純粋と言う名の
知らずに、いられたとは
思っていない
初陣と言うものは、果たして嬉しいものなのだろうか。
高揚とした表情で自身の武器である槍を磨いている主を見て、佐助はそんな事を思った。
この幼い顔立ちの主が元服をしたのは、一年前の話だ。
それを考えれば、戦事に置いて大人顔負けの力を持つ彼が戦場に出るのは、遅過ぎる事のようにも思う。
もっと早く戦場に立っていても可笑しくなかったのだと、はっきりと判る。
若さゆえか、感情が先走る面々も数あれど、実力は確かなものだ。
親の七光りではなく、純粋に己で鍛錬を積んで得た、戦いの知識。
経験と言うものは埋めようのない事であるが、それはこれからの事。
本来なら、もっと早く戦場に赴く人物であったのだろう。
ようやく戦場に立つことを許された主は、それを告げられた日から、どうにも落ち着きがない。
槍の鍛錬にもいつも以上に熱が入り、日が過ぎていくのを指折り数えている。
彼は知らない。
その手が、緋色に染まる瞬間を。
戦と言うのは、どうにも好きになれない。
戦忍としてあるまじき事かも知れないが、佐助はそう思っていた。
人が傷付き、死んで、悲しみが残る。
勝てばそれも喜びに変わるが、失われたものはどんなに願っても帰って来ない。
戦に身を置く者たちだけではない、戦う力を持たない民も死んでいく。
戦がなければ、そういった事も少なくなるのだろうに。
人間の欲望というものは限りを知らないのだと判ってはいる。
その欲望がある限り、人は何処かで何かを得る代わりに、何かを失っていく。
判っていても、押さえられない欲望に突き動かされて。
誰かが名も知らぬ誰かの命を奪い、誰かが顔も知らぬ誰かを恨む。
その瞬間に人間の中に渦巻く黒い感情を、あの幼い主は知らぬのだ。
失う事を知っていても、奪った先にあるものを知らない。
その手がどんな思いを切り裂いているのか、知らない。
知らなくていいと思う。
幼いままで、知らないままでいいと思う。
でなければ、あの真っ直ぐな主は、耐えられない。
けれど、もう無理なのだ。
彼は戦場に立つ事を選んだ。
その選択肢が間違いか正しいか、佐助には判らない。
主にしてみれば、間違いである筈がない、と言う所だろう。
尊敬するお館様の上洛を叶える為―――それだけの為に。
「子供と言うものは…残酷なものだな、佐助よ」
下から聞こえてきた声に、佐助は少し驚いた。
木の上から主へと向けていた視線を、眼下へ落とす。
「……そう、ですね」
武田信玄だった。
その視線は、真っ直ぐに佐助の主へと向けられている。
「…大丈夫ですかね、旦那は」
「無理であろうな」
迷う事無く返された言葉。
地面に降りて、信玄から一歩離れた場所に立つ。
紅い甲冑に身を包んだこの男の存在は、本当に大きなものだ。
近寄るのも躊躇われる。
幸村が今まで戦に出る事がなかったのは、この男が認めなかったからだ。
未熟者を戦場に出す訳には行かない、と尤もらしい事を言っていたのを覚えている。
確かに幸村は未だに幼い面を残し、感情が先走る故、未熟者と言えなくもない。
けれど本当の理由は、鉄面皮の下に隠されていると佐助はよく知っている。
「―――――お館様!」
敬愛する主君の存在に気付いた幸村が、嬉々とした顔を見せる。
槍と手拭を置いて、仔犬宜しく、駆け寄ってきた。
「此度の出陣の許し、在り難く存じます!!」
「うむ。慢心するでないぞ」
「はい!」
嬉しさのあまりか、幸村の頬が少し紅潮している。
こういう所は、本当に小さな子供と大差ない。
そんな幸村を見下ろす信玄の瞳に浮かんだ色を、彼が気付く事はないだろう。
教える事でもない……知らないままでいいのだ。
知ってしまっては、きっと傷付くだろうから。
「佐助、少し手合わせしよう!」
「あ? なんだ、急に」
「いいから!」
「……へいへい」
信玄を前にしての突然の申し出に、佐助は少し驚いた。
どうせ早く身体を動かしたくて堪らないのだろう。
こっちの気も知らないで。
顔に出さずに、そんな事を思った。
「見ていて下され、お館様!」
いつも一つ覚えのように言っている事を、言えば。
聞いた信玄は、大きく頷いて幸村を真っ直ぐに見据えた。
これも仕事か。
溜息混じりに笑って、佐助は幸村と距離を置いて立った。
――――――――――――火薬の匂いだろうか。
………………それとも、人の肉が腐っていく匂いか。
終わった。
あまりにも、呆気なく。
長引くのも面倒だし、疲れるので嫌なのだが、簡単に終わってしまうのも物足りない。
物騒な思考回路に己が占領されている事に気付いて、佐助は自嘲する。
自分はこんな性格だっただろうか、と。
けれども、こんな乱世であるのだ、そんな考えに支配されても仕方がないと言えばそうなのかも知れない。
自分の主の初陣は、無事に勝ち戦となった。
その大きな立役者となったのは、主本人に違いない。
戦場の只中に身を置いていた佐助だったが、なるべく主から離れないようにと心がけた。
自分は彼、真田幸村の影忍―――――主を護るのは、当然の役目だった。
幾ら名門武田に仕える真田家の次男であると言っても、戦場に置いてはまだまだ雛っ子だ。
牙を向ける事に慣れているとは言い切れない彼を、一人にする訳にはいかなかった。
だが幸村は、佐助の心配を杞憂としていた。
今は佐助から少し離れた場所で、背中を向けて佇んでいる。
「………旦那」
呼んでみると、返事はなかった。
風に流されて、紅い鉢巻が揺れる。
それと同時に、明るい色の長い髪も。
よく見れば、綺麗な筈の髪色が、少しだけ荒んでいる事に気付く。
それは、暮れ始めた陽光に当てられているからではない。
綺麗な髪だったのに。
特に気を使って手入れしている訳でも無いのだろうけれど。
それでも、綺麗な色をしていたのに。
ゆっくりと歩み寄っていけば、積み上げられた屍がある。
それを作ったのは他の誰でもなく、この細身の若者なのだ。
緋色の服の所為でよく判らないが、別の紅に染まっているのがよく判る。
両手に握られた槍の刃からは、まだ乾いていない液体が伝い落ち、地面を濡らす。
握る手が小さく震えている事に、果たして彼は気付いているのだろうか。
否。
「佐助!」
振り返った、その顔が。
「怪我ぁしてないか?」
「無論だ! 佐助、いつまでも保護者みたいに言うな」
「仕方ないっしょ? 旦那がそんなだから」
笑っている、筈なのに。
「早く戻ってお館様にご報告せねばな」
「俺が行こうか? 旦那より上手く話せると思うぜ」
「……どういう意味だ、佐助」
「興奮の余りに色々間違って喋りそうでね」
どうして。
「お館様の前でそんな失態はしない!」
「どうだか。いつも熱くなって我を忘れてるのは誰だろうね。ま、いいや。ヘマしないでくれよ」
……どうして。
「初陣で勝ち戦だ……きっと父上と兄上もお喜びになって下さる」
…………どうして。
「佐助、お前も有難う。色々と助かった、才蔵達にも感謝せねば」
「……大事なお仕事だからな。しかし初陣で此処まで頑張るとはね…普通はもっと緊張するもんじゃない?」
その手の震えも。
声が引き攣っている事も。
頬を流れる、その透明な雫も。
気付かないで、いるのだろう。
「お館様の為だ! この幸村、まだまだ働く所存であるぞ!」
悲鳴を上げる、その心に。
中途半端な話で申し訳ない……
うちの幸村は自分の痛みに鈍感、気付かない子です。
全て「お館様の為に」と言って、痛いと思うのは「未熟だから」と思い込み。
……ひょっとしてうちの幸って、精神異常の傾向有り…!?(滝汗)