背中


























一番最初に知ったのは


大きな温もりと








厳しさの中に隠された、確かな優しさだった








































「……あにうえ?」






気が付くと傍にいたはずの人がいなくて、幸村は立ち止まった。
辺りを見回してみるけれど、高い人垣に視界が遮られてしまう。

いつも一緒にいるはずの佐助の手を捜してみたけれど、自分の手は既に誰の温もりにも触れていなかった。
上を見上げれば、見詰め返してくれるはずの大きな父の顔も、何処にも見当たらない。
祭りの提灯明かりのお陰で視界が暗くなる事はない。
けれども、幸村は途端に酷く、不安で、淋しくなった。



今日は祭りだからと、久しぶりに兄と父が家に帰ってきて、佐助も一緒に町へ連れ出してくれた。
右手を兄の左手に預け、左手は佐助と手を繋いでいた。
父は斜め後ろに立って、二人の息子と、もう一人の血の繋がらない息子を見守っていた。

あれこれと甘い物を強請る弟に呆れていた佐助と、虫歯になるぞ、と言いながら、聞いてくれた兄。
時折貰っていたお小遣いは、巾着袋の中に入れていたけれど、勿体無くて仕えなかった。
何より、使おうとすると佐助が「無駄遣いは駄目」と言って、赦してくれないのだ。
それに拗ねていたら、兄が厳しくする佐助を宥め梳かして、二人分の甘味を買ってくれた。


この後、確か花火が上がる。
そんな話をしていたのだと思う。

……その時、小さな手は、確かに温もりを掴んでいた筈なのに。







祭囃子と人の声。

その真ん中で、ぽつんと取り残された子供。







「……あにうえ」






呼んでみるけれど、返事はない。





「ちちうえ」





やっぱり同じ。
人の騒ぐ声しかない。






「…さすけ!」






呼べば、何処にいたって来てくれたのに。
そんな彼まで、何処にもいなくて、返事もない。



どうして。

今日は、一緒に祭りを見ようと言ったのに。
花火は父が肩車してくれると言うから、楽しみにしていたのに。
他にも食べたい物が一杯あって、佐助にも分けてあげたいのに。



どうして、いないの。





じわ、と視界が歪んで、自分が泣いている事に気付いた。
慌てて着物の袖でそれを拭って、顔を上げる。

武士の子が簡単に泣いてしまってはいけない。
歩いて探そう、きっと何処かにいる筈だから。
彼らも探しているだろうから、会えた時に泣いていたら、心配をかけてしまう。
どうにもよく泣いてしまうから、こんな時にまで泣いてしまっては、強い武士にはなれない。



早く探し出して、抱き締めて貰おう。
甘い物を買って貰って、一緒に食べよう。
それから父に肩車をして貰って、綺麗な花火を見て、帰って。
ああ、その前に風車を買って貰わなきゃ、だって前に約束したんだ、今度買ってくれるって。
帰ったらその風車を飾って、今日は皆で一緒に寝よう。

明日になったらまた二人はいなくなってしまうのだ、それ位甘えたっていい筈だ。
朝御飯を一緒に食べる暇があったら良い。
稽古をする時間はないと思うけど、ちゃんと見送りもしなきゃ。








早く、早く。

あの手を、握らなきゃ。
























































誰か知らない人とぶつかって、そのまま地面に転がった。
ぶつかった人は気付かなかったのか、それとも気にしなかったのか。
そのまま雑踏の中に紛れて見えなくなった。

怒られなくて良かったけど、謝る事も出来なかった。
でも、それよりも。



走っている間に、何度も何度も転んで。
痛いし、折角着せてもらった着物は泥で汚れてしまうし。
情けないし、不安だしで泣きたくて仕方がなかった。

でも、早く見つけたくて、会いたくて。
転ぶたびに起き上がって、走ったけど。






「っひく、っう……うぇっく………」






座り込んだまま、幸村の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

一度箍が外れてしまうと、後は簡単に溢れ出して行く。
最初の一滴が地面に落ちて染み込んで行く間に、次の雫が流れた。



子供の周りの大人達は、小さな存在にまるで気付いていないようで。
否、気付いてはいるのだけれど、ただちらちらと見るだけで、誰も近付かない。

誰も助けてくれる人いなくて、頼るものもなくて。
己を襲う不安を振り払う術も知らない子供に、そもそも泣くなと言うのが無理な話だ。







「う…うぁぁぁぁああん」







声を上げて泣き出せば、とめどなく涙が零れ落ちて。
土で汚れた手でそれを拭うけれど、ちっとも止まってくれない。




どうして手を離してしまった瞬間に気付く事が出来なかったのだろう。
彼らの姿が見えなくなるまで、どうして判らなかったのだろう。

いつも呆けているからだと、帰ったらきっと佐助に怒られるんだろうけれど。
今は怒った声でもなんでもいいから、誰かの声が聞きたかった。
泣いていたら何処にいたって飛んできてくれたのに、どうして今日はいないんだろう。
いつだって傍にいてくれるって、約束したのに。




怖い。
怖い。

誰も隣にいないのが。



いつだって、佐助が一緒にいてくれた。

木の葉隠れの修行をしているのを偶然見つけて、一緒にやると言ったら、困った顔をしながら赦してくれた。
高い木に登っているのを見つけて、自分も登って、降りれなくなったら、負ぶって下まで降ろしてくれた。
修行をした後、父と兄に指南して貰って同じぐらいに傷だらけになった幸村を見て、
自分の事をそっちの気で、染みると痛がる幸村を宥めながら、手当てをしてくれた。


一緒にいるのが当たり前だったから、気付かなかった。
離れてしまうのが、こんなに怖い事だったなんて。






「あにうえ…ちちうぇぇ……さすけえ……!」










誰も、隣にいない。


その時だ。
大きな温もりに、触れたのは。











「泣くでない、幼子よ」











大きくて力強くて、暖かい、その温もり。

よく知る佐助とも、兄とも、父ととも違う、それ。
確かな強さを抱いた、それ。



涙でくしゃくしゃになったままの顔を上げる。




祭りの提灯の明かりを背に、見下ろしてくる大きな陰。
それの伸ばした大きな手が、幸村の柔らかい髪を撫でている。





「親とはぐれたか」





重みのある声音の告げた言葉に、幸村は小さく頷いた。





「名は」
「…さなだゆきむら」




質問にはきちんと答えるようにと、父と兄、佐助からもよく言われている。
引き攣った声であったけれど、なんとか聞こえるだろう声で名を述べた。

陰は少し驚いたような空気を纏ったけれど、そうか、と言って何度か軽く頭を叩く。




「随分と汚れておるな」
「…ころんじゃった…」




探してたら、と小さな声で続ける。

思い出したら、身体のあちこちで悲鳴が上がった。
擦り剥いた肘や膝から血が出ていて、腫れている箇所もある。
顔は涙で濡れているだけでなく、汚れた手で目元を擦った所為で、泥も付着していた。
緋色が鮮やかな着物も茶色にくすんでいる。


痛いか、と聞かれて、しばしの間を置いて、もう一度頷く。
今まで我慢して走っていたけれど、立ち止まってしまうと、もう立ち上がるのも辛かった。
疲れたし、痛いし、不安だし、もうぐちゃぐちゃだ。

また視界が歪む。
慌てて擦るけれど、やっぱり止まってくれない。




優しく、腕を掴まれた。





「よさんか」





凛とした声であった。


けれど、視界はどんどん歪んでいって、大きな陰の形まで曖昧にしていく。
陰の向こうに見える明るい提灯は、もうそれという形を成していなくて、ただの丸い光になっていた。





「武士の男が容易く泣くでない」





武士の男。
武士の息子。
音に馳せた、真田の子。

けれども、まだ十にも満たぬ幼子である。
幾ら気持ちは堪えようとしても、涙は勝手に出てくる。





「……仕方あるまいな」






陰が、そう呟いた後で。
急にふわりと身体が浮いて、ひっくり返った声を上げた。


ぽすん、と大きな塊に顔が当たって、驚いた。
膝裏に太くしっかりとした腕が差し込まれていて、幸村の上半身は固まりにくっついた状態になっていた。
少しして幸村が安定した位置に収まると、今度は一定の間隔で緩やかな揺れ。

この感覚は、知っている。
兄や父の背中に乗っている時、怪我をして帰れなくて、佐助が運んでくれた時。
そうだ、これは負ぶさって貰っている時と同じ感覚だ。
暖かい塊がすぐ傍にあって、心地よい揺れに流されて――――そう、これなのだ。




「その様では碌に歩けぬであろう。家まで連れて行ってやろう」
「……あ…でも、あにうえたちが……」




きっと探してくれているだろう彼らを放って置いて、自分だけ帰るなんて出来ない。
けれども、暖かいその塊は、肩越しに振り返って、幸村に笑みを見せる。




「なに、彼らには儂から言っておこう。…それとも、探すか?」
「……うん」




このまま帰ってしまっても、きっと家は暗いだけだし。
そんな中で、一人ぼっちで彼らを待つのも嫌だ。

祭囃子を聞きたいとか、花火を見たいとか、甘い物を食べたいとか。
正直、それよりも、早く彼らに会いたかった。



幸村の返事に、陰はまた笑んだ。

力強い腕をしているけれど、そうすると顔の皺が目立つ。
父と同じ歳―――いや、それ以上だろうか。
よく判らなかったけれど、そんな気がする。


でも、一緒だ。











この温もりと、



この優しさは。











































「――――き……ゆき…幸ー!」
「幸! 何処におるのだ、幸!」






高い少年の声が聞こえて、幸村は顔を上げた。
それと同じくして、聞きなれた低めの凛と響く声。


兄と、佐助だ。
父は別の所にいるのだろうか。

兄上、と小さく呟くと、陰が肩越しにこちらを見た。
それから声のする方へと歩を進めていく。
大きくてしっかりとした肩口からなんとか顔を出して、前方を見れば、
雑踏の中で辺りを見回しながら弟の名を呼ぶ兄と佐助の姿があった。




「さすけ! あにうえ!」
「……幸!」
「幸……――――!」




眼が合った瞬間に、兄の顔が一瞬強張った。
けれども、弟と佐助はそんな事には気付いていない。

陰の男がその場にしゃがんで、幸村を地面に降ろした。
幸村が地面に足をつけたとほぼ同時に、佐助が駆け寄ってくる。


そして、何事か言う前に、幸村の頭をぺしっと叩く。




「このバカ! どこ行ってたんだよ!」
「ごめんなさい……」
「あーあ、泥だらけ。迷子は動かないのが鉄則だって教えたでしょーが!」




頭を押さえる幸村の姿に、佐助は大きく溜息を吐く。
それから泥や埃をぱんぱんと叩いて落として行く。


そんな子供達のすぐ隣に、兄の信幸が立ち尽くした。
視線はやっとの事で見付けた弟ではなく、その弟を背負っていた男へと向けられている。





静かに、信幸は頭を下げた。




ただ礼を言うにしては、大袈裟な行為である。
幸村と佐助は目を合わせて、それから深く頭を下げたままの兄を見上げる。
幼く小さな二人からは、ほんの少し、信幸の表情が伺えた。
唇を噛んで、まるで怒られるのを恐れているようだ。

不安に思って幸村が兄に近付こうとすると、佐助が腕を取ってそれを止めた。
なんとなく、まだ自分たちが近付いていい領域ではないように思ったからだ。





「……申し訳御座いません……ご迷惑を、おかけしました…」





信幸がこんな顔をするのを見るのは初めてだった。
何があっても、弟の前では気丈な兄であるのに。




「良い、信幸。頭を上げい」
「……はい。幸、佐助、こっちにおいで」




兄と男の丁度真ん中にいた二人に、信幸が手を伸ばす。
幸村はすぐにそちらに駆け寄って、佐助も数瞬遅れてそれを追う。

幸村が伸ばした小さな手が、ようやく兄の温もりに触れる。
男のようにがっしりとした体付きではないけれど、確かな力強い温もり。
反対の手を佐助に向かって手を伸ばすと、すぐに握られた。





「今宵は祭りじゃ。このような事もあろうて」






男の視線が、小さな子供達に向けられる。






「この中で一人で兄を探そうなど、よい心掛けであるぞ」
「……?」
「褒められてるんだよ」






きょとんとした顔をした幸村に、佐助が耳打ちする。
ありがとうって言わなきゃ、と続けられて、その通りに言葉を連ね、小さく頭を下げた。








「直に花火が上がる。今日は存分に楽しめ、のう幸村よ」








笑みを向けられ、幸村も頷いて笑った。




陰の男が踵を返すと、兄がまた礼をする。
幸村と佐助も、それを真似するように深々と頭を下げた。
























その、大きな男が、いつか全てを捧げる主になると、






小さな剣を抱く心は、まだ知らない。














































判らなくても、きっと感じ取る事は出来る。


レッツ捏造!(もう今更だ…)
幸村と佐助、お館様と初顔合わせ。