紅
きれいなきれいなきれいなひいろ
きれいなきれいなきれいなあか
染め上げられて、きみは笑う。
「うぉおおぉおおっ! 押せ押せぇえあぁあああああ!!!!!!」
咆哮を上げて、幸村が敵陣へと突進していく。
ああ、また無茶して、と思うけれど、心配はしなかった。
彼の実力は誰もが知っている事だ。
突っ込んでいく幸村に習うように、兵も槍を構えて前進し始めた。
燃え上がる紅蓮が天を焦がし、大地を駆ける。
鬼だなんだと、悲鳴を上げて逃げ回る敵。
蜘蛛の子を散らすように、敵陣の陣営は乱され始めていた。
そのほぼ真ん中で、二槍を掲げる一人の若者。
今年で十八を迎えたばかりだと言うのに、戦に置いては天性の強さを持っていた。
最初の頃はまぐれだなんだとやっかみを買う声もあったが、今は久しく聞いていない。
近隣諸国まで轟くその名は、この甲斐武田の戦神と崇められる程であった。
佐助もその紅蓮の鬼とほぼ平行した位置で、敵を蹴散らしていた。
武将を馬上から落として、遠くから狙ってくる矢を叩き落し、弾篭めをしている銃兵を蹴り飛ばした。
「こりゃ今日は大量だな」
いつにない数の軍勢に、佐助は小さく笑った。
手に握られた獲物はすっかり紅に染まっている。
「佐助!」
「おう、真田の旦那。今日も調子良いねぇ」
「当たり前だ! 大将の場所が判った、援護しろ!」
「了解」
近くにいた敵兵を蹴散らしながら指示する主。
短い返事を返せば、幸村は一つ頷いて。
「大車輪!!!」
回転と共に振り上げられた槍に、兵が弾き飛ばされる。
ぽっかりと其処に穴が開いて、佐助は其処を走った。
幸村は近くでおろおろとしていた騎兵を馬から落とすと、手綱を奪い取る。
佐助の少し後ろから、ガカッと蹄の音がした。
「任せたぞ、佐助!」
「あいよ」
幸村が佐助を追い抜くと同時に、佐助は右足で踏ん張り、其処で止まった。
振り返れば幸村の首を取ろうと躍起になった敵軍の兵士。
彼らが束になった所で、東国最強軍の武将に敵う筈もないだろうに。
目先の望みの薄い出世に欲が煽られたのだろう。
後続を立って置けば、後は随分楽になる。
背後を気にしなくていいというのは、戦に置いて大きな強みとなるだろう。
突進してくる陣の目前まで駆けると、獲物の手裏剣を振るった。
小手の中に隠していた尖った暗器を取り出すと、真後ろに来ていた雑兵の喉に突き刺す。
抜き取れば、空いた穴からぷーっと細い赤い液体が飛び出て孤を描く。
呆けたように立ち尽くしてしまったその躯を、邪魔とばかりに蹴り押せば、後ろに迫っていた者も巻き込まれた。
突進してきた集団の後ろにいた者が、佐助の横を通り過ぎていく。
佐助の撃破を無理と判断して、幸村のみを狙う事にしたのだろう。
ちらりと佐助が後ろを見てみれば、幸村は随分遠くにいた。
どうやら大将首を見つけたらしく、馬上から槍を振るっている。
楽しそうな横顔が見えて、これだから戦馬鹿は手がつけられないんだと、嘆息した。
あれを邪魔するなど、無粋であろう。
佐助は手間のかかる主を思いながら、手裏剣を投げた。
ドドッと音がして、手裏剣は兵に突き刺さり、倒れるのを待たずに佐助は走った。
手裏剣を引き抜くと、幸村を狙う陣の真正面にむかって跳ぶ。
「お前らの相手は俺だ。旦那に任されてるんでな」
主の背中は、己が守る。
真田忍軍の頭として、この役は譲れない。
幼い頃からあの背中を守ってきたのは、自分だから。
剣呑な色を帯びた眼光に、敵が怯んだのが判った。
「さーて……お仕事お仕事、っと」
手裏剣と一緒に腕を振るうと、刃についた血が地面に散って落ちた。
粗方片付いたかと思いつつ、周囲を確認する。
佐助を警戒するようににじり寄ってくる兵が数人いたが、正面から突進してくるものはいない。
数が多かったので、少々時間がかかった。
大将の方は片がついただろうかと考えつつ、佐助はくるりと踵を返した。
背中を向けても、襲ってくる気配は見られない。
おぉ、と大きな声がして、佐助は遠くを見た。
其処には槍を高く掲げた主の姿がある。
その横に転がっているのは、恐らく敵大将だろう。
敵兵達が次々に屑折れていくのが見えた。
これで今日の仕事は終わった。
「佐助、ご苦労だったな」
「ご命令とあれば、俺はいつでもお応えするよ」
「それなら、今度はお前に大将を取って貰おうかな」
「あー、別に俺は構わねぇけど」
佐助の言葉にわざと調子に乗った言を吐く幸村。
どうやら、今日は調子が良いのに加えて、機嫌も右肩上がりらしい。
帰ったら敬愛する信玄公から褒めて貰えるからだろう。p
そんな事を考えるだけでこんなにも嬉しそうに笑う。
「俺が大将取っちまったら、旦那ぁ肩身狭くなるんじゃねぇの?」
「失礼な。一度や二度お前に負けたぐらいで、お館様の信頼は損なったりしない!」
まぁ、それはそうだろう。
信玄公の器の大きさは、佐助もよく判っている。
また幸村と信玄公の絆の強さも。
「ま、俺はあんまり目立つ事はしないようにするさ。これでも忍頭だしな。旦那がしろって言うなら、別だけど」
頭一つ分程低い位置にある主の、柔らかい髪をぽんぽんと叩いた。
ぱしっとその手を払われるのはいつもの事である。
「もう戻るぞ。粗方片付いたようだしな」
むすっと少し拗ねたような顔をして、幸村は歩き出す。
怒った顔はしているけれど、どうせ本陣に帰る頃には元に戻っているだろう。
…………と。
「旦那、ちょっと待った」
「なんだ?」
目に付いたものが気になって、佐助は幸村を呼び止める。
まだ少し怪訝な目をしながら、幸村は言われた通りに足を止めて振り返った。
佐助は腰につけていた袋から、薄い手拭を取り出す。
「右腕、見せてみろ」
「…右腕?」
きょとん、としながら幸村は自分の右腕に目をやった。
紅の衣を纏っているのでわかりにくいが、衣とは違う紅が明らかに混ざっている。
どう考えても、幸村の血だった。
衣服の避けた部分から、紅に染まった肌が見える。
「結構出血してるじゃねぇか。なんで気付かねぇかな」
「うーん……いつやられたんだろう」
「俺に聞くなよ」
微妙に的外れな反応をする幸村に嘆息して、佐助は手際よく腕に手拭を結びつけた。
緋色の服の中で、燕尾色のその手拭は、少し際立ってみる。
「まぁ、腕が動かせない程ではないし。大丈夫だろう」
「あんたはまたそーやって……派手に出血してるじゃねぇか。帰ったら治療しなさいよ」
また医者が泣く羽目になるぞ、と言うと、幸村は誤魔化すように笑う。
薬の匂いが苦手なのか、単に大雑把なのか、幸村はよく自分の傷を放置する。
他の者の傷は手際良く処置を施すくせに、何故だか己の事は後回しで、最悪忘れてしまうのである。
化膿したらいけないから、怪我をしたら直ぐに見せに行けと、一体何度言った事だろう。
「帰ったら真っ先に旦那の治療だな」
「お館様に早く報告しなければならないから、後でいい」
「血ぃ流しながら大将の所に行くのもどうかと思うぜ。ああもう、貸せ!」
このままでは、また放ったらかしにしそうだ。
幸村自信に任せる訳には行かないと、佐助は幸村の腕を引っ張る。
手拭は早くもじんわりと湿っていて、佐助は舌打ちしてそれを外した。
腰巾着に入れていた薬を取り出すと、幸村は明らかに嫌そうな顔をする。
大人なんだから我慢しろと言うと、真一文字に口を噤んだ。
その様はどう考えても、怯える幼い子供のものだ。
これだけの大怪我をしても気付かない上に、平気で放置しようとしている癖に。
なんだって、ほんの少しの間の治療がこんなにも苦手なのだか。
名門・甲斐武田に仕える紅蓮の鬼が、この程度の事で怯える子供だなどと、誰が知っているだろう。
幸村が年齢以上に幼い面があると言う事は、知る人ぞ知る事だ。
知れ渡られた名前の割にぼんやりした性格なのは、街中を歩く時の様子で垣間見れたりするが。
手際よく治療を施す佐助を、幸村は唇を尖らせて見ていた。
周囲では既に、武田の兵達が引き上げを始めている。
「佐助、もういい。遅れてしまう」
「応急処置だけでもさせろよ。ちょっと押さえるぞ」
ぐ、と傷口の近くを指で押す。
ひくり、と幸村の顔が引き攣った。
溢れて来た血を拭って、磨り潰した薬草を塗る。
それから再び、手拭を巻きつけた。
「ったく、無頓着にも程があるぜ。雑菌でも入ったらどうすんだ」
「佐助は口煩いんだ。この程度の傷なら、いつもの事じゃないか」
「それを放置する旦那もな。俺が口出さないで、誰が言うんだよ」
総大将の武田信玄公も、臣下の一人ひとりを見舞われるほど暇ではない。
幸村が隠そうとするなら、信玄もそう深くまで踏み込んでは来ない。
言うのはただ一言、慢心するな、と言う事である。
毎回それを言われている癖に、幸村は自分の事をやっぱり後回しにする。
配下の中に心配している者も多いのだが、何故だか幸村はそれに鈍感だった。
人の怪我の治療を手伝う割に、自分はお座なりな処置だけで済ませてしまうのだ。
平気だと言って放置する幸村に、強引に治療を進める事が出来る人物は少ない。
その一人は他でもない佐助で、いつも傍にいるものだから、自然とお鉢が回ってくるのだった。
「はい、終わり」
「相変わらず手際がいいな」
「……そいつはどうも」
あんただって、人のをやる時は手早いくせに。
どうして自分の事だと、そんなにも軽く見るのだか。
あれは、いつの事だっただろう。
佐助は一度だけ、主を失いかけた事がある。
その時幸村は、近隣諸国にやっと名が届き始めた頃だった。
信玄公からも働きぶりを褒められ、舞い上がる程に幼かった頃。
名が届くという事は、それだけ敵から狙われるという事である。
何処との合戦だったかは忘れたが、幸村は徹底的に集中攻撃を喰らっていた。
多数対己一人という構図は珍しくはなかったのだが、弓兵が多かったのが厄介だった。
距離を詰めれば強いが、獲物は届かなければ意味がない。
あちこちから射られて、幸村は防御に撤さざるを得なかった。
持久戦に持ち込まれて、派手に動く感のある幸村の不利となった。
少し離れた場所でそれを見つけた佐助はすぐに動いたが、幸村が疲れてしまう方が早かった。
僅かな隙を突かれて、毒の塗られた矢が幸村の腕に刺さったのだ。
それを皮切りにして、背中に何本もの矢が突き刺さった。
その直後の佐助の記憶は、朧がかっている。
覚えているのは紅色に染められた光景だけだ。
なんとか一命は取り留めたが、あの情景は今も佐助の脳裏に焼きついて離れない。
こんな乱世の時代、何処で誰が命を落とすかなど判るものではないだろう。
主を失い、部下を失い、家族を失う事もある。
今更誰かを失ったところで、膝を折っている暇などない。
けれどあの瞬間、佐助は目の前が真っ赤になった気がしたのだ。
燃え盛る紅蓮と、流れる紅に染め上げられて。
あの日以来、佐助は幸村の傍をなるべく離れないようにしている。
今でも何処で誰が狙っているか判らないのだ。
懐刀として、当然と言えば当然の行動とも言える。
主を失うのは、もう御免だった。
幸村の父・昌幸が死んだ時に、幸村だけは守り通すと誓ったように。
「帰るぞ、佐助」
少し先を歩いていた幸村が、佐助が動かない事に気付いて声をかけた。
紅い衣が、風に流されて揺れる。
それと一緒に、幸村の長い髪も尻尾のように揺れた。
「あいよ」
その紅蓮がいつか絶える日が来るとしたら、それは自分が消えた後ならいいと思う。
うちのサイトの幸村は、結構自分のことに無頓着。
なんともないと思ったらずっと放っておきます。
佐助は自分よりも、とにかく幸村を優先。
この二人はお互い、自分より先に主がいなくなったりしたら、どうなるんだろ…