抱き締める
甘えているのは
どっちだろう
幸村は人にくっつくのが好きだ。
対して佐助は、あまり触れ合うことを良しとしない。
だが、何故だろう。
この熱だけは、佐助は振り払えないのだ。
……背中に張り付いている、明るい髪色の緋色の青年だけは。
「旦那、危ねぇからあっち行ってて欲しいんだけど」
「嫌だ」
即座に帰ってきた返事に、漏れるのは溜息。
予測の範疇だったので、それは別に落胆の表れではない。
仕方のない人だと、そんなものである。
けれども、危ないというのも間違ってはいないのだ。
佐助は苦無の手入れの最中で、下手をしたら怪我を負わせてしまう。
戦時でもなんでもないのに怪我をしたなんて、間抜け以外の何者でもない。
…もっとも、この主はそそっかしいので、よく転んで生傷を作っているが。
無理やり離す事は出来るが、それをしてしまうと、後が余計に面倒になる。
拗ねるか、ムキになるか。
多くは後者である。
後者を延々と続けて、そろそろ二人とも疲れた頃になると、前者に移行。
幾ら宥めてみても機嫌を直さず、佐助が侘びを口にするまでは目も合わせようとしない。
今年で十八を迎える者とは、到底思えぬ行動である。
「こんな時でもないと、佐助とのんびり出来ぬではないか」
「……だからって手入れ中にくっつかれても困るんだよ、俺も」
「佐助が私を放って置くからだ」
どんな理屈だ。
ただの子供の我侭だ。
「……十日前に約束を破ったお前が悪い」
ふと小さな声で呟かれたのを、佐助はしっかりと拾い上げた。
そして、合点が行った。
ああ、それでか、と。
十日前、二人で街に出ようという約束を破った。
火急の任務が入ってしまったのだ。
仕方がないと言えば、仕方がない事だ。
佐助は戦忍で、頭目で、真田隊の長。
真田隊は幸村に仕え、その幸村は甲斐の虎・武田信玄に忠誠を誓う。
その信玄からの命令ともなれば、優先せねばならぬ事はおのずの決まってくる。
幸村だってそれが判らぬほど幼くはない。
けれども、判っていても拗ねてしまうぐらいには子供なのだ。
約束は破ってはいけないものだが、任務も大事。
私情で任務を放棄する訳にはいかないし、今回の任務は佐助が一番適任であった。
幸村がどんな我侭を言ったとて、通じる訳もない。
「あの時は旦那の了承もちゃんと確認したでしょ」
「……あの時はあの時で、今は今だ」
「…はいはい」
幸村が今、どんな顔をしているのか。
そんなもの、見なくたってすぐに判る。
「……佐助が悪い」
繰り返された言葉に、苦笑が漏れる。
それが聞こえたようで、抗議のようにぎゅうと強く抱き締められた。
「市があったのに」
「うん」
「旅芸人もいたのに」
「うん」
「甘味屋行こうと思ってたのに」
「うん」
小さな声で呟かれるのは、不満の声と、甘える言葉。
幸村がこうやって甘えるのは、佐助だけだ。
武田の古株の武士もよく甘やかしているが、素直に甘えてくるのは佐助以外にいない。
信玄の近くでちょこまかしている姿は時々見られるが、今のように距離を詰める事はない。
どんなに幼く見えても、音に聞こえた真田家の次男坊だ。
何をすれば無礼となるのか、その辺の礼節は弁えている。
これは幼い頃から兄弟のように育った、自分だけの役得。
躊躇う事無く距離を零に出来る、自分だけの。
「佐助」
「うん」
「……構え」
まるで犬が尻尾と耳を垂れているようだ。
戦場での覇気は何処へやら。
言葉だけは未だに強気でいるつもりらしいが、生憎ながら、そうは見えない。
「これ終わったらね」
そう言って手入れ途中の忍具をちらつかせると。
「嫌だ」
今がいい。
今すぐ。
そんな言葉が帰って来る。
大方の予想道理である。
この主は、意に沿わぬと直ぐに拗ねる。
全く、我侭な主殿だ。
そんな主だから、好きになったんだと。
言われてしまうと、返す言葉がなくなってしまうのだが。
「頼むよ、旦那」
「嫌だ。この前は私が佐助の言う事を聞いたんだ」
「で、今度は俺に言う事聞けって?」
頷く幸村。
佐助だって言う事を聞いたのだが。
本当は幸村と一緒に街に出たかったのに、それを我慢して。
お互いに条件は同じ筈なのだが、どうやら幸村の中で、耐えたのは自分だけだという事になっているらしい。
多分、任務だと言われた時にあっさりと身を引いたものだから、それも原因に入っているのだろう。
感情をあまり表に出さないのが、今回ばかりは裏目に出たようだ。
「……やれやれ」
溜息混じりに呟いて、佐助は苦無を置いた。
それを合図にしたように、回されていた幸村の手が離れる。
振り返って、佐助は幸村を抱き締めた。
「いつまで経っても子供だよね、旦那はさ」
甘えんぼ、と。
その幼い顔立ちを胸に押し付けると、くぐもった声。
今年で十八なのに。
どうしてそれらしく出来ないんだろうか。
でもきっと。
「佐助が甘えてくれって言うから、甘えてやっているんだ」
「はーいはい。なんとでも」
こんな風に甘えてくるから、やっぱり好きで。
こんな風に甘えてくるのが、可愛くて。
「どーせあんたの世話出来んのは俺しかいないんだから」
そんなにべったりくっつかなくても。
ちゃんと抱き締めるから。
「今度の休みは、二人でどっか行こうな」
「…破ったら、今度は切腹だぞ」
「俺の所為じゃねえのに、俺がすんの?」
「違う、お前じゃない」
小さく笑って、幸村が見上げてきた。
「私がする」
……告げられた言葉に。
そりゃあ大変だ、と呟いて。
腕の中の存在が離れていかないように、強く強く抱き締めた。
ずーっとくっついてます……もう勝手にしろぃ。