手を繋ぐ
さすけ、さすけ
まいごにならぬようにって、あにうえが
だから、さすけがまいごにならぬように
てをつなごう
夏祭り。
子供がはしゃぐ行事の一つだ。
佐助の二歩手前を、同じ年頃の幼子が兄に手を引かれて歩いている。
いつも幼子の隣にいるのは自分なのだけれど、今日は兄の役目だ。
たまにしかゆっくり出来ない、一緒に出かけること事態が滅多にない事、
左手がなんとなく淋しい気がしたけれど、佐助は何も言わずに前を見詰めて足を動かす。
あそこの飴が食べたい、あそこのお面が欲しい。
判った判った、順番にな。
聞こえてくる会話。
入り込めない空気。
決して自分の存在を忘れている訳ではないのだろうけど、幼子の瞳には、今大好きな兄しか映っていない。
さり気なく隣に行っても、きっと目を向けてくれる事はない。
それは気付いてくれないのではなくて、ごく自然な事だから、気に止めることもないのだ。
自分が彼の隣にいるのは当たり前で、彼がそれを受け入れているのもごく当たり前の事だから。
兄を見上げた時に見える横顔は、幸せに満ちている。
また幼い弟を見下ろす兄も、嬉しそうに笑んでいた。
だから自分は、それを見て、きっと笑っていなければいけないのだ。
けれど。
自分でも判る。
眉間に寄った、皺。
「兄上、あれは?」
「飴細工の菓子だな。食べるか?」
兄の言葉に、幼子はぱっと明るい表情になる。
表情筋がよく動く。
佐助とは大違いだ。
ずっと一緒に育っているけれど、自分と彼は、絶対に正反対だと思う。
感情を殺す事に慣れている佐助に対して、彼はいつだって思うまま正直に生きている。
嫌なものは嫌だと言うし、好きなものは好きだと言って。
子供らしい可愛い我侭だって、よく口にする。
絶対に通らないお願いだと判っていれば、言わないけれど。
「ちょっと待っていろよ、幸。佐助、幸を頼んだぞ」
「はい」
佐助の短い返事を聞いて、兄は弟の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「迷子にならぬようにするんだぞ。じっとしていろよ」
「はい、兄上」
元気な返事をした弟に笑みを向けて、もう一度佐助へ頼むぞ、と言って。
兄は、弟が先程指差した露天へと走っていった。
其処までは随分と人通りが多くなっていて、子供と一緒に歩くには危ない。
まだ幼い弟を残していくのも不安だっただろうが、連れて行って逸れてしまうよりは良いと思ったのだろう。
人ごみに兄が隠れて見えなくなってから、幼子は佐助へと向き直り。
「佐助、佐助」
「ん?」
着物の裾を引っ張られる。
歳の差が四つというのは、意外と大きいものである。
着物を掴んだ手はまだ小さくて、触ると柔らかいんだと佐助は知っている。
もう自分の手は節張って来ているのに。
それが、日々の修練の為なのだとしても。
まん丸の瞳が、真っ直ぐに佐助を見上げて来る。
「兄上が、まいごになるなと」
「……動かなきゃいいよ」
「でも…わっ」
「あ」
通り掛かった見知らぬ男が、幼子にぶつかった。
佐助は怪我をさせる訳にはいかないと、慌てて倒れ込む幼子を支えた。
ぶつかった男は気付いていないのか、それとも気にしていないのか、そのまま歩き去っていく。
あまりと言えばあまりな態度に佐助は腹が立ったが、怒って何か変わる訳でもない。
動かなければ、迷子にはならない。
けれど、この人ごみの中だ。
入り乱れた人の波に流されてしまう可能性もあるだろう。
「大丈夫か?」
「う、ん」
地面にしっかりと立たせて、手を離す。
すると。
「佐助、まて」
短い言葉で、幼子が佐助の手を掴む。
「兄上はまいごになるなと言った。だから」
佐助がまいごにならぬように、手をつなごう。
ふと、祭囃子の音が聞こえて目を開けた。
どうやら、木の上で休んでいたら、そのまま眠ってしまったらしい。
空は既に夕闇の色が濃くなっている。
こんな時間に眠ってしまうとは、自分にしては珍しいものだ。
相当疲れが溜まっていたのだろうか。
まだ睡魔が拭いきれない眼を擦っていると、呼ぶ声が聞こえた。
「佐助―、そこにおるのだろう?」
聞こえる声を辿って木の下を見てみると、緋色の着流しを来た主がいる。
戦時に纏う衣以外で、彼が緋色を着る事は珍しい。
今日は何かあっただろうかと思いながら、佐助は地面へ降り立った。
「なんだい、旦那」
「なんだじゃない、早く支度をせぬか」
「支度?」
なんの、と聞こうとして、鼓膜に届く祭囃子で合点が行った。
「そーか、祭りだっけ」
「うむ」
嬉しそうに頷く幸村の脳裏に浮かぶのは、きっと夜店で売られる菓子の事なのだろう。
祭りの最後には花火も打ち上がるのだが、生憎彼は“花より団子”だ。
ついでに言えば、早寝が得意。
はしゃぎ疲れて、帰る頃には歩きながら寝そうになり、危ないからと佐助が負ぶってやると、程なく睡魔に身を任す。
楽しんだ後の疲労と、歩いている時の揺れが、余計に睡魔を誘う結果となっているのだろう。
きっと今日も同じ結果になる。
「しかし緋色の着物、珍しいな」
「嫌だと言ったのだがな…海野の六郎が折角だからと」
「へぇ……海野の六郎には弱いよな、旦那」
それでも、この主には緋色がよく似合う。
戦時以外は女子のようで嫌だと言って、幸村は緋色の着物を好まない。
燕尾や黒など、落ち着いた色合いを好んで着用する。
それらも不似合いという訳ではないのだが、やはり原色が一番様になっている。
早く着替えて一緒に行こう、と急かす主に、佐助は笑みを浮かべた。
幸村は、緋色の着物と同じく珍しく、髪を下ろしていた。
いつも首の上辺りで括られている髪は流されていて、鉢巻も巻いていない。
これは、女に見えても仕方がないだろう。
緋色の着物でなくても、きっとそう見える。
中世的な顔立ちと細い肢体は、戦に立ち先陣切って行く者とは思えなかった。
先刻から擦れ違う男達が何度も振り返っている。
此処で佐助が傍を離れたらどうなるのかぐらい、容易に想像が付いた。
「旦那……」
「なんだ?」
「……いや、なんでもねぇや」
髪切れば、と言おうとして。
あの長い髪を梳く時間が気に入っている事を思い出して、口を閉じた。
大体、幸村だって切れと言われても拒否するだろう。
幸村は不思議そうに首を傾げたが、特に追求する事はなかった。
それよりも、目の前の飴細工の菓子の方が気になるらしい。
「佐助、これが食いたい!」
「はいはい。一個だけね」
「……けちだな」
「まだ色々回るんだろ。これ喰い終わらないと、次のもん買わないからな」
従者の方が財布を握るという、なんとも珍妙な形であるというのに、幸村は一向に気にしない。
口を尖らせても文句を言わなくなった幸村の頭を撫でて、飴を一つ買う。
二つでなくていいのか、と店主に言われて、要らない、と応える。
貰おうと思っていたのか、幸村が拗ねたようにそっぽを向いたが、どうせ飴を食べればご機嫌になるのだ。
毎度の事だ。
そして予想通り、飴を口に含んだ幸村の顔には笑顔が戻る。
甘味を食べただけで幸せになれるとは。
安上がりだな、と佐助は思う。
次は何を食べたいと言い出すのか。
主の好きそうなものを扱う屋台を見回していると。
「う、わっ!?」
ひっくり返った声が聞こえて、佐助が振り向いてみれば。
足が縺れたのか、ぶつかられたのか、地面に膝を突いている主がいた。
これが戦の最中であるならば、避けられたのであろうに。
戦時以外はてんで鈍い主に呆れながら、佐助は幸村に歩み寄る。
「何やってんだよ、旦那」
「う、煩いっ」
流石に恥ずかしかったのか、赤い顔で佐助を睨む。
正直、全く怖くないのだが。
「気ぃつけなよ。迷子になっても探さないぜ」
「子供ではないのだ、迷子になどなるか!」
どうだか、と笑いながら、佐助は手を伸ばす。
幸村は耳まで赤くなりながら、差し出された手を取って立ち上がる。
膝の汚れを払って、怪我がない事を確認した。
擦った後はあったが、血は出ていない。
持っていた筈の飴は、転んだ時に何処かに落としてしまったらしい。
残念そうな顔をする幸村に、頼むから見つけても拾って喰うなよ、と言いつける。
放って置くと本当にやりそうなので、怖い。
それにしても、先程からどんどん人が増えている気がする。
甲斐も発展しているから、当然かも知れない。
こんな中で逸れてしまったら、探すのは本当に骨が折れる。
「おっ、焼き団子!」
「あ、コラ旦那!」
立ち直り早く、幸村が少し先にあった団子屋に行こうとする。
が、佐助に腕を掴まれて足を止めた。
こんな人ごみの中で離れたら、間違いなく再会するのは難しくなるだろう。
「旦那は一人でちょろちょろしないの!」
「あそこに行くだけだ」
「戻ってこれる訳ないでしょーが!」
間髪入れない佐助の言葉に、幸村がむっとした。
「ああもう! ほら!」
言って佐助は、自分の左手を突き出した。
それを見た幸村は、きょとんとして佐助を見詰め返す。
「迷子にならないよーに!」
手を、繋いでいろ、と。
子供扱いされていると、幸村の顔が赤くなる。
怒鳴るかと思ったが。
「……佐助がな」
そう言って、幸村の右手が、佐助の手を握った。
無理だろ、それは。
絶対アンタの方だよ。
「………はいはい」
いつだって手を繋ぐ時、見栄のように言っていた台詞。
『迷子にならないように』。
離れてしまうと不安になるから
繋いだ手はきっと一生、離さない
強引な展開でも見逃してくださいlllorz