちはこうで、あんたはこれやって、と言わなければならなかったのだ。
手のかかる子供だと思うのは、遠い昔から変わらない。






「………ぅっく……ぬ……!」






ともすれば屑折れそうになる膝を叱咤しながら、主は進む。







「お館…様……っ………」







今行きます、と。
聞こえてくるのは、消え入りそうな声。




この要領の悪い主は、何処まで自分を抱えていくつもりなのだろうか。
本位ではない逃亡劇を悔やみながら、それでも切り捨てるはずの部下を切り捨てずにいる主。
主のそんな部分に惹かれた者は少なくないけれど、こういう時は捨てていくべきだろうと佐助は思う。

捨てていくなら、早くそうして欲しい。
こんな所でもたもたしていては何時敵兵に見付かるか判ったものではないし、
己を抱えていた所為で主が逃げられなかったなんて話になったら、武田の虎に吹っ飛ばされること間違いない。
十勇士の才蔵も煩いし、主に懐いている小助や伊佐入道兄弟なんかは何を言い出すか。
忍は切り捨てられるものなのだから、恨みやしないから、だから早く。
あんたが死んだりしたら、意味が無いんだから。


己が師の下へ急ぐというのなら、こんな使えない忍は置いていけば良いんだ。






「あぐっ……!」







傷が痛んだか、よろめいて傍の木に寄り掛かる。
それによって再び地に膝を付く事はなかったが、動くことも儘成らぬ事には変わりない。


ああ、もう、だから。
ほっとけって言ってるでしょうが。
言ってないけど、喋れてないけど。







「……言っておくが……」







また佐助を背負いなおしながら、主は呟く。
その声は先程のような苦しげなものではなく、いつものように明るい高い声音でもなく。
滅多に聞かない、絶対的な色を含んだ声色だった。

いつもこうならいいのに、と思う事は一度や二度ではない。
けれど、きっとそれはそれで、なんだか物足りなくなってしまうのだろう。











「私は、お前を置いて行かぬからな」











足がしっかりと力を持つまで待って、再度主は進み始める。
進むだけであちこち痛むのだろうに、それは歯を食いしばって呻き声さえ殺す。
強く噛みすぎて、口の端が切れて紅が流れたのが視界の端で見えた。







「お前が何を言おうと、思おうと……私はお前を置いては帰らぬ」







二人でお館様の下へ戻る。
まるで誓いでも立てるかのように、主は言う。







「お前を置いて帰ったとて……生き延びたとて、私は何も嬉しくない」







砂利を踏む音が鬱陶しいと思ったのは、これが初めての事かも知れない。
だって主の声は今、強いけれど酷く掻き消えそうに小さいから、ふとした瞬間の言葉が聞こえない。








「ただでさえ負け戦で…お館様に会わせる顔がないと言うのに、お前までおらなんだら……」









何かが喉に詰まったように、主は口を噤んだ。
二、三度の短い呼吸をした後、一度深く吸い込んで吐き出した。
















「私は…………――――――――――――」

































一人ぼっちになるような、気がするんだ。









































……子供のような事を言う、子供のような主。
元服だけをとっくに済ませて、中身はそれにちっとも追いついていない主。
甘い物ばかり食べて、大事な話を聞いていなくて、なのに慕われて止まない主。

おおよそ、主らしくない主。



俺の、主。










どうして、この人を主に選んだのか。
この人に仕えるのだと知った時、どうして一も二もなく受け入れたのか。






…………こういう人だから。

…………こういう子だから。




放って置けなくて。

守りたくて。













「――――――佐助………?」














そんな風に呼ぶなよ。

大丈夫だよ。

後でちゃんと起きるからさ。


寝るだけだから。













「……佐助」










置いてきゃしないよ。
置いていけるわけねぇじゃん。

あんたみたいな、子供残して。












「佐助」












だから今だけ、寝かせてよ。
帰る頃には起きるから。














「佐助!」
































目覚めた時に見るのはきっと、


子供の頃に散々見た、







あの泣き顔なんだろう。













































戦況がやばくなって、佐助は幸村を逃がすために囮になり、
その上自爆技までブチかました、と。
この文章をどこかに入れようとして、入れそびれました(汗)。

“其処に在る真実”の佐助と対な感じで書きました。
幸村の方も、佐助に依存してるんだと。